第3話

 すべてのモノに魂は宿っている。たとえ、それが無機物であったとしても。

 そして、魂には記憶が宿る。モノの記憶。それを『残留思念』と呼ぶ。 


 屍蝋しろう。それは長い時間、死体が水中などにあった場合に体内の脂肪が脂肪酸となり、蝋化することで死体の原形を保った状態となることを指す。

 その屍蝋は、まさに蝋人形のようであり、色が抜けて白くなった死体はどこか美しさすらも感じさせるほどだった。


「外傷はどこにもありませんね」

「そうだな」

「溺死ということですかね」

「なあ、姫野さん……私たちの捜査はそういうことを調べるんじゃないんだ」

「ええ、わかっています。これはわたしなりの抵抗です」

「抵抗?」

「はい。わたしは元々現場主義の刑事でした。刑事になったばかりの頃は、現場百篇なんて先輩刑事に言われたものです」


 姫野が何を言いたいのかはわかっていた。私のやり方は、現場に出ている刑事たちのやり方を180度変えるものである。しかし、このやり方は私にしか出来ないものでもあった。


「そうか……。そろそろ、始めたいんだが、いいかな」

「わかりました」

 姫野はひと呼吸置いてから、私の近くから離れていった。


 ひとりになった私は、じっと屍蝋体を見下ろしていた。そして、しゃがみこんでその顔に自分の顔を近づけ、ゆっくりと目を閉じた。



 最初にやってきたのは、闇だった。

 そして、匂い。潮の匂いだ。

 波の音が聞こえてくる。


 小刻みな揺れ。車の中。エンジンがかかっている。カーステレオからは二、三年前に流行した洋楽が流れてきている。

 右側の助手席。左側の運転席には、黒いカラーシャツを着た男が座っている。金髪、耳には沢山のピアス。カラーシャツの袖から見えるのは髑髏ドクロのタトゥー。男は右手に火のついた煙草を持っている。


 ふたりとも無言。音楽だけが空間を支配している。

 男の不機嫌な横顔。

 どうやら喧嘩中らしい。


「ごめんなさい」

 そう呟くように言うが、男は無視をするかのようにフロントガラスを見たままだった。


 鼻をすする音。ストッキングの上に垂れる水滴。涙。泣いている。


「ごめんなさい」

 また謝る。女の声。そう、この声の主は、女なのだ。

 女の視点。女の記憶。屍蝋化した女。


 まぶたが重くなる。頭がぼんやりとしている。

 視界が真っ暗になる。

 目は閉じたが、耳はまだ生きている。


「手こずらせやがって」


 男の声。

 引きずるような音。

 ぶちぶちという音と何かが破れるような音が聞こえる。

 きっと、服を脱がされている。

 そして、ふわっと持ち上げられるような感覚がする。


「じゃあな」


 男の声。

 水に何かが投げ込まれたような音。

 そして、波の音。

 身体が水の中へと沈んでいく。

 呼吸が苦しい。

 しかし、身体は動かすことができない。

 もう、ダメだ――――。


※ ※ ※ ※


「――がさん、久我さん」

 姫野の声。


 身体を揺さぶられたことで、久我は目を開けた。

 目の前には、屍蝋化した女の死体がある。


「なにか見えましたか」

「ああ。女が何者かはわからなかったが、一緒にいた男の顔は見えた。手首にタトゥーのある男だ。髑髏のタトゥー」

「髑髏ですか」

「金髪でピアス、髑髏のタトゥー。そいつが、彼女を海に放り投げた。おそらく睡眠薬を飲ませた」


 私は自分が見た屍蝋化した彼女の記憶を姫野に伝えると、ポラロイドカメラを持ってきて額に当てた。そして、見てきた彼女の残留思念をカメラに転送する。念写。そう呼ばれるものだった。

 シャッターを押すと、ポラロイドカメラから数枚の写真が吐き出され、しばらくすると写真が浮かび上がってくる。


 金髪の男の顔、手首のところにあった髑髏のタトゥー。すべては彼女の残した記憶だった。


 私の特殊能力。それは、モノに宿る残された記憶である『残留思念』を読み取ることと、その記憶を写真として吐き出す『念写』であった。インプットとアウトプット。それができるからこそ、警察庁特別捜査官という立場にいることができた。


 写真は所轄署のベテラン刑事に手渡され、彼らはその写真をもとに犯人捜しをはじめる。


 警察庁特別捜査官には、犯人を逮捕するという権利は無い。あくまで捜査をするだけの捜査官なのである。逮捕を行うのは刑事の仕事だ。


「姫野さん、車で来た?」

「ええ。車ですよ」

「送ってもらえるかな」

「わかりました」

 姫野の言葉に私は頷くと、埠頭に停まっていた姫野の捜査車両を見つけ出して助手席へと乗り込んだ。


 能力を使うと身体のエネルギーを著しく失う。ちょっとした貧血状態のようになるのだ。身体は怠くなり、何もする気は起きなくなる。その失われたエネルギーを復活させるためにも、甘いものを摂ったりしなければならない。


 警察庁には、私と同じように特別捜査官の肩書きを持つ人間が数名いるという。しかし、私はその同僚たちに会ったことは無かった。直属の上司は警察庁長官であり、私へ仕事を回すのは特別捜査官補佐である姫野の仕事だった。


「久我さん、おつかれさまでした」

 運転席に乗り込んだ姫野がそう言ったが、私はその言葉に返事をすることもできないくらいに疲れ切っていたが、声を絞り出すようにして姫野に言った。


「パンケーキの美味い店があるんだ」

「わかりました。案内してください」


 私の言葉に姫野は笑みを浮かべると、車のエンジンをスタートさせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

unknown 大隅 スミヲ @smee

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ