本編

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 江ノ島スタンプラリーのため、ぼくたちは江ノ島に来ていた。

 大きな鳥居をくぐって、坂を上っていく。エスカーは使わずに元気よく江ノ島の石段を駆け上がって行く。途中でいくつかの謎を解きながら、ぼくたちは江ノ島スタンプラリーを楽しんだ。

 せいさとしも賢いから、スタンプラリーの謎はどんどん解けた。

 ぼくも琴子ことこ美月みつきも、星と聡に答えを聞いて、真剣に紙に書き込む。


「それで、この答えはなんだっけ?」

 ぼくがそう言って顔を上げると、みんな、いなかった。

 あれ? みんな、どこに行ったんだろう?

「星! 琴子! 聡! 美月!」

 呼んでみたけど、返事はない。

 ざあっと風が吹いて、緑の葉の音がした。

 ぼくはみんなを探しながら、石段を下りて行った。

 緑は濃くて、海はきらきらとしていた。

 だけど、ぼくの心臓はばくばくしていて、足はもつれそうだった。

 江ノ島は人が多いところのはずなのに、なぜか誰もいなかった。江ノ島の黒猫がいて、にゃあと鳴いた。いつもなら猫をなでて写真を撮ったりするんだけど、そんな気持ちになれなかった。

 みんな、どこにいるんだよ?



 気づいたら、岩屋のところまで来ていた。

 ごつごつした岩に波が寄せる。

 潮のかおりが強い。

 上を見上げると、関東ローム層が見えた。前、星が教えてくれたから覚えている。

 視線を下に移すと、洞窟が見えた。

 ぼくは引き寄せられるように洞窟に行った。

 誰もいない洞窟はひんやりとしていて暗くて、不思議な感じがした。前にも来たことがあるけれど、……こんな感じだったかな?


 ぴちゃんという音が聞する暗がりをゆく。

 なんだか、前に来たときよりもずっと、暗い気がする。夏なのに、ひんやりと冷たい。

 奥まで行ったら、龍がいて、そこで行き止まりのはず。

 ぼくは、水のしたたるる音を聞きながら、暗い洞窟を進んだ。足元の濡れた感じが、なんとなく気持ち悪かった。天井は低く、まるで押しつぶしてくるように感じた。

 それでも、何かに惹かれるように、ぼくはどんどん歩いて行った。


 すると、果たして、龍がいた。大きな宝玉を持った龍――なんだか、前見たときよりも大きい気がする。

 ぼくは龍をじっと見た。

 龍と目が合う。緑の龍の顔は何かを厳しく見極めるような目をしていた。

 少し、怖いような気がした。

 ――と、龍の黄色い大きな目が、光った!

 あまりの眩しさにぼくは思わず目を閉じた。――こんな演出、あったっけ?


 しばらくして目を開けると、龍の後ろに通路が見えた。

 あれ? 龍で行き止まりだと思ったんだけどな。

 ぼくは何かに吸い寄せられるように、奥へと進んだ。



 洞窟の中はどんどん暗くなりひんやりとし、それから足元の水がぴちゃぴちゃと音を立てて、なんだか嫌な感じがした。


 ぴちゃんぴちゃんと、上からは水が絶えず垂れていた。

 顔にかかったので、手でぬぐう。

 何気なく手を見ると――赤くて――血?

 まさか。

 気のせいだ、と思いながらぼくはどんどん奥へと行く。

 ほんとうは引き返したかったけれど、引き返せない。

 足ががくがく震えてきた。

 それでも止まることも引き返すことも出来ずに、震える足で歩き続けた。

 どうしよう。

 行きたくない。

 どうしよう。

 みんな、どこにいるんだよ。

 どこまで続くんだろう? この洞窟。

 前来たときは、こんなんじゃなかった、ぜったい。


 生あたたかい風が首筋を撫でた。

 また、ぴちゃんと顔に水滴が落ちた――水だ。……水だよね? 

 ぼくはその液体の正体を確かめることが出来なかった。息は荒く苦しくなり心臓の鼓動は身体を巡った。

 ぴちゃん、ぴちゃぴちゃ。ぴちゃん、ぴちゃぴちゃ。

 天井から落ちる水滴と、ぼくの足音が洞窟内に不気味に響く。

 ぴちゃん、ぴちゃぴちゃ。ぴちゃん、ぴちゃぴちゃ。

 そのとき、急に誰かがぼくの横を走り抜けたように感じた。

 がちゃがちゃがちゃ、と何か金属がこすれ合うな音がした。その音は、数を増してぼくの背後からひたひたと迫って来た。


 ぴちゃん。

 ぴちゃぴちゃ。

 がちゃがちゃがちゃ! がちゃがちゃがちゃ‼

 ぴちゃん。

 首筋に水滴が落ちた。

 ぼくは震える手で首筋を触ろうとして、触れなかった。

 水だ、水だ! 水に違いない!


 ぴちゃぴちゃ、と歩き出そうとしたとき、目の前にいかつい僧が現れた。

 黒い法衣を身にまとい、手には大きな数珠を握っていた。がっしりとした体躯で恰幅がよく、眉間には皺が寄り、目は鋭い眼光を放っていた。

 その僧は、静かな、でも太く強い声で言った。

「帰りなさい。ここは君が来るところではない」

「え?」

 ようやく、ぴちゃぴちゃと歩くのをやめることが出来て、ぼくはその僧をじっと見た。怖くて、険しく厳しい顔つき。……誰?



 ――そのとき、背後から野太い恐ろしい声が突き刺さった。

「おのれ! 文覚もんがく! 秀衡ひでひらさまの敵!」

 そして、ぼくの横を、鎧を身に着け弓矢が何本も身体に刺さった武士が、すごい勢いで駆け抜けて行き、いかつい僧に切りかかった!


 文覚と呼ばれたその僧は、ひらりと身をかわした。

 ぼくの後ろから次々に、落ち武者のような、ぼろぼろの武士ががちゃがちゃと鎧の音を立てて現れ、文覚に切りかかって行く。

「お前がいなければ、秀衡さまが死ぬことはなかったのだ! 秀衡さまの病はお前のせいだ!」

「秀衡さまは頼朝よりともに負けたわけではないぞ。お前が卑怯な術をかけなければ!」

「お前の怪しい呪術のせいで、秀衡さまは病になられたのだ! 秀衡さまさえ生きておられれば! 憎しや、文覚!」

「死ね! 文覚!」


 激しい戦いが繰り広げられる。

 鎧の音、刀の音。文覚がひらりひらりと身をかわしながら、呪文を唱える、その声。

 呻く武士。飛び散る血しぶき。

 ぼくは目の前で起こっていることが信じられず、動くことも出来ず、その場に立ちすくんでいた。


 ――と、一人の武士の目がぎょろりとぼくを捉えた。

「わっぱ! お主も、文覚の仲間かっ⁉」

 武士はぼく目がけて刀を振り下ろしてきた。


 ――切られる!


 そのとき、文覚の手から数珠が飛び、ぼくに切りかかった武士を捉え、地面にたたきつけた。

「逃げなさい!」

 文覚の声で金縛りが解け、ぼくは急いで来た道を戻った。


 ぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃ! ぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃ!

 これはやはり血なのだうか?

 上から落ちて来たのも、やはり血なのだろうか?

 後ろでは怨嗟の声のうねりが響き、その怨念がぼくの首筋を撫でて、引き戻すような錯覚にとらわれた。背中に伸びる無数の手が見えるような気がした。

 ぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃ! ぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃ!

 ぼくはとにかく、必死で走った。



 気づくと、洞窟の外にいた。

 頭上には青い空が広がっていて、先ほどの暗さがまるで夢のようだった。

大樹だいき! 探したんだよ。どこにいたの?」

 のんきな琴子の声がして、ぼくは心底ほっとした。

「あ、うん」

 ぼくは曖昧に返事をした。

 太陽の光が眩しい。

 文覚? 秀衡? 頼朝? ――頼朝は聞いたことがある、ような気がする。


「大樹、だいじょうぶ?」

 星が心配そうに言う。

「あ、うん。ねえ、星」

「ん?」

「頼朝って、誰?」

「鎌倉幕府を開いた人」

「へえ」

 星は歴史には強いんだ。五年生ではまだ習っていないことも、知っている。

「じゃあさ、秀衡って誰?」

「奥州藤原氏のことじゃない?」

 聡が横から言って、星も「そうだね」と言う。

「どうしたの、急に」

 星がそう言ったので、ぼくは洞窟の中のことを説明しようとした。

 だけど、舌が凍り付いたみたいにうまく説明出来なかった。


「洞窟に行ってみようよ!」

 琴子の明るい声がして、美月が「うん!」と言いながら、洞窟に向かう。

 星も聡も向かう。

 ぼくは「やめようよ!」と言いたかったけど、言えなくて、結局一番後ろでついていった。

 洞窟はさっきみたいな暗がりでもなく、ぴちゃぴちゃともしておらず、そしてやっぱり龍のところが最終地点だった。

「ねえ、この奥ってないのかな?」

「ないよ」

「そう?」

「うん、何度も来ているけど、ここまでだよ」

 琴子が知っているでしょう? というように、不思議な顔をして言う。


 ぼくは龍をじっと見た。

 さっきみたいに龍の目は光らなかった。

 あれはいったい、なんだったんだろう?

「ねえ、文覚って僧、知っている?」

 とぼくが訊くと、星と聡は、顔を見合わせて「知らないなあ」と言って、美月が「あ! それ、知っている!」と嬉しそうに言った。

「あのね、江ノ島に弁財天を持って来た人だよ」

「へえ、美月、よく知っているね」と琴子が言うと、「前に自由研究で調べたんだよ」と美月はにっこりと笑った。

「さすが美月」と星。

「弁財天って、何?」とぼくは美月に尋ねた。

「戦勝神だって!」


 ぼくたちは明るい青空の下、岩場を歩き、細い石の階段を上り、上に向かった。

 さっきの洞窟での出来事はまるで幻のようでいて、でもぼくの心にはくっきりと色濃く「これは夢じゃないんだ」という刻印が残っていた。

 ぼくは、落ち武者のような傷ついた武士の幻影を振り払い、石段を上った。

 暑い。

 夏の日差しが容赦なく、ぼくたちに照りつけた。

「のど渇いたー! 冷たいもの、飲みたい!」

 琴子が言って、みんな自販機へと急いだ。


 ぴちゃん、ぴちゃぴちゃぴちゃ。がちゃがちゃがちゃ。


 耳の奥で、微かな音が聞こえた。

 でも、ぼくは聞こえないふりをした。

 手のひらを見たら、うっすらと赤い血の跡があった。ぼくはズボンに手のひらをこすりつけ、みんなのあとを追いかけた。

 冷たい炭酸ジュースを飲んだら、炭酸の泡みたいに洞窟の中の出来事は空に溶けていくような気がした。





   了

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江ノ島岩屋の洞窟で 西しまこ @nishi-shima

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