【KAC20247】最愛の虹

肥前ロンズ

第1話

 雨がビルの間を縫うように降っていた。

 濡れたアスファルトは真っ黒になって、空は灰色の雲が覆っている。


 人のすすり泣きが聞こえる。

 故人とは大した関係を築いていないニンゲンが泣いていた。

 浅い涙だ。

 一番泣きたいだろう娘が、ぐっとこらえて立っていた。

 俺は知っている。

 今一番泣いている女は、看病から逃げたのだ。それどころか、継子にあたる娘に、家事や弟たちの面倒すら押し付けた。

 しかも、通夜という場所で、継子である娘を面倒を見る自分が全て夫の遺産を相続する、と言っている。

 呆れた。

 面倒を見ていたのは娘だ。気分がコロコロ変わる自分の面倒すら見させていただろうに。死人が何も言わないからって、よくもそんな恥を晒せるものだ。


 隣にいる魂は、悲しそうにじっと見つめていた。娘に重荷を背負わせてしまったことを後悔しているのか、それでも妻を愛してしまった自分の愚かさを哀れんでいるのか。

 はあ、と溜息をつきながら、オレはその魂を連れて、その場を離れた。



 人の死ほど、生々しい現場は無い。

 介護していた時の限界や、今まで受けてきた恨み辛み、カネや遺産の問題、実は愛人の子がいたとか、そういうことが色々吹き出してくる。

 死人に口なし。だけど、死後の魂は、それを見て何も思わないわけじゃない。時には悪霊化するものもいる。

 そんなニンゲンの魂を回収して、ひとまず地獄へ連れていくのが、死神オレの仕事だ。

 たまに気持ちいい葬式に当たることもあるけど、こんなサイアクな気持ちになるのもしばしばだ。

 会いたいなぁと、大好きな人の顔を思い出す。

 早く、あの子のもとに帰りたかった。




「おかえり!」


 とびきりの笑顔で迎えてきてくれるのは、オレの一番好きなヒトだ。

 そのヒトが笑う途端、なんだが世界がすごく彩る。

 オレはそのヒトを抱きしめて笑った。


「ただいま!」



■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪

 

『なー、オレ何時になったら休暇とれるわけー。そろそろ新婚旅行に行きたいんだけどー』


 オレがそう言うと、使い魔のカラスが『あと少しで休めますから』と告げる。


『そのあと少しってどれぐらい? ニンゲンの時間は短ぇよ?』

『ニンゲン換算でも少しです! 具体的に言えば、一週間後には休暇がとれます!』

『よっしゃ、やる気出た』


 オレがそう言うと、はあ、とカラスは溜息をついた。


『まったく、どうしてニンゲンを伴侶に選んだんですか』

『そりゃ勿論、Love


 グッと親指を立てると、ハー、と長い溜息を着く。


『せめてあと百年待ったら、あなたの伴侶も死神に昇格出来る可能性があったのに。

 結婚なんてその後にすればよかったでしょう。本当に好きなら、どうして永遠を捨てたんですか。アホですか? あなたなら、百年ぐらいガマンできたでしょうに』

『お前、すげえ言うじゃん』


 あなたのわがままに振り回されましたので、これぐらい言っていいでしょう。カラスはそう言う。


 他種族のものと交わってはならない。それがこの世界のルールだ。

 けど、異類婚姻譚が溢れているように、そんなカップルもそこそこ存在する。そのため、最近じゃ法の方を変えるべきだという論調が広まりつつある。

 だがその法が変わるのは、まだ先のことだろう。だから死後の契約をして同種族に生まれ変わらせて、その後に結婚することが多い。

 その前に結婚すると、罰としてその権利を奪われ、死んだ相手はすみやかに転生される。こう聞けば、確かに後者はリスクが高いように聞こえるだろう。



『けどそれって、人生の記憶全部まっさらにしてからだろ。それって別人じゃん』

『そりゃまあ、そうですけど。魂は変わらないんだから、記憶なんて関係なく愛せばいいのでは』


 そちらの方が純粋無垢で、よほど愛しやすいでしょう。

 カラスの言葉に、今度はオレが溜息をついた。


『お前、わかってないなあ。

 ニンゲンはオレたちと違って、変化していくんだぜ。毎日を塗り重ねて、自分を作っていくんだ』


 例え欲のまま、沢山の色を塗りすぎて、混ざってどす黒い色になったとしても、そこには確かな軌跡がある。

 それを全部奪ってから、「約束したんで結婚してください」なんて、あんまりだ。

 確かにニンゲンはちっぽけで、あっという間に死んでしまう。けれど、何時だって決断を迫られ、数多くある選択肢を自分で選んで進んでいく。

 少なくとも、オレが好きになったヒトはそうだ。


『それにさ、今を選んだのは、あの子なんだぜ。

 不確かな死後より、今確実にオレとの時間が欲しいって言ってくれたんだ』

『……理解不能です。苦しみのない永遠より、別離する悲しみを選ぶなんて』


 カラスの言葉に、オレも同意する。

 けど、それ以上に嬉しかった。

 限りのある時間を、オレを選んでぶちこんでくれることが、嬉しかった。



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 好きなヒトの首元に、顔を寄せる。

 トクトクと、脈の音が響いている。

 皮膚はほんの少し赤くなっていて、照れているのがわかった。

 生きているなあと思う。

 死んだ肉体とは違い、誰かの言葉に反応して、それを全てを使って、めいいっぱい伝えようとする。

 こんなにたくさん出したら、疲れちまうんじゃないかと心配する。けど、いつか終わるから、終わる前に、と、沢山のものを詰め込むんだろう。

 この温かさを知ると、寿命ゆえに欲張りになりすぎて失う人間を愚かだと断言するのは、オレには出来なくなった。


 愛しいなあ、と思うと、胸が締め付けられる。

 恋しいと寂しいは同じなんだ。オレはこの子に会って、初めて知った。


「どうしたの?」


 オレが何時までも抱きしめているから、心配そうに言ってきた。

 なんでもない、とオレは返した。


 それでもこの子がいると、全てが輝いて見える。

 この子が通ってきた道は、七色に輝いているんだろう。



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