とりあえず、ビール
此木晶(しょう)
とりあえず、ビール
草千里一里の疑問
本日は、無事に修羅場を抜けたことを祝っての居酒屋で一杯である。
「俺はまだ一つ締め切りが残ってんだが?」
黒崎が何か言っているが私には聞こえない。今の私に聞こえているのは、試練を突破した人の子を祝福する天上の讃美歌の如き旋律のみである。
「このやたらと鳥、鳥連呼するうるさいのがそう聞こえるんなら、一回病院行ってこい」
何を言う、素晴らしいではないか。
店主が、兎に角鳥が好きで好きで好きすぎて始めた、日本全国津々浦々の地鶏が食せる『鳥アエズ鳥』のテーマソングだぞ。テンション爆上がりではないか!!
「言ってろ。俺の方はだだ下がりだよ」
わざとらしく肩を落とす黒崎の手を引っ張って入店。無論予約済みである!
とりあえず、ビールである!
席に通され、お通しの鶏皮ポン酢が届くと同時にビールを注文する。鶏皮が絶品である。
早くビールが届くのが待ち遠しい。
ちびちび鶏皮をつまんでいたら、ふと疑問が過った。
何故、とりあえずビールと言うんだろうか。
別にとりあえずハイボールやとりあえず冷やでも良い気がする。
なあ、黒崎貴様はどう思う?
黒崎棺による蘊蓄
「とりあえず、ビール!」
最近はあまり聞かなくなったフレーズを草千里が叫んでいる。
メニューにあるのが全てトリ関連なのでビールで何ら問題はないが、一言確認を取れ? と思わなくもない。草千里相手に言っても全く意味はないだろうが。
お通しの鶏皮ポン酢を口に放り込む。
「旨いな」
思わず声に出た。
きちんと下ごしらえがしてあるのだろう。鶏皮特有の臭みや匂いがなく、身も締まっている。他のメニューも期待できそうだ。
「そうだろう、そうだろう」
何故か草千里がドヤ顔をしてくるんだが、無視する。旨いもの食ってる時位は解放してくれ。
貴様~、とかなんとか言いながら暴れる草千里に構わずにチビチビつまむ。
すると唐突に「何故、とりあえずビールと言うのだろうな? 黒崎どう思う?」質問が来た。
最近はさほど言わないと思うんだがね。などと口にしたら、串か何かが飛んできそうなので飲み込んでおく。
「そうだな。そもそも日本人が飲んでたのは熱燗だったらしい。それが高度成長期にビールに変わっていったって話だ。普通に考えればビールメーカーの努力の結果なんだろうが、それ以外にも店側が都合が良かったんだろうな」
熱燗だった理由も冷たいものは体に悪いと信じられていた時代の名残だっただけの話だ。拘る理由もなかったのだろう。
それに店側にしてみれば、熱しすぎれば香りの飛んでしまう熱燗は手間のかかるものだし、ハイボールも一手間かかる。ビールならジョッキに注ぐか、場合によっては瓶で出せばそれですむ。
特に高度成長期なんて猪突猛進遮二無二突き進んでいた今とは違った意味で時間に追われていた頃だ。少しでも早く客に提供出来るメリットは大きかったろう。
ここからは、完全に俺の想像というか推論だ。
ビールが日本に入ってきたのが大量生産に向く下面発酵技術が確立した後と言うのもタイミングが良かった。
実際、最初に上面発酵のエールが日本に持ち込まれたもののすぐに下面発酵のラガーの方が人気になった。常温で時間をかけて飲む香りや苦味の強いエールよりも、冷やして飲む喉ごしの良いラガーの方が日本人には合っていたらしい。下面発酵の技術がない状態でエールのみが入ってきていたら、恐らく国産のビール工場が建設されることもなかったのではないだろうか。
そう考えると、決して日本の気候に合っているとは言い難いスーツを着込んだサラリーマンが『とりあえずビール』と言いたくなったのもわかるような気もするな。俺は一般的な勤め人はやったことがないのであくまで気がするだけだが。
と言うような事を話してやっていたのだが、草千里の奴はほとんど聞き流しで後から注文したネギマや、ハツ、油壺、心残り、手羽を貪り食っていた。何でもスペシャルメニューの四種のチキンステーキが品切だったらしく、やけ食いだそうだ。もう少し味わって食えよ、なかなかここまで細かく食わしてくれる店ねぇぞ。
そんな事知ったものかと、『鳥会えず!』と叫ぶ草千里の口に烏骨鶏のつくねを突っ込んで黙らせる。
モグモグゴックンとつくねを飲み込んだ草千里が鷹揚に頷いた。うんうんとさも感心したと言いたげに振る舞っているが、お前自分から振っておいてほとんど話を聞いてなかっただろうが!
「黒崎が色々詳しいというのは分かった」
つくね、お代わり。と叫んで草千里は実に旨そうにジョッキのビールを飲み干した。
とりあえず、ビール 此木晶(しょう) @syou2022
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