雨を見上げて。

無頼 チャイ

雨の反抗軍

 駅の近く。コンビニの屋根にギリギリ隠れて、ペットボトル、カン、ビン、朝乃あさの りんが並ぶ。


 朝乃は空を見つめていた。いや、睨み上げているのかも。唐突だったものだから、うっかり空を睨んでしまった。そういう雰囲気をカマして、びしょびしょになった髪や制服などを気に留めまいと、努めて睨んでいるようだった。


 走る人、傘の人、笑う人や困る人。

 けれど、睨む人なんて、彼女だけ。


 雨に文句を流す奴はいるけれど、彼女のように、きっぱりと雨雲に反抗の意思をぶつける奴なんて、何人いるだろう。


「あ、夜久やく


 目があった。反対運動の前線にいる彼女と、目があってしまった。


「あ、トリあえずゴメンなさい」


 裏返った声に、耳が熱くなるのが分かった。


「とりあえず?」


 疑問符を顔面に擦り込むように、朝乃は言う。

 これがもし戦場ならば死刑か。雨ニ打タレヨと言うのか。朝乃の瞳孔に、不思議の色が滲む。


「もしかして、夜久も突然の雨に困った口?」


「はぁ、まあ」


「そっか……、えへへ」


 笑っていた。

 どうやら反抗軍のリーダーはご機嫌、なのかもしれない。

 朝乃とは同じクラスの同級生。だが、ここまで話すのは初めてだった。おはよう、と言われて、おはよう、って返すのが一番長かったはず。

 朝乃は僕と正反対。友達が多く、明るく、勉強は少し苦手で、国語が得意。

 友達が少なく、暗く、勉強は少し自信があって、数学が少し苦手な僕と、反対のはずだ。

 反対のはず、なんだけども。


「そっかそっか、雨に困ったか〜」


 と言う朝乃は笑顔で、明るさが増し、ちょっとだけ大人しくない。

 この人は、雨の反抗軍じゃないのか。濡れたから、雨を敵視しているんじゃないのか。

 睨み上げていたはずの目元は、すっかり緩んで、いつもの朝乃だった。

 茶の長髪、キリッとした眉、人懐っこい瞳、春風のような声、雨の匂い。


「なんで、笑ってる……すか」


「すか? あ、スカート」


 笑ってるんですか、って、クラスメイトに言うのはおかしい。よね?

 もしクラスメイト倫理なるものがあるなら、敬語を使うのはモラルに反するのか。それとも、あまり話さない相手には、平等に敬語から、なのか。そこらの正邪の判定が、今すぐにでも結果として欲しかった。

 欲しかったと、すごく思う。


「ひらひらのところ濡れてるでしょ。やられちゃったんだよね。雨に。雨ってすごいよね。真っ直ぐ下に落ちてるはずなのに、横から来たりしてさ。重力に従って落ちてるんじゃない、ってことなのかな」


 スカートの裾をいじりながら、何故か雨を褒める。なんで笑ってるんですか、なんてもう聞き直せそうにない。

 雨音に対して僕は反抗しようとは思わず、ぼそぼそと喋り続けた。

 こうしてみると朝乃は面白く、話題を提供したり、相槌は多めにしてくれたり、そして、横に来い、と手で招かれ、雨を眺めながら横に並んだ。


「夜久って面白いんだね。知らなかった」


「僕も、朝乃と話すのが、こんなに面白いなんて思わなかった」


 コンビニの、ゴミ箱が並ぶ横で、こんなにも話せるなんて、自分でも驚いていた。

 これは、朝乃のおかげなのか……。


「朝乃は、なんで空を睨んでたの?」


 ふっと、肩の力を抜いたと同時に質問した。


「雨の中、走って帰ろうかと思ったんだけどさ、風邪引きたくないなって。だからコンビニで雨が止むの待ってるんだけど、いよいよ、傘を買うべきか、って悩んでて」


 困った。そう言って、また雲を眺める。

 睨んでいたんじゃなくて、困っていたのか。

 それが分かると、途端に朝乃との距離が近く思えた。彼女は、多くいる人の、困る人なんだ。

 僕と同じだったんだ。


「あの、よければ何だけどさ」


「なに?」


「これ」


 鞄から取り出したのは、市販の風邪薬。

 日頃から念のためと持っていた。風邪を引いて下手に学校を休むと、よくないことが起きて、悪い噂が流れて、それで気まずくて学校に行けなくなるんじゃないか。そんな心配から持っていた。

 当然だけど、朝乃は反応に困っていた。こういうの、傘でも渡せば良いんだろうけど、僕は考えるより先に、風邪薬を渡していた。


「これ飲んで走れば、風邪引かないって、こと?」


「うん、まぁ……」


 いっそ笑ってくれ。自分で絞めた首なのだから、馬鹿にされるならそれでも構わない。

 さあ来い、朝乃は……、

 晴れ晴れとした、笑顔だった。


「良いね。風邪引かないなら、学校休むようなことにならなそ」


 鞄からペットボトルを取り出すと、早速と朝乃は風邪薬を飲んだ。ゴクゴクと、お茶で流し込んだ。


「よし! 本当にありがとう。これでようやく走れるよ」


 そうして彼女は、鞄を傘代わりに、コンビニの外へと飛び立った。

 僕は、彼女の背中が見えなくなるまで、ずっとコンビニの屋根の下にいた。


 僕は、彼女のことが好きなのかもしれない。


 雨は今も降り続いているけど、彼女が乗り越えた道だと思うと、雨の中を走るのも悪くないと、そう思えるから。

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