まにまに
ハヤシダノリカズ
秋の夕日が差し込む放課後の教室で
「タムケンどこにいるか知らない?」
不意に声をかけられて、僕はビクッと身体を跳ねさせた。物語を追っていた視線を上げると、少し離れた位置に菅原さんが立っていた。放課後のガランとした教室を見渡すと他には誰もいなくて、菅原さんが声をかけた相手は自分の席で小説を読んでいた僕に違いなかった。
「いや、知らない。どうせ、山田とその辺にいるんじゃない?」
僕は身体を跳ねさせた事に少し恥ずかしさを覚え、だけど、それをそうと菅原さんに思わせないように平静を装って答える。
「それは、たぶん、そうなんだろうけどさ」
菅原さんは僕に近づきながら言う。窓から射している秋の夕日の中に彼女の姿が映える。赤みを帯びた光が菅原さんの揺れる髪とスカートを照らしている。やっぱりカワイイな。ハスッぱな言葉遣いも魅力的だ。
「田村に何か用?」
「アイツ、一応生徒会の一員なんだよね。ヤマちゃんと仲がいいのは別にいいんだけど、会議を忘れてすっぽかすのは勘弁して欲しいよ」
「そっか、大変だな」
「タムケン、自由人なんだよねー。いや、バカなだけか。なんであんなバカが生徒会に入ろうなんて思ったんだろ」
菅原さんはここにいない男子生徒の愛称を口にする。僕が田村、山田と呼んでいるクラスメイトの名を。
「ノリだろ。何も考えてないさ、田村は」
「ってか、何読んでるの? 教室に残って一人っきりで」
「あぁ。今読んでる小説が面白くて」
「へぇ。
実好くん、か。苗字に君づけの距離感。田村と山田に少しだけ嫉妬する。そりゃあ、僕だって菅原さんを愛称やファーストネームで呼んだりできないんだけど。
「ん。まぁ、ね」
「どんな小説?」
「新幹線の中で殺し屋が右往左往する話」
「あ!もしかして、ブラッド・ピットが出てた映画のヤツ?」
「そう。それ。マリア・ビートル。伊坂幸太郎の小説だよ」
僕は開いたままに持っていた文庫本を閉じ、表紙を彼女に見せる。
「あー!見たかったんだー、あの映画。結局見そびれちゃったんだけど。ね、ね、面白い?それ」
前の席の椅子の背もたれに預けていた身体をぴょんと跳ねさせて、菅原さんは僕の机に両手をついた。フワッと漂ってきた彼女の体臭はなんだか甘い。
「本屋で買った時には帯にブラッド・ピットの写真がプリントされてたな。映画はどうなのか知らないけど、面白いよ、この小説」
邪魔になる帯は外してもう捨てたけど、菅原さんとの話のネタになるのなら、捨てなきゃよかったな。
「じゃ、読んだら貸してよ!読んでみたい!」
「え? あ、うん。いいけど……」
「マジ?やった!ありがとー!」
菅原さんは本当に嬉しそうに屈託なく笑った。
「田村の事はもういいのかよ」
幸せな時間を終わらせるような事を吐いてしまう自分の口が恨めしい。
「あ!そうだった。タムケン、探さなきゃ!」
「もしかしたら、体育館横の池の辺りにでもいるかもな」
「心当たりあるの?」
「いや、あの池の横には紅葉があるだろ?」
「それがどうかした?」
「『このたびはぬさもとりあへず
僕がそう言うと菅原さんはキョトンと目を見開いている。
「え、百人一首? 百人一首で駄洒落?」
お、通じた。生徒会に入るような女の子は百人一首くらい当たり前に知っているものなのか。
「あ、うん。まー、駄洒落だな」
「アハハ!おもしろいじゃん!ザネ!」
「ザネ?」
「そう、ザネ。
「お、おぅ……」
「それじゃ、池の方に行ってみる。じゃあね!」
菅原さんは軽く手を振って教室を出て行った。
『このたびはぬさもとりあへず
僕だって百人一首なんてこれしか知らないさ。菅原さんの事が好きだからこそ印象に残ってたなんて言えないな。トリあえず、ちょっと勉強して三十個くらい暗記しておこうかな。バレたら恥ずい。
ぬさってなんだろ。
まにまにってなんだろ。
小説もいいけど、読書の合間にでも百人一首を覚えてみよう。
合間に。
まにまに ハヤシダノリカズ @norikyo
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