僕には「トリあえず」が足りない。

脳幹 まこと

陰キャはリア充になれないと誰が決めた


 恥の少ない生涯を送ろうとしてきました。

 その結果がこのザマです。先行き不安な独り身が出来上がっております。

 頭の中は後ろめたさばかりがネチネチとタールのように絡みつき、解決できない問題を延々と考え続ける毎日。負の感情が高まれば、周りに見えないところで激情の嵐を巻き起こし、それがどうも頻繁に外に漏れ出ていたことを先日知りました。

 僕はともかく考え続けてきました。その時間だけはあったのです。暇人です。どこからこうなったのか、原因は何なのか、今から挽回できないか。そういったものをフローチャートにまとめました。

 そして分かりました。僕個人の見解において、これ以上ない結論でした。

「トリあえず○○してみよう」。これが足りない。行動に至るハードルの低さ。良い意味での向こう見ず、「ダメだったらダメだった時考えよう」という良い意味での丸投げが足りなかったのです。

 これがフランクさ・・・・・というものであり、陽キャと陰キャを分けるものなんだと分かりました。

 どうして僕は「トリあえず」をしてこなかったのか。これは簡単に浮かんできました。それをすると「底が知れる」と思っていたからです。僕は有能ポジションでいたかった。失敗のリスクを多めに見積もったのです。腕を組んで他人の何かを後ろで眺めているような、そういう存在になっていました。

 痛い存在でした。しかし、まだ要因はあります。他人が信じられなかった、悪意があると思っていた、声の大きい意見に惑わされた、みんなの中に甘んじていたかった、などなど……

 頭の中をフル回転させて、必死に打算的に生きようとしました。でもですね、いくらドッジボールで気配を消して狙われにくくなったとしても、最後の一人になったら絶対に矛先は向くんです。結局は背中にボコンと当てられるしかない。

 いくら自分の中の「有能(な可能性)」像を強固に構築しようが、必ず公開点検の時はやってくるんです。無能はさらけ出され、しかも大した反応があるわけでもなし。「君のような人はよくいるよ」なんて、こじらせ陰キャにとっては最悪の言葉です。なぜなら陰キャはマイノリティである自分を誇示したいのですから。大半みんなと一緒じゃ困るんです。

 長年、自分の秘密を隠し通そうとしてきました。でもある瞬間から急にどうでもよくなりました。秘密なんてものは実はない・・・・んだと悟った瞬間です。そうなると、もはや自分はマイノリティでもないし、有能でもありません。独りで手遊びをする根暗でした。夢は破れたのです。


 トリあえず、何かやってみよう。

 そう思って大学の同級生に電話で連絡しました。顔見知り程度であまり深い関わりはないのですが、「それなりに良い人」という印象があったので選びました。振られたらその時考えてみようと思いました。

 久方ぶりに聞いた声は当時の記憶とあまり変わりませんでした。相手は覚えているのかいないのか、微妙な反応でした。

「来月とか日が空いていましたらどこか旅行行きませんか?」

 それなりに緊張はしましたが用件を伝えました。

「週末だったら問題ないよー、あとせっかくだから何人か誘おう」

 恐縮です、とかお手数おかけしますとか、余計な言葉も言ってしまった感じもありましたが、無事に調整が出来ました。

 それからは数人で計画を立てました。ハッキリ言って最初に声をかけた部分がハイライトで、他はほとんど決めてくださったのですが……旅行中では無能を自覚するところもいくらかありましたが、慣れというのは恐ろしいもので、終盤は割と「しょうがない」と思えるようになりました。

 次もどこかのタイミングで旅行したいね、という話をして解散となったわけです。


 良い体験でした。

 しかし、読書したりレビューしたりする方が楽しいな、と思った部分もちらほらありました。多分「主役」になりたいとか「有能」になりたい、という思いは消えてはいないのです。

 プライドが低いと思っている人の過半数はプライドが高いです。つまり「負けを認めたくない」「公然とした負けを認めない」ための手段・・として、プライドが低そう・・・な態度を取っているにすぎません。

 それが良い事なのか、悪い事なのかは今の時点では分かりません。もっと「トリあえず」を重ねていけば、おそらく恥は多くなるでしょうし、表層は剥がれていくのでしょう。深層が光り輝く宝石だとは思いませんが、なんらか別の層が見えるのでしょう。場数を重ねれば自分の認識(有能か無能か)と周りの認識の差も狭まっていくのでしょう。能ある鷹は爪を隠すかもしれませんが、狩りの場数を積まなければ能ある鷹にはなりません。

 何にせよしばらくは、陰キャであることに変わりはないでしょうが、分かったことが三つほどありました。


 一つ、人をもう少し信じてもよさそうだ。

 二つ、わざとでもいいから表情筋を動かしてやると、意外とハイになれるものだ。

 三つ、こんなことを考えている間は、どうやら僕はたされているようだ。

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