「はなさないで」と言ったのは、きみだったのに。

みこと。

全一話

 外の吹雪が一層激しくなった夜。

 囲炉裏の傍で、一組の夫婦が静かな時間を過ごしていた。


 それぞれの手には黙々と、編み物籠と、繕い物。


 作業の手を止めることなく、ふと夫が呟いた。


「あの日も、こんな雪の夜だったなぁ」


「……何の話?」


 妻が応じて伴侶に問う。


「俺が昔、雪の姫に会った時のことだよ」


 ぴたり、と妻の針が止まる。


「雪の姫?」

「ああ」


 部屋の気温が急に下がった。

 燃えているはずの火は、チラチラと暖色を示すもその温度を失い、明るさだけをふたりに届ける。


「何年も前の猛吹雪の日。俺は山の作業小屋に閉じ込められてしまったことがあったんだ」


 照らされた横顔に揺らめく炎を映したまま、夫は過去を辿る。


「ろくに暖もとれず、命を覚悟した夜に、雪姫が訪れた。彼女は俺を見て、"生かしておいてやろう"と言いながら、寄り添って体温を分けてくれた。そのおかげで俺は翌朝、無事に山を降りることが出来たよ」


「……。雪姫はその時、何か言わなかったかしら」


「ああ、言ってた。よく覚えてる」


 懐かしそうに、夫は目を細める。


「"私のことをはなさないで・・・・・・"。あの夜、彼女は透き通るような白い肌に、夜より黒い瞳で、まっすぐに俺を見ながらそう言った」


「なら、どうして今、話しを──」


「なのに、俺が朝起きたらいなかったんだ」

「え」


「自分のことをはなすな、確かにそう言ったのに」

「っえ、ええ」


「だからいなくなった時は心から焦ったし、数年後、お前が"道に迷った"と言いながら俺の元に来てくれた時は本当に嬉しかった」


「えっと……?」


「約束したから。絶対離さないって。一目惚れだったんだぞ?」


 茶目っ気たっぷりに見つめてくる夫に、妻は戸惑いながら言葉を返す。


「待って、あんた。何か、意味が噛み合ってない気がするんだけど」


 そんな妻に甘えるように、夫はコテンと彼女の肩に頭を乗せた。


「はなすなって言いながら、どうして俺から離れて行ったんだよ……」

「~~~!!」


 今度こそ、妻は慌てた。


「そっちじゃ、ない! はなすな違い! 私が言ったのは、口止めの"話すな"の方で……! というか、あの時の雪姫が私だと気づいていたの?」


「当たり前じゃないか。惚れた相手なのに」


 夫は、妻の瞳を熱く見た。


「ゆき、愛してる。ずっと一緒にいような」



 北の国には、人間ひとと雪姫の熱愛物語が伝わっている。


 それは豪雪をとかし、春を呼び込む生命いのちの話。

 雪姫は、固く凍った心をほどかれ、後に子宝にも恵まれたそうだ。

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「はなさないで」と言ったのは、きみだったのに。 みこと。 @miraca

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