はなさないで【KAC20245】
めぐめぐ
はなさないで
「手をはなさないでって言ったでしょ! 何ではなすの、あんたって子はっ‼」
バシッ‼
まだぷっくりとした膨らみがある頬を叩くと、小さな体が床に転がった。
今年四歳になる私の娘だ。
私に叩かれた頬を真っ赤にしながら、甲高い泣き声をあげる。
泣き声の中に、ときおり、謝罪のような言葉も聞こえた気がしたが、まるで私を責めるような激しい声に、怒りがさらにヒートアップした。
「うるさい! 泣くな‼」
バシッ、バシッ‼
泣き止ませるために叩いても、娘はさらに泣き声を大きくするだけで、私の怒りと苛立ちが収まることはなかった。
「あんたが、ママの手をはなすのが悪いんでしょう⁉ 手を繋いで歩こうって、何回も……何回も何回も何回も何回も言ったのに、なんで分からない⁉ 手をはなしたら危ないの! 死んじゃうかもしれないのよ⁉ なんでママの言うことが聞けないの⁉」
何故私が怒っているのかを説明しても、小さな体全てを使って泣いている娘の耳には届いていない。
それがまた腹が立って仕方なかった。床をバンバン叩きながら怒鳴る。
「なんでママの手をはなすの⁉ いつもいつもいつもいつもいつもいつも、はなさないでって言ってるでしょ⁉ ママの手をはなさないでって、ずっとずっとずーーーーーーーーーーと言ってるでしょ⁉ なんで分からないのっ‼ ほら、言いなさい! もうママの手をはなさないって‼」
「うっ、えっ……まま、て、はなさ、ない……ううっ、えっえーんっ」
「何言ってるか、分かんねぇよっ‼ ほら、もっと大きな声で言え! もう外ではママの手をはなさないって言えよっ! ほら……ほらほらほらほらほらぁぁぁぁーーーーーっ‼」
バシンッ‼
いや、泣いている娘に腹を立てているんじゃない。
娘の存在自体が
――疎ましくて仕方なかった。
私は、いわゆるシンママだ。
当時付き合っていた彼氏との子を、若くして妊娠してしまった。彼氏は、私が妊娠を知ったと同時に消えた。
両親とは縁を切っていたから、頼れなかった。
一人で娘を産んで育てていた。
本当は、全てをやり直したかった。
私はまだ若い。やりなおせる年齢なのに、娘がいるからやり直せない。
新しい彼氏を作ろうにも、子どもがいると分かった途端、男たちは去って行く。
だから、娘が邪魔で疎ましてくて仕方なかった。
外に出ても私とまともに手を繋ぐことすら出来ず、すぐに何かに視線を奪われ、この手をはなしてしまうほど、落ち着きがない馬鹿な娘が憎かった。
娘さえいなければ、私は自由なのにと何度思ったか分からない。
若さも、時間も、お金も、自分のために使いたい。
もっと遊びたいし、男と付き合いたい。
娘さえ、いなければ――
そんなある日、私の願いはあっさり叶えられた。
娘が死んだのだ。
いつものごとく私の手をはなし、転んだ拍子に頭を打って死んだのだ。
あっけなかった。
私は過失致死罪に問われたが、起訴はされなかった。娘が手をはなし、勝手に転んで死んだからだ。
「だから言ったでしょ? 手をはなさないでって……」
骨壺に入った娘にむかって、私は囁いた。
近くにあった鏡の中の私は、ちょっとだけ笑っていた。
自由になった私は婚活を始めた。
私の過去を知って引く男は多かったけれど、その中で、私の過去を受け入れてくれる誠実な男性と出会ったのだ。
自分の不注意で娘を殺してしまったと泣きながら告白すると、男は同情し、娘が死んだ三年後に結婚した。
あの子の死がこんな形で役立つとは思わなかったから、少しだけ感謝している。
幸せだった。
夫との子もその一年後に妊娠した。
妊娠中はつわりが辛くて動けなかったせいで体力が落ちたのか、ずっとずっと右腕が重だるかった。
息子は無事産まれたが、右腕の重だるさはなくならなかった。むしろ酷くなっていく気がしていた。
しかし病院に行っても、体は健康そのもの。鍼灸や整骨院に通っても、変わらなかった。
なのに右腕のだるさは、年々酷くなっていく。
息子が五歳になったころにはもう右腕が上がらなくなっていた。夫も心配して色んな病院に連れて行ってくれたが、やはり異常はなかった。
今では、精神的なものかもしれないと、メンタルクリニックにも通い、薬を飲んでいるが、改善は見られなかった。
そんなある日、息子が私の右腕をジッと見ていた。
不思議に思い、息子に尋ねる。
「どうしたの? ママの右腕を見てるけど」
「あのね――ままのみぎてにずっとしがみついているおねえちゃん、だれ?」
「……えっ?」
何が起こっているのか理解できていない息子が、笑って言う。
おねえちゃん、
ずっとずっといっているよ――?
”ま ま
もう て はなさない からね”
<了>
はなさないで【KAC20245】 めぐめぐ @rarara_song
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