少年桜

真野てん

第1話

 むせ返る香のかおりに頭が痺れるようだった。

 少年は自らの主に手を引かれ、今日初めて『桜の品評会』へとやって来た。


白夜びゃくや、緊張しているのかい?」


 優しく主にそう問われた少年――白夜は、無言で首を横に振った。


 ここはとある資産家が所有する山中に建てられた洋館。

 二年に一度。

 桜の開花に合わせて品評会が催される。会場は国の内外から集まったセレブで埋め尽くされており、女人禁制の中、彼らの連れている少年たちは文字通り『華』であった。


「おお、結城ゆうきくん。久しぶりじゃないか!」


 主の来場に気が付いたひとりの老紳士が、気さくに声を掛けてきた。

 傍らにはやはり白夜と同じ年頃の少年が侍っている。

 少女と見まごうばかりの美形に、同性ながら白夜はうっとりとした。


「ご無沙汰しております、家元。長い間、不義理をして申し訳ありません」


「なんの、なんの。こだわりの強い君だ。満足のいく『桜』が育つまで、それだけの時間が必要だったというだけのこと。おお……彼が白夜だね? なんと素晴らしい枝ぶりだ……」


 枝ぶりとは、少年たちの発育、とくに肢体のたおやかさを指す。

 白夜の手足はそれほど長くないが、歪みのない素直な伸びやかさとうっすらと乗った皮下脂肪が特徴的だった。

 すべてはバランスが物を言う。

 まだ性別の曖昧な頃合いが、もっとも魅力的とされている――。


「何分咲きですかな?」


「七分咲きです」


 主がそう答えると、家元と呼ばれた老紳士は「ほほぉ」と目を細めた。

 十一歳を満開として、ひとつ年が下がるごとに奇数で咲き頃を数えるのが『桜』の習わしである。それ以下はつぼみとみなされ、品評会には出されない。

 娑婆において白夜は、今年九才になる。


「丸みを帯びた頬にほんのりと桜に染まった肌。見事ですな。触れてみても?」


 主が白夜の顔を見下ろすと、彼は小さくうなずく。

 にっこりと微笑んだ主の笑顔に、白夜はひどく恍惚とした。


「どうぞ」


 華に触れることを許された家元は、手の甲でそっと白夜の頬を撫でた。

 くぅ……と切なそうに鳴く彼の吐息に、周囲で談笑をしていた男たちも「何事か」とこぞって集まって来る。


「おお……なんと甘露な。淡い果実のごとき柔らかさ、それでいて絹のような肌ざわり。腕を上げましたねぇ、結城くん。一門を背負って立つ日も近いのではないか」


「いえいえ。まだ修行中の身です。家元にそこまでご評価いただき、汗顔の至りです」


 白夜は主が褒められ、そして自分もまた主に褒められて満足だった。

 頭を撫でてくれる大きな手が、安心と至福を与えてくれる。


 しばらくの歓談の後に、会場内がざわめいた。

 歓喜の中心にいるのはひとりの少年である。彼は薄衣を一枚まとった姿で、大理石で出来た壇上に立っていた。

 その肢体は神々しさすらたたえており、その場を支配している。


「彼が噂の……」


「そうだ。関西の桜聖おうせい・堺氏の最新作『みやび』だ。今回の注目作というヤツだな」


 雅と呼ばれた少年の妖艶さといったらなかった。

 長いまつげに切れ長の瞳。

 まさに華満開。全身から匂い立つような色香に、大人たちは熱狂する。


「二億出す! ぜひ雅を私に!」


「何をこしゃくな! 堺さん、私はこの子に三億出すぞ!」


 不穏な言葉が白夜の耳を通り過ぎて行った。

 壇上に立つ少年・雅は、そんな大人たちの声など気に留めた様子もなく超然としている。


「ははは。皆さん、落ち着いてください。まだ競売の時間じゃありませんよ。じっくりと我が自信作を愛でてください」


 そう言って少年の肩を抱くのは、彼を育てた本人である。

 桜聖の称号を持つ、関西の実力者、堺氏。

 この世界ではまだまだ若い部類に入るが、その育成手腕は折り紙付きだ。


 大人たちの声が怖い――。

 急にこの会場が恐ろしくなった白夜は、ギュッと主の手を握る。それに気付いた主は、白夜の目線に合わせるように膝を折った。


「どうした?」


 主を困らせてしまった。

 白夜が胸の裡を明かせぬまま黙り込んでいると、主は彼の小さな身体を包み込むように抱き締めてくれた。


「大丈夫だよ。ずっと一緒だ。ずっとね……」


 言葉を交わさずとも伝わった想いに、白夜は涙が出た。

 主の大きな手はいつも温かい。

 だからお願い――。



 ここは華愛はなめづる紳士の社交場。

 知る人ぞ知る聖域である。

 見ごろを終えた『桜』たちは、散るまでが芸術とされている――。

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少年桜 真野てん @heberex

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