はなせないよる
於田縫紀
はなせない夜
「ごめん。今日も泊まらせて貰っていい」
扉の向こうから聞こえたのは、大学時代の後輩の陽菜の声。
「はいはい、どーぞ」
扉をあけてやる。
陽菜がこの部屋に来るのは6ヶ月ぶり5回目だ。
どうせまた振られたか何かだろう。
そう思いつつも私は彼女を招き入れる。
「それで夕食は? 何か買ってくるか、出前でも取る?」
私は基本的には職場近くでさっと食べてくる派。
だから冷蔵庫の中には調味料くらいしか無い。
「買ってきた。一緒に食べる?」
「いいの?」
「うん、やけ食いするつもりで買い込んできたけれど、冷静に考えるとちょっと多すぎるから」
ディパックの中から出てきたのはパン、パン、パン……
どれも見覚えがある。これはきっと……
「スーパー爾来屋のタイムセール?」
「正解。お金が無くても一杯買えるから」
閉店間際にインストアベーカリーのパンを半額以下に値下げするのだ。
なので私も生活費が厳しくなるとまとめて買って冷凍したりする。
私の胃袋だと2個でお腹いっぱいになるので、500円分くらい買ってくると1週間近く持つのだ。
しかし陽菜が出してきたパンの数は、いちのにのさんの……合計20個。
これは……さすがに……
「紅茶を入れるけれど、全部は食べられないでしょ、これじゃ」
「うん、今出してみてそう思った。買ったときは全部食べてやるってつもりだったけれど、冷静に考えると無理」
わかっているなら別にいい。
冷凍するなり持ち帰るなりすればいいから。
平べったいフライパンならやかんより早くお湯が沸く。
ティーパックをふりふりして2個分のカップに紅茶を入れて、そして陽菜がいるテーブルへ。
「はい、どーぞ」
「ありがとう。あとパン、好きなのをどうぞ」
「ありがとう」
フランスパン生地のあんパンを一個とって、そしてがしっと囓る。
うん、激安だけれど味は悪くない。程よくしっとりしていて私は結構好きだ。
「それで陽菜は落ち着いた?」
何があって、どうなって、そしてここへ来たかは聞かないし話さない。
それが2年前、私と陽菜が決めたルールだ。
お互い面倒な思いをするし、素直に吹っ切れなくなるから。
だから私は落ち着いたかどうかだけを聞く。
そして陽菜は頷く。
「うん。ただちょっと一人だとまだ夜が怖いから、一緒に寝ていい?」
「はいはい、どーぞ」
この辺、毎回の会話だったりする。
つまりまあ、私も陽菜も進歩がないという事だ。
でもまあ同じ会話、同じ状態というのは安心出来るものでもある訳で。
だから今の陽菜にはそれでいいだろうと思う。
◇◇◇
結局消費できたパンは、20個のうち3個だけだった。
残りは冷凍庫に入れて明日以降の食事。
交代でシャワーを浴びて、そして就寝。
私は仕事があるので夜が早いし、陽菜もその事は知っている。
陽菜は4年だから、1限の授業は多分ないと思うけれど、その辺は、私にあわせて貰うという事で。
安物シングルベッドでも私と陽菜なら充分並んで寝られる。
枕は一応2個あるから問題無い。
1個は2年前、陽菜が持ってきた物だけれど。
「今日も手を繋いでいてもらっていい?」
「いいよ、どうぞ」
実はこれも毎回同じだったりする。
「ありがとう。それにしても、どうして上手く行かないんだろう。異性の彼氏がいるのって、きっと普通だと思うのに」
「どうだろう。実際はそう普通でもないんじゃないかな。何処かの結婚情報サービスによると、異性と交際経験の無い20代男性は46.0%、女性も29.8%いるらしいから」
「先輩もそんなものやろうとか思ったりするの?」
「私自身にその気はないけれどね。実家から電話だので言われたりするんだよね、最近」
「うわっ」
陽菜はそう言って、しかめっ面をする。
この角度からは見えないけれど私にはわかる。
「私も2年くらいしたらそう言われるのかな」
「その時はその時でしょ。どうなりたいと思っても出来るかどうかは運と状況次第だし」
「そんなものかな」
あとは持って生まれた性格、もしくは趣向。これが難しい。
変えられるものならいいんだけれど、結構偏屈で変えられるものじゃない。
だから私は足踏みしている。
ずっと同じ場所で。
陽菜からそれ以上の言葉がない。
かわりに寝息がすうすう聞こえる。
どうやら眠ってしまったようだ。
ならちょっとちょっかいを出してしまいたくなるけれど、それは我慢。
ちょっとでも手を出すと、止められなくなりそうだから。
どうにかするべきなのは陽菜じゃなくて私自身なのだろう。
陽菜から離れられない、何かあると受け入れてしまう私自身。
この気持ちは陽菜には話せない。
陽菜が普通を目指している事は知っているから。
だから今の私に出来るのは手を離さないで握りしめている事だけ。
本当は手を離せないだけかもしれないけれど。
はなせないよる 於田縫紀 @otanuki
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