朝の教室
入間しゅか
朝の教室
一番乗りだ。誰もいない教室は朝日に優しく照らされて細かいホコリがきらきらたと宙に舞う。
「おはようございます!」誰もいないけど、元気に挨拶。私は席について化粧鏡を取り出す。慣れてない化粧。アイシャドウは濃淡がなく目が小さくなっている。おばさんくさいな。
「誰も来ないね」独り言は教室の静けさに吸い込まれる。グラウンドでは朝練する野球部員の声が聞こえてきた。
夏。野球部の先輩に恋をしていた。野球部は市内の大会に負けたため、早々に三年生の先輩は引退することになった。帰宅部ながら先輩目当てに試合を見に行った私はあまりの惨敗ぶりに唖然とした。うだるような暑さとセミの鳴き声。
一礼してベンチにさがる野球部の姿に保護者と思われる女性の一団が労いの言葉をかけていた。
先輩は試合に出場せず、伝令として監督の指示を伝えに何度かベンチとグラウンドを行き来しただけだった。
「俺頑張るから見ててくれよ!」試合前に先輩はベンチから出てきて、客席に向かって叫んでいた。観客席にいた同級生と思われる数人の男の子たちが「お前伝令だろ!」、「勝てるわけないやんけ!」とはやし立てていた。
他部からの助っ人で何とか人を確保した野球部が勝てる相手など、いるはずがなかった。
先輩はそんな零細野球部の中でも、レギュラーになれなったのだ。しかし、先輩は一番部活を愛していた。
部長を引き受けて、広報活動、部員集めに奔走した。陸上部、卓球部、相撲部、人形劇部。文系、体育会系問わず人をかき集め、六人だった野球部を試合に出れる人数までにしたのだ。小柄でひょろひょろの先輩。誰よりもひたむきで野球を心から楽しんでいた。
私は一年生の時に先輩に声をかけられた。
「やあ、そこのお嬢さん!野球部のマネージャーにならないかい?」なんだ?こいつ。それが私の先輩への第一印象だった。先輩は矢継ぎ早に野球部の魅力を語った。口を挟む余裕がない私はこくりこくりと頷くのがやっと。
断りきれずに見学までした。その時、野球部は当時の三年生が引退したら、残りが六人だけになるという厳しい状況だった。だから、あんなに必死だったのか。
私は野球部には入らなかった。かわいそうだからという気持ちで入部するのは彼らに失礼な気がしたからだ。特に先輩の必死さに応えられるような情熱を私はなにかに抱いたことがなかった。その後、私は先輩が至る所で部員、マネージャー募集をしている姿を見た。
いつしか、学校で彼を探している自分がいた。
そして、今日誰よりも早く教室に来たのは、部を引退してもなお、先輩が現部員より早く来てグラウンドの整備をして、朝練が始まると部員たちから距離をとり素振りをしていると知ったからだ。
メイクなんてまだ慣れてないのに。鏡にうつる自分の顔は間抜けだ。何かになりたいと思ってこなかった顔だ。
先輩が好きだけど、先輩には私は見えてなくて。グラウンドからは野球部の朝練の声。
あ、思い出した。
先輩に渡された部員募集のチラシ。
手書きで野球選手のイラストと部の詳細が書かれていた。下手な絵だったな。でも、下手なりに手間ひまがかけられていたな。
先輩は野球を誰よりも愛していたのに、野球の才能はなかった。
ひょろひょろで小さくてお世辞にもかっこよくない先輩をみんな小馬鹿にして笑ってた。
きっと彼が怖いんだ。必死になれる彼が。
私も怖い。無駄だと言われても頑張る彼が怖い。
だから、もっと知りたかった。どうして頑張るの?って訊きたかった。でも、私はグラウンドを誰もいない朝の教室から眺めているだけ。素振りをしている先輩がグラウンドの端にいた。誰も彼を気にとめない。私だけはあなたを見てます。メイクはまだまだ下手くそだけど、もっと上手になるからね。
話かけられなくてごめんなさい。怖がりでごめんなさい。涙が溢れそうな瞳。ひとりぼっちの教室で、グラウンドから朝練の声。
朝の教室 入間しゅか @illmachika
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