さかむけにはクリームを ささくれにはヨシハルを
「今日ね、おばあちゃんが来て……、いたっ」
喋りながらサマーセーターを脱ごうとしたら、セーターの繊維が指先にひっかかり、痛みが走った。よく見れば親指の爪の根元の皮膚がちょびっとめくれている。めくれたところがちょびっと赤い。
「ん?どうした?」
ソファで寝っ転がっていたヨッシーが顔だけをこっちにむけた。私は、ほらっと右手をヨッシーに見せる。
「脱ごうとしたら、さかむけがひっかかって、むけちゃったみたいなの……」
「ほんとだ。ささくれを切るハサミなら、サイドボードのとこにある小物ケースの中にあるから……」
ヨッシーが壁側にあるサイドボードを指さす。
「ささくれを切るハサミ? そんなの嫌だわ」
私は眉をひそめた。
「ん? なんで? 噛んだり、ひっぱったりするより、ハサミで切った方がいいよ?」
「だって、そのハサミ、タンスの棘をきるやつでしょ? それでさかむけを切ったら黴菌がはいるじゃない。ありえないわ」
「ん? なんでタンスがでてくるんだ?」
ヨッシーが首をかしげる。
「だって、ささくれを切るハサミなんでしょ?」
「ん? …………、もしかして、ユカリ、ささくれのことを誤解していないか? 君の爪の根元の皮膚がめくれているそれもささくれだよ?」
「さかむけがささくれ?」
私が納得いかない顔をしていたら、ヨッシーがネットで検索をし始めた。
「ささくれ、さかむけ……、あっ! あった! 『さかむけ』は主に西日本で使われている言葉で、『ささくれ』は東日本か。ユカリって西日本の人だっけ?」
「ううん。生まれは東京だよ。……、でも、おばあちゃんは長崎だって言っていたわ」
「おばあちゃんって、……あの?」
「そう、あの! 今日もきて、あれこれ言うものだから、心がささくれ立ったわ」
「ユカリってさ、そういう時は『さかむけたった』ではなくて『ささくれ立った』っていうんだね」
ヨッシーはタブレットから視線を外すと、にやりと口角をあげた。
「なによ? あげあしとり??」
私は思わずむうっと頬を膨らませた。おばあちゃんにあれこれ言われて心がささくれ立っていた私は、ちょっとしたことでもひっかかってしまう。
ヨッシーは立ち上がると、小物ケースからささくれを切る爪切りバサミをとりだして、わたしの右手を掴んだ。そして、パチンとさかむけを切ると、そっと手の甲に口づけをした。
(??)
私がびっくりして手をひっこめると、ヨッシーは「クリームはどこだったかな?」と頭をかきかき、部屋の中を探し始めた。ヨッシーの耳がちょっと赤いのを見つけて、私はささくれ立った心が落ち着いていく。ヨッシーがどこからかクリームを持ってきた。そして、「ちょっとしみるかもしれないけど、ちゃんと洗ってからクリームを塗ろうね」と私の手をひいて洗面所に連れて行く。
(まるで、お姫様みたい……)
ヨッシーの大きな手が優しく私の指を洗う。そこまでしなくてもいいのにって思ったけど、そこまでしてくれることに心がふわふわしてくる。
(たまには、こういうのもいいかもね)
ふふふっとヨッシーに気づかれないように笑った。
ヨッシーが優しく優しく、右手にクリームをたっぷり塗っていく。たまに、ちゅっと私の頬に口づけをする。…………、すっかり、私の心のささくれは蕩けてなくなってしまった。
◇
クリームを塗り終わった私の手にはヨッシーが入れてくれた桜ラテがはいったマグカップがある。ヨッシーは抹茶ラテだ。ヨッシーはしばらく抹茶ラテを眺めていたけれど、ふいに私の方をみた。
「なあ、ユカリ……、言葉って不思議だよな。……、うまく言えないけど、普段何気なく使っている言葉には、自分が住んでいる場所だけじゃなくて、自分の祖先の住んでいた場所の記憶がはいっている。そして、未来にも繋がっていく……」
「? 何言っているのか、よくわかんないけど?」
「俺もよくわかんないよ。でも、きっと、俺たちの子どもは『さかむけ』って言うんだろうなってことさ」
おしまい
【KAC20244】桜始開(さくらはじめてひらく) 一帆 @kazuho21
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