雪とビールとレザージャケット
浅里絋太
雪とビールとレザージャケット
コンビニで小瓶のビールを買うと、僕は外に出た。それからラッパ飲みしはじめる。
胃の底があたたかくなり、するとやっと、街がやさしくなる。
田舎町の駅前。正月の一月三日のわりには、人が歩いている。
吐く息は白くなり、唇がひりひりする。
生まれ変わったばかりの街。
そんな街並みをぼんやり見ていたからか。
ビールの雫が落ちて、僕の黒いレザージャケットを濡らす。――レザージャケットはあちこちが汚れ、ささくれている。神様に慈悲があるなら、このレザージャケットを、ぴかぴかにしてほしいものだけど。
瓶をゴミ箱に入れて、街を歩きだす。
雪が降るかもしれない、なんて言われているだけあって、風や雲はきらきらと輝いている。
やがて道の先に、男女の二人組が歩いていた。
仲が良さそうに腕を組んで笑いあう。
なんて偶然だろう。僕はこっそりと身を隠して、女の方を見る。
この世でもっとも慈悲深く、かわいらしく、やさしい女。――こんな僕をいっときでも、愛してくれたのだから。
彼女にも祝福を。ついでに、だんなさんにも。つぶやいてまた、僕はゆっくりと歩きだす。
スナックの前で待っていると、昔の高校の仲間がぞくぞくと集まってくる。知り合いの店を開けてもらって開催する、小さな同窓会だ。
やってくるみんなが、僕に声をかけてくれる。
「よお、お待たせ! ユウ!」
「ユウ! ひさしぶり!」
十人ばかりの男女が、スナックへぎゅうぎゅうに入る。
あたりは喧騒に包まれる。
「ユウ、元気だったか?」
そう聞いてくるのは、東京で弁護士をしているトオルだ。メガネをかけ、でっぷりと太っていた。僕は笑顔で、
「元気だよ。仕事があればさらに言うことなしだけどね。おまえは?」
するとトオルは鷹揚に手を広げて、
「こんど新しい事務所の所長に任命されてね。どたばたしてるよ」
「へえ、すごいや。おめでとう!」
そうしてトオルとグラスをぶつけてカンパイする。
トオルは続ける。
「みんな、いまじゃばらばらだけど。それぞれ、なんとかやってるみたいで」
「ああ。そうだね。ほんとすごいよ」
そこでトオルは思いついたように、
「そうだ。なにか、歌ってくれよ!」
すると、それを聞いた他の仲間も、
「ユウ、頼むぜ」
「え、わたし聴きたい。歌、すごくうまかったよね!」
だれかがカラオケのリモコンをいじる。
僕は高校時代に流行ったやつを歌いはじめる。
とたんに静かになった。みんな目をうっとりとさせて、体をゆり動かしてこっちを見る。
「ほんと、おまえは、最高だよな! なにも変わってなくて、ほんとによかったよ!」
トオルは肩をばんばん叩いてくる。
なにか、体の芯のあたりが痛くて。
僕はマイクを置いて、隅の椅子に腰を降ろす。
二次会で行ったバーでも、僕は教師のものまねや、ちょっとした手品を披露して、みんなを楽しませた。
会は終わった。
レザージャケットをはおり、また夜の街に出る。
「待てよ、ユウ」
と後ろから声をかけてきたのは、トオルだ。
「え、どうしたの?」
するとトオルはカバンに手を入れて、灰色の巾着袋を出した。
「おまえさ、革の手入れとか、ちゃんとやってるのか?」
「え、いや。――あんまり、やってないな」
「よし、これで、なんとかしろよ」
するとトオルは、巾着袋を開けて、ブラシや缶入りのレザークリームを見せてくれた。
「これ、やるからよ」
「え、悪いよ」
「いいから! きょうデパートで買ったんだけどさ。なにかの縁だよ。ホラ、遠慮するなって」
僕は巾着袋を受け取って、その紐を左の手首に絡める。そして両手をジャケットのポケットに入れて歩きだす。
口笛を吹いて、騒ぎ立てる若者を追い越して、冷たい風とすれ違い、歩いて行く。
コンビニに立ち寄って、小瓶のビールを二本買って、レジ袋に入れてもらう。
最高の夜だった。
そこに、ほつりと、白い雪が舞い落ちてくる。
しばらく歩くと、公園にたどりつく。
街灯の下の木のベンチにちょっと座る。
そこで僕はビールを手に取る。ビールがあればなんの問題もない。
左手の紐の先にある巾着袋を見ると、思わずうれしくなる。これでレザージャケットを磨き上げよう。ありがとう。
ビールをいくらか飲むと、腹の底があたたくなった。
粉雪は街灯の光を含んで公園を包んでゆく。なんて美しい夜だろう。
冷たい膜の向こうには遠い星が輝いて。
街灯に祝福を。トオルに祝福を。過去のあらゆる出会いに祝福を。
二本目のビールを飲みはじめる。ちっとも寒くなんてない。うっとりと、眠っちまってもいいくらいで。
ああ、風が吹いて粉雪が逆巻く。
雪の夜はこんなにもあたたかく美しいのに、僕のレザージャケットは。
雪とビールとレザージャケット 浅里絋太 @kou_sh
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