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叙述の身体感覚とクオリアについて思ったこと

いつも応援ありがとうございます!
カクヨムコン、盛り上がってますね。
今日はちょっと風邪気味で、なにもできませんでしたが、、
物語を編む気力が湧かないので、、


今回は『叙述の身体感覚とクオリア』について書いてみます。
僕はこう思いますって話として、、


日頃カクヨムしている中で、引き込まれる瞬間があると思います。
そんな中で、叙述自体に引き込まれるときって、どんな力が働いているのか、気になりませんか?

引き込まれる、生々しい、と感じる、あの瞬間。それを少し、掘り下げてみたいな、と思ったのです。


▼身体感覚とは

純文学系の賞にチャレンジしていたときは、選考作品のレビューなどで、『身体感覚がよい』みたいな文章をたまに見たものです。

言葉の身体感覚ってなんなのでしょうか?

それはきっと、『言葉がクオリアを経由して、その人の感覚記憶を呼び覚ます』ことだと思うのです。

読んでいて、ゾワワーっとさせたり、見てらんない!って思わせたり。この上ない喜びや温もりをもたらしたり。そんな感覚記憶を刺激できたら、成功だと思うのです。


▼クオリアとは

クオリアというのは、脳科学における、『質 Qualia』であります。
脳に認識される、言葉による説明の奥にある、一番本質的な『認識の根源』であり『像』とも呼べるものです。

たとえば、『赤』という言葉を聞いたとき、🟥この色を思い浮かべるでしょう。または、赤いポストを見た人は、その色から様々なことを想起すると思います。

このとき、その人は赤い色を見た、などの概念を、根源的な身体感覚として体験します。

入力刺激(文章、視覚、音、語感)がどのようなものであれ、最後に人間が心を動かされるのは、身体感覚の記憶、ってことなのです。
そして、もっとも根源的な感覚の質、というものが、クオリアです。
ある意味、叙述とは、読者のクオリアを刺激し続けるべく積み上げるものだと思います。

逆にどんなに言葉を積み重ねても、『身体感覚』を呼び起こさないと、滑っていって、弱いってことなのです。


▼文章の身体感覚の強化

身体感覚のある文とは、『意図と具体性』がある文だと思います。

僕の例文で恐縮ですが、『メ』の神謡 から引用します。

https://kakuyomu.jp/works/16818093089183961739
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 遥か後ろの広間からはまだ女の叫び声が止まず、レンガが崩れ落ちる音や金属がぶつかり合う音がこだました。
 土を固めたレンガのかさかさした臭い。松明の焦げる臭い。血のすえた臭い。そのいずれの感覚も現実だとは思えなかった。正気を保つ事は簡単だった。自らの感覚を放棄すればよいのだ。
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五感を織り込んで書くというのは、基本的なテクニックだと思います。
そこに加えて、僕は意図と具体性を入れるように工夫しています。

意図 追われている、破滅の感じ
具体性 意図を引き立てる優先順位での具体的な描写

これらを組み合わせることで、『シーンのリアリティ』を描けるのかな、と思っています。

あらためてシーンのリアリティは、『具体的事象の、叙述の順序』が重要だと思うのです。


▼憑依

僕が意識していることとしてもう一つあります。
それは、執筆時の憑依感覚です。
当たり前かもしれませんが、文章を書くときに、『あたかもそのキャラの、そのシチュエーションと同じ精神状態』に憑依して、記していきます。
すると、前述のクオリアの叙述がさらに、迫真をおびると思います!
そうして憑依して書いた箇所と、そうでなく流れで書いた箇所は、段違いですね。



今回は脈絡もなく、叙述の身体感覚とクオリアについて書いてみました!
みなさん、どう思われるでしょうか?

『短編小説の書き方について』などにまとめるかもしれません。(短編小説限定の話ではないですが)
https://kakuyomu.jp/works/16818093083144801998


引き続き、カクヨムコンを駆け抜けましょう!

2件のコメント


  • お風邪が早く治りますように。
  • 結音さん
    励ましのお言葉、ありがとうございます!
    結音さんも風邪にはお気をつけを……
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