戦いは終わらない

真野てん

第1話

 それは他愛もない休憩時間の会話から始まった。


「痛ッ!」


 ひとりの男子生徒が悲痛な叫びをあげる。

 昼食も済ませ、多くのクラスメートがまどろみの静けさのある中、彼の声が教室に響き渡るととなりの席でファッション雑誌を読んでいた女子生徒が「どうしたの?」と聞いてくる。


「や、動画観ながら指掻いてたら、出来ちゃってさ」


「ああ痛いよね~、


「え?」


「え?」


 ふたりは顔を見合わせて、お互いに「どうした?」という表情をしている。


「ささくれだよ?」


 男子生徒は手元のスマホを一旦机に置くほどに気持ちを持っていかれている。

 一方、女子生徒のほうも雑誌から目を離した。

 キレイに整えられた笹の葉眉を吊り上げて、彼の発言を全力で訝しむ。


「いやいや、さかむけだから。は? ささくれ? パンダじゃないんだから」


「誰も笹が欲しいとは言ってねぇよ」


「ねえ、みんなー。コイツがささくれとか言うんだけど、さかむけだよねー?」


 女子生徒が教室内に質問を投げ掛ける。

 銘々が自由に昼休みを満喫していた彼らだったが、にわかに空気がピリ付くのを感じた。


「うちの地元じゃ、って言うぜ」


 ガタイのいい坊主頭の野球部員が律儀に手を挙げてそう言うと、堰を切ったように教室の中で論争が巻き起こる。

 羞恥心から普段は控えている方言も飛び交い、発言は次第に熱を帯びていった。

 小中学校と違い、高校ともなると親元を離れて地方から進学した生徒も多い。

 普段は気にしないことだが、日本語の多様性というものを痛感する。


「皮がむけてささくれるんだから、ささくれだろうが!」


「ささくれる前にむけちゃってんじゃん! だったら、さかむけじゃん!」


 多少のイレギュラーはあるものの「ささくれ」と「さかむけ」の二派がやはり強い。しかしそんな彼らの醜い争いを横目に、ひとりの生徒がドヤ顔で立ち上がった。


「おまんらは全員間違っちぅ。正解は――ぜよ!」


 さかもげ――。

 あまりにも耳慣れない単語に教室のざわめきは一掃された。しかし次の瞬間、


「ねえわ!」


「聞いたことない!」


「なんだよ、もげって!」


 地元愛溢れる方々には申し訳ないが、こうして「ささくれ」「さかむけ」論争は終息を迎えたかに見えた。

 その陰にはひとりの勇気ある発言があったことを忘れてはならない。


 キーンコーンカーンコーン。

 タイミングよく予鈴が鳴り、午後の授業が始まる。


「はい、起りーつ。席つけよー」


 ガラっと引き戸が開いて、教師が現れた。

 授業前のあいさつをいつにないチームワークで手早く済ませた彼らは、ついさっきまでの論争を身近な人生の先輩である学校教諭に聞かずにはいられなかった。


「先生! こういう爪のところに出来る痛いヤツなんて言います?」


「は? なに言ってんの急に」


「いいから、答えてよ!」


 教師は生徒たちの異様な圧力にたじろいだものの「爪のところって――」とつぶやきながら、自身の指先を見た。


「ああ、これな――だろ?」


 すいばりぃ?

 生徒たちの頭の上に巨大なクエスチョンマークが浮かんだあと「さかもげ」の時とは比べものにならない笑い声が教室を包んだ。

 窓ガラスが微震するほどの騒ぎに、教師もびっくりだ。


「はいはい。もういいだろ。授業はじめまーす。――あ、そうだ」


 と言って、教師は最初に、ささくれで痛いと叫んだ男子生徒の顔を見た。


「こないだ職員室に差し入れありがとうな。お母さんにもよろしく言っといて『回転焼き』美味しかったですよって」





 回転焼きぃ?




 こうしてまた新たな戦争の火蓋は切って落とされた――。



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戦いは終わらない 真野てん @heberex

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