ささくれ三様

蒼井シフト

ささくれ三様

【0】

 人気のない剣道道場。沸き起こった入道雲で、あたりが俄かに暗くなる中、2人の人影が対峙していた。

 一人は、2メートル近い、がっしりとした体躯の男。

 もう一人は、長髪を後ろで縛っている。身長は160cmくらい。小柄ではないが、対面している男と比べると子供のように見える。


「手加減は無用」

 女が静かに宣言すると、男は、

「お、おう」

と、少し戸惑ったような声で応じた。

 両者、正眼に構える。

 互いの呼吸を計ること、しばし。

 やがて疾風のように男が打ちかかった。竹刀が触れあう音が続く。

 黒雲から激しい雨が降りだし、青白い稲光が走った瞬間、

「ゼィアァ!」

 掛け声に弾けたかのように、竹刀が宙を舞い、返す刀身がしたたかに面を打ち。

 男はうつ伏せに崩れ落ちた。


【1】

 さやかは剣道部員だ。

 背筋がぴんと伸びていて、立ち振舞いもきびきびと爽やかで、美しい。


 感情を表に出さない。無表情で、怒りも不満も笑顔も見せないので、何を考えているか分からないと言われる。


 でも、右頬を掻く癖で、悩んだり不安に感じていることが分かる。

 今日の彩は、朝からずっと右頬に触れていた。授業中も掻いていた。なので。


「で、何が気になっているの」

円香まるかは彩の前に逆座りして、問い質した。

 彩の右頬は、ささくれ立っていた。

 また掻こうとする右腕を押さえつける。


「動向が気になる人物がいる」

「標的みたいに言うな。俊文としふみのことでしょ。

 背が高くてガタイもいいけど。どこがいいわけ?」

「他の男子より、落ち着いてる」

「気になり出してもう1年はたつけど、進展はあったの?」


 すると、彩は一瞬、目を伏せた。

「週末に、2人で会った」「おお!?」

「竹刀を手に向き合った」「はぁ?」

「一刀のもとに斬り伏せた」「想い人を倒してどうすんだ!」


「試合前にちゃんと宣言したんだ。

 お前が勝ったら、お前のものになると」

「ほぉ」

「だが私が勝ったら、お前は私のものだ」

「なに? 子分でも欲しかったの?」

「われながら天才的な作戦だと思ったよ。どっちに転んでも付き合えるわけだ」

「・・・とりま、最後まで聞こう」

「それで。その。買い物に同行するように言ったのだが」

 そこで、彩ははぁ、と嘆息した。

「何も起こらなかったんだ」

「どこに行ったの?」

「武道具店へ。竹刀袋を買いに」

「そこで何を期待していたんだ!?」

 次の授業の教師が入ってきた。会話はそこで途切れた。


【2】

 彩が道場に向かう道すがら、体育館で、背の高い男女が話していた。

 一人は、剣道着姿の俊文。

 もう一人は、女子バレー部の主将だ。

 何やら楽しそうに会話した後、手を振って別れた。


「おいジュン、俊文を知っているのか?」

「そりゃ、部活でよく会うし。

 それに・・・あたしより背が高いのって、あいつくらいだしな~。貴重なんだよ」

 少し顔を赤らめたことに、彩は驚いた。


「あんな、でかいだけで取り柄のない奴の、どこがいいんだ?」

「え? でも他の男子に比べて、ちゃんとしているというか。さすが剣道部の副主将って感じでよくね?」

「いやいや! あいつだって俗物だぞ。部活や授業中はしゃんとしているが。他の男子と猥談とかしているぞ。女の写真を見て、鼻の下を伸ばしている」

「・・・よく見てるじゃん」

「同じ剣道部だから目に入るだけだ。

 で、何か話したのか?」

「ああ。あたし家にいると全く勉強しないからさ。

 さすがにヤバイと思って。

 今度、ファミレスで一緒に勉強することにしたんだ」

「何ぃ!?」


 バレー部の部員がコートに集まってきた。

「あ、もう始まる」

「む、すまん。話し込んでしまった。じゃあな」

 2人はそれぞれの部活に汗を流した。


【3】

 夜。危機感を覚えた彩は、円香に電話で相談した。

「潤が、俊文と一緒に勉強するそうだ」

「ほえ。お似合いかもね」

「くっ。既成事実化するつもりか」

「ファミレスで大したこと起こらないって」

「こうなったら。部屋に呼んで一気に畳み掛ける」

「いやまて、早まるな!」


 それから円香は「潤がねぇ」などと呟いていたが、

「まずはさ。プールとかに行ったら」

「そんな、どう誘えばいいんだ?」

「それはだねぇ」

 円香が策を授けた。


「今度の日曜日、プールに来て欲しい」

 予想外の申し出に、俊文はどぎまぎした。どういう風の吹き回しなんだ?

「潤に泳ぎを教えて欲しいんだ」

「あいつ泳げないの? スポーツ万能そうだけど」

「意外にも金槌なのだ。ウドの大木、沈む巨船だ。それで可哀想に思ってな」

 俊文の顔が更に赤くなった。何か想像したらしい。

「俺で良ければ」「決まりだな」


【4】

 彩は、円香、潤と連れ立って、プールに向かった。

「お前、よく俊文を誘えたなぁ。そんなこと言えない奴と思っていたよ」

「誤解するな。お前に泳ぎを教えるのが目的だ」

「はあ? あたし泳ぎは得意だよ」

「今日は流木のように浮かぶがいい」

「ひでーな、友達をだしに使うなんて。

 ま、楽しそうだからいっか」


 更衣室に入る。潤がシャツを脱いだ。

「ぶっ」彩は噴き出した。

「お前・・・メロンでも持って来たのか」

「あー、これか?」

 よいしょ、と片胸を持ち上げる。

「これがなかったら、もっと高く跳べるんだけどな」

 彩は己の失策を悟った。

 こんな凶器持ちを、水着姿で俊文に預けるとは。


 合流した俊文は潤を見て、慌てて目を逸らしていた。

 だが、彩の鋭敏な視力は、彼がしっかりと潤の胸をスキャンしているのを見た。

 あいつ、私を見る時は、私の顔しか見ないくせに・・・


「水に顔はつけられるのか?」

「あー、それはできる」

「じゃあ、まずは手足を伸ばして、浮いてみてくれ」

 練習を始めた2人を凝視していると、円香が彩に抱きついた。

「さ! うちらも遊ぼうよ」

「う、うん・・・」


【5】

 1時間ほど練習した後、彩が用意した弁当を食べることになった。

 俊文は、彩が指に絆創膏をしているのに気づいた。

「怪我か?」

「いや。料理だ。

 全然、作ったことが無くてな。

 母に教えてもらいながら、何度も試作を重ねたのだ。

 そうしたら、ささくれてしまって」

「彩は、いつも真っすぐ全力疾走だなぁ」

「ほら。食べろ」「いただきます」


 定番の唐揚に卵焼き。さらに、鮭とブロッコリーとキノコの生姜炒めや、鳥ムネ肉のピカタなど、けっこう手の込んだ料理が並んでいた。

「うまい」

 俊文は、口数は少ないが、心底嬉しそうな顔をしながら、弁当を口に運んだ。


「俊文は、大学でも剣道を続けるのか?」

「ああ。そうするつもりだ」

 俊文は、握り飯をいくつか平らげる。


 それから、おもむろに彩に問いかけた。

「なぁ。剣の修行の先には、何があるんだろうな」

「勝利だ。あるいは、敗北」

「最近思うんだよ。

 試合で勝って、優勝できたら、もちろん嬉しいよ。

 でも、じゃあ優勝できずに2位だったり、あるいは3位、4位、5位、の人たちの人生には、意味はないのか?」

「意味はある。勝利への道のりを進んでいるんだ」

「試合はさ、勝った負けたがはっきりする。

 もちろん、それでいいんだ。

 でも、勝った負けたじゃない、そんな簡単に割り切れないこと、決着がつかないこと・・・

 そんな風に目指すものも、あるんじゃないか。

 そんなことを、最近、考えるんだ」


 彩は、目を大きく見開いて、俊文を見つめた。

「何か、憧れるものが、あるのか?」

「俺、宇宙に憧れていてさ。

 どうやったらいいのか、まだ分らないけど、宇宙に少しでも近づけるような道を、探したいんだ」


 彩は今まで、ひたすら剣道に打ち込んでいた。

 真っすぐ決まった道の他にも、目指すべきものがある。

 そんなことを考えている俊文が、急に、大人になったように感じられた。

 じっと俊文を見つめる。

 俊文も無言で見つめ返した。


「こら、ずるいぞ。食べ物で釣るなんて」

 潤が混ぜ返してきた。

「馬鹿、釣ってないぞ」

「お、この唐揚うめぇ。彩~、今度からあたしの弁当も作ってよ~」

「ええい抱きつくな、うざい!」


【6】

 円香は、微笑を浮かべて、3人のやりとりを眺めていた。

 でも、目に映るのは、彩の姿だけ。

 ずっとずっと、彩のことを見つめていた。

 剣道一筋だった彼女が、ようやく人間関係に興味を持ったと思ったら。その視線の先にいるのは、俊文だった。

 潤を巻き込んで、俊文を引き離そうとした。

 身勝手だな、私は。

 語り合う彩と俊文を見て、悲しみや、自分を責める気持ちで、こころがささくれ立ってきた。


 ささくれ治療に必要なのは、水分と栄養。

 水はもう、たっぷり注いだから。ならば。

 円香は、弁当に手を伸ばすと、がつがつ食べだした。


 私たちの未来がどうなるかなんて、さっぱり分からない。

 でも、無理にこのささくれを剥ぎ取ろうとしたら、傷口が広がってしまうから。

 今はまず、食べて、元気を出そう。

 ささくれには、栄養。

 花より団子。

 私は、美味しいものを食べて、生きていく。

 そうだ。たくましく、生きてやるぞ。

 食べることは、生きることの、基本なのだ。


「お、円香、いい食いっぷりじゃないか」

「うん。やっぱり食べることが一番楽しいよ、私は」

【完】

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ささくれ三様 蒼井シフト @jiantailang

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