可愛い世界の神様たち

猫隼

可愛い世界の神様たち

 ずっと昔、ウェタにとってはずっと昔のこと。まだ、この球体の大地と、どこまでも永遠に続くような真っ黒い空間の境界として、あの青白い空があった頃。

 人間と人間の道具としての機械たちの時代。人間に飼い慣らされた動物たちの時代。

 ウェタが覚えていることはそんなにないけれど、白い景色を溶かすような、たくさんの降り注ぐ水のことは覚えている。悲しさもわかっていた。それは世界の終わりだろうと感じていた。その時に命を失っていたら、そんな悲しみが最後の感情となってたろう。


ーー


 巨大で円形で無機質な中心の島と、そこからあちこちの方向へ伸びた橋で、それぞれ繋がっているたくさんの船。この"機械船都市きかいせんとし"は、人間が造ったのだか、機械が造ったのだか、今となってはわからない。ただ、この小世界を管理する者たちは、例外なく全員、知的な機械であるらしい。

 ウェタは、第七船第三階層の、"サラセン"のほとりに住むメスのペンギン。船は大きい、第三階層も大きい。湖はおそらく普通くらい。だけどウェタがひとりだけで生きる場としては、大きいと言えるだろう。

 以前は友達もたくさんいたけど、いろいろあって、今ではひとりぼっち。


(「多分、一番長く生きることになるのは君だろう。そして君はきっと、僕らのことを忘れることができないと思う。でも、誰もいなくなった時、もうここにこだわる必要はないよ。もし、どうしても寂しくなったら、南を目指すといい。話したことあるだろ。南の"氷の姫の国"。あれは別におとぎ話なんかじゃないんだ」)

 たったひとり、人間の友達でもあった、魔法使いの彼は、いつかそんなことを言っていた。

(南か)

 それが伝説そのままの真実なのか、彼がどう言っていたか思い出せない。もしそういうことなら、それは生活環境を内部に用意された巨大なシェルターで、氷の姫というのは、それを管理する機械の女の子のこと。重要なことは、ペンギンたちもたくさんそこで生きてるらしい。かつてのウェタと同じように、大地の全てを水の世界へと変えた、空の崩壊の時代を生き延びた最後の鳥族の子孫たちが。


[ある時、空が割れた]

 機械船都市の、どこの図書館でも複数冊おいている(ただし、なぜか電子データ版はないらしい)、〈この世界の物語〉という分厚い本の、有名な書き出し。大地を沈めた水のわずかな部分に浮かぶ、機械の都市で生まれたどの知的種族の子供も、通常はこの本で、かつての世界のことを学ぶ。

 空の構造を正しく認識していた少数の人間たちは、球体の大地を包む透明な膜を、"水晶殻すいしょうから"と呼んでいた。ただし本当にそれが水晶と言えるようなものだったかは不明。後のことを考えると素材は水の可能性が高い。ところが、それが氷でなかったことはかなり確からしく、もうよくわからない。

 いずれにしろ、それはある種のスクリーンの役割をして、真っ暗闇の虚無にポツポツと光る星と、それらの光に照らされる星々が点在しているような、宇宙というものをずっと演出していた。どこまでも広がり続けているような時空間や、無限質量の特異点を巡る銀河構造も、量子的揺らぎのための不安定を打ち消すための数えきれない玩具のような仕掛けも、熱心に空想した当時の人間たちをマヌケだなんて笑えない。もし神様がいて、人間たちの世界観の間違いを笑っていたとするなら、そんなの、なんて意地悪なやつか。

 神様、神様はいるだろうか? もし彼、または彼女がいるとしても、完璧な芸術家ではなかったのだろう。だって神様は永遠のものを造れなかったみたいだから。だからこの世界では、全てのものに終わりがくる。だからあの空、水晶殻、スクリーンも、ある時ついにガタがきて、壊れてしまった。


 ペンギン族は、鳥類の変わり者たちだった。鳥類は海でも陸でもない、そのほとんどは、空の動物だった。だから、空の崩壊から間もなく、彼らは絶滅してしまった。

 崩壊した空の隙間から、宇宙のどこからか(そもそも宇宙とは何だ?)流れ込んできた水が、まだ部分的に残っていた空を完全に崩壊させるとともに、それらを構成していた分の水量も足して、驚くべき量の雨となり、大地全てを水の底に沈めることになった第二の大災害。それで、陸地の飛べない鳥たちまで、滅んでしまった。

 結局、水と氷の大陸だけになったこの球体の世界で、元々氷の大陸に生きていた、わずかなペンギンたちだけが、生き残った最後の鳥類となった。

 もちろん、世界を海に沈めるような大雨の凄まじい圧力は、ペンギンたち(というか水の近くに生きる全ての生物たち)にとっても、恐ろしい死の音楽だった。実際のところ、ほとんどのペンギンたちも死んだ。助かったのは、氷の大陸にひっそりと生きていた魔法使いがはったエネルギーのシールドが守る範囲に偶然いた211羽だけ。

 魔法使いはペンギンたちに知的構造と、機械テクノロジーを利用する術も与えた。そして、彼の同族である人間の生き残りを探しに、(クジラ族たちの音波ネットワークを介して、その存在を知ったらしい)機械都市を目指す彼に、ウェタはついていった。

 そしていつからか、ふたりはお気に入りの湖で、他にも複数の仲間たちと、一緒に暮らすようになった。


 しかし仲間たち、魔法使いの友達とも別れてから、もう長い。

 魔法使いは正しかった。ウェタは、みんながいた頃のことを忘れられない。ひとりぼっちで、湖がワイワイガヤガヤしていた日の夢をよく見る。ペンギンの睡眠はいつもわずかな時間だけれど、それでも夢を見る。そして目覚める度に、またひとりぼっち。

 このことについて、ウェタは以前は何も思わなかったけど、もしかしたら夢を見る機能も、魔法使いが与えてくれたのかもしれない。がんこなペンギンの友達が、いつまでも意地を張らないように


 でもウェタは、実は氷の姫の国は目指さないとかなり前から決めていた。

 目指すなら、横でなく上だ。そこにはもう、かつて人間が目指した宇宙はないけれど。

 今そこに見えているのは、昔の宇宙よりもずっと地球の近くで、星々がデタラメに動いてるような、いくらかは固定されているような、よくわからない状態。そこに何があって、その先に何があるのかを知る者は、水の球体世界にはいない。

 これは知的生物らしい。好奇心のための冒険の始まりだろうか。空が壊れるよりもっとずっと昔、最初のペンギンが、空気でなく水の中を飛ぼうと思った時と同じように。

 目指すべきは、空が壊れたことで現れた、本物の宇宙……?


ーー


 でも、所詮彼女はペンギンであって、自力では空を飛ぶこともできないので、ウェタは機械の力を借りる。前に人間がやったのと同じ方法だ。ロケットというものを造り、その内部に生存空間を用意し、そこに入って、そして、かつて宇宙が存在した方向へと飛んでみるのだ。


 さあ、いざゆかん、いざ飛ぼう。ねえ魔法使い、あなたがまだその球体の世界にいるとしたら、それなら、さよなら。そして、ありがとう。


ーー


 氷の姫の本体は、一定範囲内の水分子をコントロールする小さな機械だけど、普通は氷で、女の子をかたどったその普段の姿が、姫と呼ばれる。

「あなた、一緒に行かなくてよかったのですか?」

 姫の国と呼ばれるシェルターではなくて、そこから少し離れた海域に浮かぶポッドの水上に露出した部分。ウェタに知性を与えた友達と、姫は隣同士。

「うん、いいんだ。きっと彼女は一番、僕に似てた。未知の世界がそこにある時に、冒険心は抑えられない」

 でもどうしても、またよき友達として一緒に暮らしたい気持ちもあったから、一応は、自分がこれからもずっと生きていくだろう氷の国への誘いもかけていたわけである。

「でも私たちのことなら」

「ここにいるのは僕の意志だよ。彼女が自分の意志で飛んだように」

 氷の姫の国は球体大地が続く限り、同じように存在していくようなものと言われている。もちろん永遠にあるような空があっさりと壊れてしまったように、ずっと続くことなんて実はない。それでも氷の姫の国は、賢い機械と魔法使いの魔法を合わせて、地球の生物の最後の時までだって、続けることがおそらくできる。

 そして、ペンギンの友達に冒険の夢はたくして、自分の方は、もう一つ、大切な故郷を守り続けるというのが、魔法使いの彼の選択。

「彼女は、何を見つけるのだと思いますか?」

 姫の問いに、魔法使いは、しばし考えた後に答えた。

「それを聞くために、やっぱり長生きしなきゃな」


ーー


 ウェタの宇宙船は、その先にたどり着くことはなかった。その先には行けない。

 だけど、神様には出会えた。

「ペンギン、よく来たな」

 魔法使いが聞いたらどんな顔をするだろうか。神様はプログラムコードだった。記号の羅列、そして幼い感じの女の子のアバター(これはウェタの、神経系に記録されたイメージから読み取った、典型的な神様の姿らしい。元をたどれば魔法使いの影響だろう)。出会いの場所は、宇宙の表面の氷の家、とでも表現できそうな不思議な場所だが、もしかしたらバーチャル空間というやつかもしれない。

 昔、地球は水晶殻と呼ばれるものの内部にあったわけだけど、この宇宙はどうもコンピューターの内部にあるらしい。

(そういえばいつか)

 宇宙が造られたものだとすると、あまりにも計算されつくした構造であるから、コンピューターが必要だったろうと、魔法使いは言っていた。

「ここが、昔に人間が想像していたような宇宙でなかったのは、コンピューターシミュレーションの世界だからですか?」

 とりあえず、まず気になったことを聞いてみるウェタ。

「違うよ。でもなんと説明すればいいか。つまり、安定化の結果が単にコンピューターの管理だったというだけなんだ。そうでもしないと、カオスに乱れるエネルギーの対消滅の連鎖のせいで、球体の大地なんて生まれないものだ」

 この世界で、変化し続けるものだけが世界なのだ、と彼女(?)は言う。


「ねえ、ペンギン」

 しばらく、いろいろ話をした後、神様はかわいらしい笑みを見せた。

「あなたと、あなたのお友達。私をこんなに可愛く描いたあなたたちに、1つおもしろそうなお話があるのだけど」

 可愛い。可愛いて何か? それはペンギン? 女の子の神様? ウェタの趣味は変わってるのかもしれない。彼女としては、人間たちの複雑な世界からは逃げたくせに、友達を諦めきれないでペンギンを知性化した親友が可愛いようにも思う。

「私と一緒にまた新しい世界、造ってみない? 今度は、いつからか私たちみんながハマっちゃってた、とても可愛い世界とかさ」

 面白いし、とても興味深く思う。それに、やっぱりウェタとしても嬉しい。また彼と一緒に。

「うん」

 この世界に宇宙なんてなかった。真っ白なキャンバスだった。それなら好きに描けばいいんだ。神様はそう言って、

「いいよ」

 ペンギンは同意した。


ーー


 こうして、冷たい世界で出会い、手をとりあったペンギンと魔法使いと氷の姫と神様は、最も可愛くて、ファンタジーなこの世界を創ることになったのでした。

 今はまたあの空がありますよね。 そして、夜に輝くあのペンギンの星座、あれが……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

可愛い世界の神様たち 猫隼 @Siifrankoro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ