ささくれと爪切り

大田康湖

ささくれと爪切り

 私は子どもの頃、爪を切るのが下手だった。特に利き手ではない左手で右手の爪を切るのが苦手だった。父のたかしや母のかつらが爪を切っていると、「一緒に切って」と声を掛け、爪を切ってもらっていた。父は眼鏡の奥から優しい目で私を見つめ「あかり、ここに座りな」と自分の膝を指す。私は喜んで膝に座り、父の大きな手に私の手を載せた。


 一方、いつも家事や内職で忙しくしている母の手はかさついていた。よく軟膏を塗っていたが、時にはささくれが出ているところを爪切りで切っていた。それでも母は私たちに愚痴一つこぼさず、時々家族で映画館に行くのを楽しみにしていた。


 そんな父が脳卒中で突然亡くなったのは、私が高校二年生の時だった。私は高校から父の運ばれた病院に駆けつけ、母や弟の伸男のぶおと共に横たわる父に呼びかけたが、父からの返事はなかった。大きな手は冷たく、堅くなっていた。


 父が亡くなった後も、母は内職やバイトを掛け持ちして私たちの学費を工面してくれた。母の弟の横澤よこざわ康史郎こうしろうさんも私たちを支えてくれた。

 高校三年生になった私は夏休みに、父の亡くなった陽光原ようこうばら総合病院で医療事務のバイトを始めた。診療報酬点数を計算する仕事だ。休み時間は資格試験のための勉強をし、高校卒業後は職員としての採用を目指していた。


 そんなある日、食堂で勉強していた私の足下に爪切りが転がってきた。拾い上げると、右手にハンカチを持ち、白衣を着た青年が立っている。

「ありがとう」

 礼を述べた彼の目が、胸の名札に注がれているのに私は気づいた。

「もしかして、去年ここに運ばれてきた京極きょうごくさんの娘さんですか」

 私は無言でうなずいた。


 青年の名前は村橋むらはし孝雪たかゆきといい、陽光原総合病院の外科医だった。父が運ばれてきたときにはインターン中で、初めて人が亡くなる現場に居合わせたので印象に残っていたのだという。

「爪が長いと気になる性分なもので、いつも持ち歩いているんです。ハンカチを出した拍子に落ちてしまって」

 そう言うと彼は爪切りを受け取った。


 この出逢いがきっかけで私は孝雪さんと付き合い始め、私が高校を卒業してすぐ結婚した。あまりにも早すぎると母も弟も村橋さんの両親も反対したが、叔父さんは孝雪さんと直接話し合い、「孝雪さんなら姪を任せられる」と味方になってくれた。


 幸い、私と孝雪さんとの間には娘のやちよも生まれ、金婚式も迎えることができた。弟の伸男は十年ほど前に亡くなったが、母のかつらは長生きして五年前に亡くなり、叔父の康史郎さんも去年後を追った。


 今私は、孝雪さんと一緒に介護付きの老人ホームで暮らしている。娘のやちよが夫と息子を連れて時々会いに来るのが休日の楽しみだ。最近は孝雪さんも体が不自由になり、爪を切るのは私の役目になっている。

「孝雪さん、どこかで引っかけたんですか、ささくれができてますよ」

 私はそう言いながら、右手に爪切りを持った。

「ありがとう、助かるよ」

 孝雪さんはそう言うと、私の手の上に自分の手を載せる。こんな穏やかな日が後どれくらい続くかは分からないが、二人に残された時間を大切に過ごしていきたい。


おわり

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