帝都のアイドル「歌姫ちゃん」は男の娘?

綾森れん@初リラ👑カクコン参加中

1話完結

 暮れなずむ空の下、帝都の野外劇場にはいくつもの篝火かがりびが焚かれていた。


 今日はレジェンダリア帝国第二皇子エドモン殿下の誕生日を祝して、オペラ公演が行われている。野外劇場は古代に闘技場として使われた円形劇場だ。きっと二千年前も今夜と同じように、たくさんの人々が頬を紅潮させ、中央の舞台を見つめていたんだろう。


「そろそろ出番ですよ、ジュキエーレさん」


 垂れ幕の後ろで待っていた俺に、スタッフが声をかけてくれる。


 俺の衣装は白一色。しかし布に覆われているのは胸から下のみ。無駄に肩が出る衣装で気に食わないが、古代が舞台なので仕方ない。金輪を重ねたネックレスや腕輪が古代らしい風情を感じさせる。


「ジュキエーレさん、肩幅も華奢だから女性の衣装が似合いますね」


「うっ」


 スタッフの言葉に俺は沈黙する。


 誤解なきよう言っておこう。俺が演じるのは断じて女性役ではない。アキッレという古代の英雄だ。男らしい俺が演じるのにふさわしい役柄ではないか!


 ではなぜ衣装が女性の服なのか?


 オペラ『スキロス島のアキッレ』では、英雄として活躍する以前のアキッレが描かれる。アキッレの母は将来、最愛の息子が戦で命を落とすことを予知してしまう。息子を守るため母はアキッレに少女の服を着せ、スキロス島に隠すのだ。


 ゆえにアキッレはピッラと名を変えて、島の王家に仕える侍女として暮らしている。


 いま舞台の上では篝火かがりびの炎に照らされて、島の王役の歌手が杯を片手にアリアを歌っているところだ。


「今宵はめでたき日。

 愛らしいピッラに竪琴を弾かせ、歌わせよう。

 あの娘の美しき髪は銀糸のよう、

 魅惑的な瞳はまるでエメラルド。

 そして歌声は甘く優しく、全ての者を魅了する」


 アリアの歌詞を耳にして、スタッフが耳打ちした。


「まさにジュキエーレさんのことが描かれているんですねぇ」


 出演歌手が決まってから台本が作成されたから、やっぱり俺のことを描写してくれたんだろうか。褒められているはずなのに微妙に嬉しくないのはなぜかな。


 野外劇場だから歌手は舞台袖ではなく、垂れ幕の後ろにける。島の王が舞台から消え、祝宴にふさわしい華やかな音楽が終わると、いよいよ俺の出番だ。


 竪琴を片手にしずしずと進み出れば、


「おお! 俺たちの歌姫ちゃんがお出ましだ!」

「待ってました!」

「今日も綺麗だなあ」


 などと客席から声がかかる。野外劇場という開放的な雰囲気も手伝って、観客はいつも以上に盛り上がっていた。


 作曲家のマエストロ・フレデリックがチェンバロを奏で、俺はレチタティーヴォを歌い出す。


「今宵は宴、めでたき日。

 この声を所望されたのなら歌いましょう」


 言葉の間でポロロンと竪琴を奏でる。


 客席から、


「なんと美しい指先!」

「雪のように白い肩の上で揺れる銀髪がたまらん!」

篝火かがりびに照らされた歌姫ちゃんはまるで女神さまだ」


 などと聞こえてくるのは無視。俺は歌姫ちゃんじゃなくて、かっこいい男性歌手だからな?


 俺は満員の客席を一瞥してから続きを歌った。


「だけどこの心はいつも帰りたがっている。

 本来あるべき姿に」


 チェンバロが終止形カデンツを弾く。フレデリックがひとつ息を吸った途端、弦楽器が高速でアリアの前奏を奏で始めた。ヴァイオリンの弓が一斉に同じ動作で上下するのが小気味良い。


 一糸乱れぬ音の粒が花火のように、初秋の夜空へと打ちあがる。華やかな旋律に導かれ、俺はアリアを歌った。


「この心が求めしは、

 きらめく兜と、英雄が振るうつるぎ


 円形劇場の谷底から俺の声が湧き上がる。すり鉢状の客席を巻き込み、人々を魅了しながら夜空へと舞い上がっていく。


 明るい月の下で歌える気持ちよさに心が躍る。次のフレーズに差し掛かろうとしたとき、


「キャーッ」

「魔物が出たぞ!」

「見たこともない不気味なモンスターだ!」


 客席の一角から悲鳴が上がった。


 統率された騎士団が姿を現し、観客たちを守るように魔物の前へ進み出る。


「なんだ、あれは?」


 オーケストラピットでトランペット奏者が声を上げた。視線の先に見えたのは、二階建ての建物ほどもありそうな毛むくじゃらの指だった。毛を動かして進んでくる様子を見ると、茶色い毛に見えるものは触手のような役割を果たしているのかも知れない。


 騎士団が攻撃しようと弓矢を構えたとき、舞台の上に駆け上ってきた者がいた。


「師匠!」


 驚いて思わず俺は役から抜け出てしまう。


「ジュキくん、騎士団を止めてください! あれは瘴気の森の奥深くに隠れている精霊の一種で、魔物ではありません!」


 俺は歌うときと同じ発声のまま、騎士団に声をかけた。


「攻撃しないで!」


 俺の高い声は夜気を斬り、凛と響いた。


 観客だけでなく騎士団全員の視線を受けながら、耳元で師匠が説明することをそのまま伝える。


「そいつは温和で、怒らせない限り人を襲ったりしないんだって! 用心深いから人間の前には姿を現さず、図鑑に載っているだけで誰も見たことはないって!」


 確かに指のような巨大精霊は舞台に向かって進んでくるだけで、誰にも危害を加えてはいない。


 オーケストラピットの前で歩みを止めたそいつと、俺は対面する形になった。


『美しき聖女よ』


 魔物のような姿のそいつから人間の言葉が発せられて、その場にいる全員が息を呑んだ。


『どうか我を治癒してほしい』


「え、俺?」


『そうだ。汝こそ名高き聖女であろう。その愛らしい姿、精霊の心をも満たす美しき歌声。最近、帝都にやってきたと言われる聖女に間違いない』


 いや、間違ってるんですが。そもそも聖女って女性だよね?


『頼むぞ、聖女よ。大きなささくれが出来てしまって、痛くて仕方ないのだ』


 全身指のお化けにささくれか。そいつぁ可哀想だが――


「って、うわぁ!」


 俺は思わずのけぞった。巨大な指が舞台の下から伸びてきて俺の髪を撫で、続いて唇にまで触れてきたのだ。


『かわいいのう――』


 目も耳もない巨大精霊が、うっとりとこちらを見つめているのが分かって鳥肌が立つ。だがそのとき、


「ちょっと何してんのよーっ」


 怒声を上げて舞台に飛んできた人影は――


「あ、レモ」


 俺の恋人にして婚約者、聖女の血を引くレモネッラ嬢だった!


「私のジュキに勝手に触れないでよ!」


『むっ、貴様が男装していると噂になっている聖剣の騎士か?』


 指のお化けがひるんでいる? いやちょっと待て。聖剣の騎士は俺!


「大きな精霊さん」


 俺はまた撫でられないように距離を取りつつ話しかけた。


「ここにいるピンクブロンドの美少女レモネッラこそ、聖女の力を持つ者なんです」


『えぇーっ、こんなのが聖女だと!?』


 のけぞる精霊に、


「一発、攻撃していいかしら?」 


 印を結ぶレモ。


「待て待て!」


 俺は慌てて彼女を止めた。師匠の話によると怒らせたら危険だってんだから。


「なあレモ、この精霊を治癒してやってくれないか? ささくれって痛いだろ?」


 俺の説得が功を奏したのか、レモは特大のため息をついた。


「もう、ジュキったらいつも優しいんだから!」


 レモの聖魔法が巨大な精霊を包み込み、大きなささくれは一瞬にして治った!


『感謝するぞ、聖女らしくない聖女よ』


 礼を言うなり巨大な精霊は瘴気の森に帰って行った――という展開をその場の誰もが期待していたのだが、オーケストラピットの前にでーんと居座った!


『さあ、銀髪の美しき乙女よ』


 残念ながら今、舞台上に銀髪の者は俺一人しかいない。乙女じゃないっつーの!


『素晴らしき歌の続きを聴かせておくれ』


「それではアキッレのアリアから」


 答えたのは俺ではない。チェンバロの前に立った作曲家フレデリックだ。本番にどんなハプニングが起ころうとも動じないプロフェッショナルな彼は、精霊に向かってうやうやしく紳士の礼をするとチェンバロの椅子に腰を下ろした。


 舞台上の俺を見上げてひとつうなずいたときには、レモも師匠も姿を消していた。


 また華やかな音楽が再開する。


 歌劇という名の宴が再び幕をあける――




─ * ─




「ウンウン確かにジュキちゃんが聖女、レモが騎士のほうが似合うよね」と思ったそこのあなた、ページ下から★を入れて行ってね!


美声のジュキちゃんが人も魔物も魅了するファンタジー『精霊王の末裔』本編はこちらから!

https://kakuyomu.jp/works/16817330649752024100




参考文献:中川さつき、『シーロのアキッレ』 : 女装するバロック・オペラの英雄、京都産業大学論集

(「シーロ」はスキロス島のイタリア語名です。ちなみに「アキッレ」はギリシャ神話のアキレウスです!)

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