愛のコプリーヌ

辺理可付加

カノコユリ 恋のささくれ コプリーヌ

「『立ち込める かすみ妖しき 薄衣うすぎぬぞ」

「“シャネルの5番” 君と朝寝む』 あ」

「ん?」

「コプリーヌ」


 山手のお屋敷の、広い花壇の片隅。カノコユリに紛れるように。

 白いツクシのようなものが、ひっそりと生えている。


 それがどの花より愛おしいように、みおはそっとしゃがみ込んだ。

 先ほどまでは並んで散歩がてら、連歌れんがに興じていた私の視界。

 不意に彼女の後ろ姿全体が収まる。


「コプ……?」

「和名はササクレヒトヨタケ、というのです」

「ササクレ」

「ヒトヨタケ」

「キノコ?」

「そう、キノコ」


 花々に座った朝露の雫。キノコらしいツクシの白。澪の髪の黒、ブラウスの純白、襟から覗くの白。

 その全てが朝の柔らかい日差しを反射して、私にはたまらなく眩しい。

 それにもまして、


 振り返った彼女の黒い瞳、控えめなグロスの唇、静かな笑み、高く細い声。


 その全てが、私には眩しい。


「澪はなんにでも詳しい」

「知っていることだけを知っているのですよ。すずさんがお望みなら、いくらかのことはお話しします」


 別に勉強とか知識とか、そういうのは好きじゃない。

 興味はないし、欲しくもない。

 私が欲しいのは、一つくらいのものだ。


 が、普段は静かで言葉で少ない澪が、せっかく話す気になったのなら。

 実の妹のようにかわいがっている私に、話をするのが幸せなら。

 旧家に見初められ、こんな人里から隠してしまうようなお屋敷に身一つ嫁いできて。

 その夫すら仕事でいないことばかりで。

 ただ一人歳の離れない義妹と言葉を交わすことが、ただ一つの楽しみなら。


 何より、私に何かを向けてくれるというのなら。

 その声を聞けるというのなら。


「じゃあその、ササクレ?」

「ヒトヨタケ」

「について、もう少し」


 コプリーヌ。

 ササクレヒトヨタケ。


 澪の声で生まれた文字を忘れるわけがない。最初の一回で、忘れようにも鼓膜の細胞に染み付く。

 それでも、私が中途半端に言葉を切れば。

 彼女が愛でるように薄く笑って、続けてくれるから。

 二人で一つの言葉を作りあげられるから。

 唇と唇から発せられた言葉を繋いで、間接キスができるから。


 言葉で撫で合い、言葉を絡めて、言葉でセックスをできるから。


 私は物覚えが悪いように繰り返す。

 きっと澪だって、何度も教えられてうれしいはずだから。


「この子はまだ、子どもなんです」


 その声はやはり、愛おしそうだ。

 もしかしたら、私に向けるのに似た色があるかもしれない。

 歳は変わらないのに。二人とももう二十をいくらか過ぎたのに。

 彼女の中では、私は妹という名の『子ども』なのかもしれない。

 私の湿った温度には気づかない。


「大人になって傘が広がると」

「広がると?」

「どうなると思います?」


 澪の目が少し意地悪に、艶やかに細まる。長いまつ毛が私を手招きする。黒い瞳が私を吸い込む。

 私が映っている。

 私がいる。私がいる。


 彼女の中に、私がいる。



 私は



「水玉模様になって、毒キノコになる?」


 美しい白の中に点々と熱い血が絡んだような、花壇いっぱいのカノコユリのように。


 別名は七夕たなばた百合で。

 実は絶滅してしまうかもしれない種だと、かつて教えてくれた花のように。


「ふふ、おもしろいこと。なんならこの状態のうちは、おいしく食べられるんですよ」

「食べる……」


 澪は静かに笑う。

 それが常に、向き合った時の耽美な空気を壊さないのだ。


 だからこそいつか、大きな笑い声が聞きたい。

 全てを破り捨ててしまうような、身も世もないような。


「正解は、溶けてしまうのです」


 だが、その声が裂いてしまうのはいつも、私の遠く彷徨う思考。


「溶ける?」

「はい。ふちの方から、黒い液体となって」

「腐る?」

「いいえ」


 彼女は微笑む。

 コプリーヌの、ササクレヒトヨタケの、それこそが愛おしいように。


「自ら溶けてしまうのです。その際に胞子が撒かれ、繁殖する」

「自分から……」

「そう、自分から。それも一晩のうちに」

「そんなに? セミやカゲロウでももうちょっと」

「えぇ、柄自体は残るのですが。それでも華やいだ大人の姿は、一瞬しかいられないのです」


 愛おしそうな目元に、悲しげな重さが宿る。

 いや、初めからあったのだ。


「だから『一夜茸ひとよたけ』。儚いでしょう?」


 言葉が胸を刺す。


「儚い、な」

「えぇ」


 それは、澪も同じだよ。

 短い今を、こんな旧家の、若い乙女の喜びも何もない鳥籠で。


 ラブバードになれもしないのに、同じ籠の中で擦り寄ろうとする私も。



「『ささくれて 一夜にかけて 黒く溶ける」

「元は白きも 恋に似しかも』」



 連歌れんが

 上の句を読めば下の句が返ってくる。

『旧家だから』とたしなまされる、残骸のような風流ごとだが。


 恋歌れんか

 私は澪に、言葉でセックスを試みる。






 儚い存在を目に焼き付けるように、澪はコプリーヌを見つめている。


 子どものころは食べてしまえるほどの純真なのに。

 大人になると、一晩で自ら黒く溶けてしまう。


 不意にさっと風が吹いて、山ほどのカノコユリが揺れるなか。

 白が赤が乱れて絡み合うなか。


 私は澪の後ろ姿を見つめていた。

 うなじからくだって、ブラウスの向こうにある白く細い体を。


 私が自らを黒く溶かしたとて、溶けあったとて。

 ササクレヒトヨタケのように繁殖はしないが。



 せめて、一夜ひとよだけ。一夜だけなら。



 それすら、七夕百合の一夜すら叶わぬなら。

 せめて兄と澪を、天の川で隔てたまえ。



 あぁ、なんと醜い、私の心、恋のささくれ。



 愛のコプリーヌ。

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愛のコプリーヌ 辺理可付加 @chitose1129

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