隣席のホラー

 本編に出てくるサイコは、自己愛か境界例のような気がしたが、便宜上サイコパスで統一する。

 サイコパスは、口先と本音が逆である。
 よく知らない人の眼には、「人の為に駈け回る健気な人」または、「誤解されて憎まれた被害者」かもしれない。
 わざわざ触れ回って歩くのだ。

 サイコパスは嘘をつくが、本人は「嘘をつかない正直者」と自分に暗示をかけている。
 そして、ターゲットにした人間に自分の汚点をなすりつける。
 ターゲットのことをことさら欠陥品として吹聴することで、サイコは自分の苦しみや悩みを解消しようとするのだ。
 会社を追い出される被害者の評価はサイコが介入してくる前と後では、天地ほどかけ離れている。両者が入れ替わったかのような評判になっている。


 バレるのでは?

 そう想うだろうが、まったくバレない。
 サイコは我々が知っている他者の行動パターンの圏外なことをする。想像の斜め上という言葉があるが、まさにそんな感じだ。

 自分の手を汚したくないサイコが最も洗脳しやすいのは、役員や監督など、地位と権力のある人だ。
 ターゲットの悪口を「相談」というかたちでもちかける。
 嫉妬心や競争心を焚きつけ、正義感を煽り、反感を植え付ける。

 その洗脳工作のお陰でターゲットが社内で孤立するようになると、
「ターゲットはどうして忌み嫌われていて、ボッチなの?」
 主犯のサイコパスは完全勝利の笑みを浮かべる。


 なぜそんなことをするのか。
 サイコパスとはそういう生物だからだとしか云いようがない。
 別名をエナジー・バンパイア。またはサークル・クラッシャー。
 ターゲットの能力や人間関係を破壊することで、サイコは生きるエネルギーを得ているのだそうだ。

 サイコにサイコと云うと、必ず、お前こそサイコだと返事がかえる。
 だが、被害者が極悪人の欠陥品ならば、なぜサイコはそんな害ある加害者に付きまとって離れないのか? というところに注目して欲しいのだ。


 被害者の知らぬところで事態はどんどん悪い方向に進む。
 サイコは下準備をちゃんとしている。
 被害者が訴える頃には、すっかり、「あいつは被害妄想の孤高きどり。仕事は全部わたしがやりました(事実は逆)」と印象操作が終わっている。


 学年に一人はいるといわれているサイコパス。
 あなたが被害者にならなくても、あなたの家族や友人がサイコパスの餌食になるかもしれない。