ゴジラ・ささくれ大作戦
来冬 邦子
ゴジラ、涙目!
「きゃー!」 「逃げろー!」 「助けてくれー!」
20XX年3月、またもやゴジラが東京湾に姿を現した。早速、二隻のタンカーが引き裂かれて炎上した。工場地帯で灼熱に燃える尻尾を振り回せば、立ち並ぶコンビナートは瓦礫の山と化した。
もう何度も来ているせいか、その足取りに迷いが無い。
今回はまっすぐに東京スカイツリーを目指している、と思われた。必死に足止めしようと旋回する自衛隊の戦闘機は空中で掴まれてパクリと喰われてしまった。
もうお終いだ。と誰もが思った。
首都圏中の人間が一斉に避難を始めた矢先に、それは起こった。
ゴジラは高さ634mのスカイツリーを見上げていた。ゴジラの身長が118.5m。鉄骨をよじ登るのも破壊するのも、ゴジラにはわけもなかった。展望デッキと天望回廊にいた人間達は逃げ場を失い、その場にくずおれる。泣き叫ぶ者、気を失う者、
「GYAGYAGYAAAAWOOOOOO!!!」
このとき、ただならぬ声でゴジラが叫んだ。皆、耳を塞いだ。それから、ゴジラはいきなりその場に坐りこむ。そして片方の前足を長い舌でペロリと舐めた。
「なんだ、今のは?」
交番の巡査、堺雅人は首を傾げた。
「怪物の鳴き声に意味なんてあるかよ!」
たった今、堺に無銭飲食で現行犯逮捕された、自称俳優の堤真一がふてくされた。
「いや、でも……うちのポチが足にトゲ刺したときと同じ声だったんですよ」
「どうでもいいんだよ! サッサと逃げろよ!」
二人がいる場所は、亀戸駅に程近い、亀戸天神の境内だった。坐りこんだゴジラの横顔がはっきりと見える距離だ。この町の壊滅も時間の問題だろう。
「ほら、お巡りさん! 行こうよ!」
堤に促されて、市川の方角へ歩き出そうとした矢先。
「GYAGYAGYAAAAWOOOOOO!!!」
堺が振り向くと、ゴジラは片方の前足を口の中に突っ込んでいた。
「あれって、痛いんじゃ無いかな?」
「知らねえよっ! 殴るぞ、この野郎!」
堤の目が血走っている。両手首は手錠がくい込んで血が流れている
「あ、悪い、悪い。そしたら、お前、一人で逃げてくれ」
堺は堤の手錠を外した。
「え? え?」
「食い逃げくらいなら、そこまでの悪党じゃないだろ? いいから一人で逃げてくれ。いま、非常事態だから」
「あ、あんた。じゃなかった。お巡りさんはどうすんだよ?」
「俺は可能性を信じる!」
ゴジラに向かって駆けてゆく堺の後ろ姿に、堤は「馬鹿野郎! 戻って来い!」と叫んだ。
* * *
スカイツリーの展望デッキにいた、七歳の
「ねえ、ママ。ゴジラ、お手々痛いのかな」
「え? 胡桃ちゃん、なに言ってるの?」
失神しかけていた母親が、意識を取り戻した。
「ゴジラ、お手々を舐めてばっかりいるよ」
「そうなの? どうしたんでしょうね」
「痛い、痛いって、言ってるんじゃないかな」
スカイツリーまで走りきった堺は、折良く待機していた消防車、それも高所作業用の大型消防車の助手席に乗り込んだ。
「あんた、ダメだよ。関係者以外は」
運転席にいたのは香川照之という消防官だった。
「警察官だから関係者ですよ」
「そうなの?」
「この梯子はゴジラの顔の辺りまで届きますかね?」
「無理、無理。どうする気なんだよ」
「ゴジラに登りたいんです。無理ですか、やっぱり」
香川照之は言葉もなく、堺雅人を見つめた。
「途中までなら行けるけど……。登ってどうするの?」
「ゴジラは怪我をしてるから、手当してやりたいんです。」
「あんた。……。正気かよ」
「ついでに、何か良く切れる刃物と塗り薬が欲しいんですが」
* * *
上空からゴジラを監視している自衛隊機から、緊急連絡が入った。
「何者かが、ゴジラを登っています」
「誰だ、そのバカは!」 ときの総理大臣、森田一義が叫んだ。
「巡査の制服を着ています。警察官のようです」
ゴジラの横腹を登っている堺の、胸の無線機から声が聞こえた」
「堺巡査、聞こえるか?」
地上から見上げている遠藤憲一警部補の声だった。
「はい、こちら堺です」
「お前、いったい何してるんだ」
「ゴジラにメンタム塗りに行ってきます」
「待て。もう一度、言ってくれるか」
「ゴジラが怪我をしているときの犬と同じ動作をしているんです。だから、手当をしてやれば、或いは温和しく帰るかと思いまして」
「……」
遠藤警部補は堅く目を閉じた。
「わかった。お前に預ける」
「ありがとうございます」
堺はゴジラの
今まで口に咥えていた左前足が動いた。地上から悲鳴が上がる。
ゴジラの黒い爪が、堺の制服を摘まんで、おのれの目の先に持っていった。
「ワー! あー! 待てよ、ちょっとで良いから待て!」
堺は両手をがっちり組んで、上下に揺らした。
「味方だ! 俺は味方だ!」
手話がゴジラに伝わったのかは謎だが、堺の背中を掴むのはやめて、手のひらに乗せた。その位置からゴジラの爪をよく見ると、鋭い爪の付け根の皮がめくれている。
「ささくれ、じゃないか。痛かったろう」
堺は、さっき消防隊から借りてきた大型のカッター(鉄でも扉でもなんでも切れるすぐれもの)を出して、ゴジラのささくれを切った。
「GYAGYAGYAAAAWOOOOOO!!!」
ゴジラが吠えた。堺は耳を押さえたが間に合わなかった。鼓膜が破れた。
「いててて」
堺はメンタムの蓋を開けて、手のひらにたっぷり取ると、爪の際のささくれた場所に塗りつけた。
「GYAGYAGYAAAAWOOOOOO!!!」
(このまま喰われるのかな)堺は諦めのいい男だった。しかし、ゴジラは坐ったまま、堺の乗った前足をそっと地表近くまで降ろした。堺は地面に飛び降りると、ゴジラに手を振った。
「殺さないでくれてありがとな」
***
いつの間にか日が暮れようとしていた。
体中にゴジラの放射能を浴びた堺は救急車で病院に運ばれていった。
ゴジラは夕陽の海へ帰ってゆく。行きとは違う道を選んだので、またいくつもの街が潰されたが、これまでの被害に比べれば十分の一にも満たなかった。
「今度は人間が勝ったのか」
森田総理がつぶやいた。「違うな。たぶん」
了
ゴジラ・ささくれ大作戦 来冬 邦子 @pippiteepa
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