3. 外へ




「箱の中にいたのはずっと長いあいだ。

 くわしい長さは覚えてない」


「そうか」




 その人が、さし出してくれた“ビン”。


 その口にわたしの口をくっつけて、中身を吸いあげ、のどの奥へと流しこむ。

 さっきまで、五回くらい失敗かさねて、やっとできるようになった。




「私は魔神への捧げもの。

 そんなことを言われたの。

 そして箱のなかに入れられて、ずっと箱になっていた」


「箱になってた、という意味はわからないけれど」


 その人のすがたはすこし変わっている。

『変わっていない人のすがた』というものが、箱になっているあいだに、わたしの中からうすれて消えてしまったけど。

 それでもなにかが変わっている。




「ここは最果ての時間。

 この先には、ヒトの生きる時代はどこにもないはずだ。

 なのに、きみを捧げた目的はなんだろうね」


「この先には、ヒトの生きる時代はない。あの人たちもそう言ってた」


 変わっているのは、腰にさげた長くて黒いものなんだろうか。

 よく覚えていないけれど、あれはたぶん、何かをこわす、何かの命をこわすような、そんな道具のはずだった。


 それでも、変わっている、というのとは少しちがう気がした。




「ヒトは世界にてられた。ヒトはその時代すべてをり終えられた。

 それが世界の自然のことわり」


「そうみたいだね。だからこの時代まで来たんだけど」


 手に巻きつけられたり、肩に取りつけられたりしてる何かわからない道具だろうか。

 たしかに変わっているけれど、それが一番に変わっているところではないという気がする。




「未来を覆せないなら、過去にむかって捧げものをするしかない。

 過去にむかって永遠の捧げものをすることで、過去に魔神がいたことにする。

 そうやって、過去を覆すんだって」


 また、瓶の口に口をつけた。

 よく覚えていないってこともあるけれど、あまりにわからなすぎる話だって、話ながらそう思った。


「そりゃそうだ。あまりにわからなすぎる話さ」


 うなずいて、何かを手に握らせてくれる。

 口にふくむと、舌が震えてとけそうになる。

 覚えている“甘い”というのを、とんでもなく強くしたら、こんな“味”になるんだろうか。




「わからないから、まともな神じゃない“魔神”を生みだす儀式になる。

 まともな神じゃないものだから世界のことわりを覆す。

 そういうもくだったんだろうね」


 その人は立ちあがる。

 立ちあがって、私のほうに顔をむけて。

 片方の手をさしだした。




「どうしたの?」

「きみも一緒に行かないかい?」

「どこへ行くの?」

「過去へ」

「過去には、いったい何があるの?」

「いろんなものがあるんだよ。

 今ここにあるよりもっとたくさんのものが。

 きみが覚えているだろうものよりももっといろんなものが」

「あなたとずっと一緒に行くの?」

「そういうわけには行かないけど。

 この先にはもう、なにもないのは確かだからね。

 どこかきみが安心していられるところまでは行こう」


 そう言ったその人の目は。

“上”よりも、赤い空よりも光を放って。

 それでも、逆に、のぞかずにいられない、そんなふしぎな光だった。

 ひろくて、おだやか、心地よくて、見たことのない“色”だった。




 ああ、そうか。

 これが、この人が変わっている、そんなところだったんだ。

 先のない、赤い空と砂だけのこの世界から、ぜんぜん離れた、そんな


“青”い。

 青い光が、この人の目から、この世界、この時の外へつづいてる。

 その先の空は、きっと、青い光でいっぱいなんだって、わかった。




「いいわ。あなたとずっと一緒に行くよ」

「そういうわけには行かないだろうね。

 この旅は、戦うための旅なのだから」


 首を、右へ、左へとふる。


 この赤い空と砂の外へ、もうわたしじゃない箱の外へと、

 置き去りにされずついてゆくために。




 わたしはその手を、かたく、かたく、あの箱のなかの暗さよりかたく、握りしめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【KAC20243】わたしは、箱 武江成緒 @kamorun2018

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ