蜜月は黒の中
一嘘書店
蜜月は黒の中
鞘に入っているサーベルが、体の前に突き出され、歩みを遮った。
「そこのお前、止まれ。抵抗したら切る」
市場から少し離れた、人通りの少ない路地でのことだ。呼び止められたのは一人の女、身にまとう分厚いローブは旅のためのものだろう。
「身元をあらためさせてもらうぞ。ついて来い」
兵士は横柄に命令した。人物は抵抗の素振りを見せず両手を顔の高さに上げる。
ローブが翻ったとき、少し不自然にその裾が揺れた。それを着ている人物だけが気づいて、顎の近くの布を掴んで小声で呟く。
「大丈夫だ。静かにしていろ」
「何か言ったか?」
隣を歩く兵士が探りを入れてくる。女は目を逸らし淡々と返した。
「いいえ。何も」
「ふん……」
数刻ののち、場所は兵士の詰め所へと移り。彼女は後ろ手と足首を縛られ、硬い床に転がっていた。扱いが雑だとか、ただ旅をしているだけなのにどうしてだとか文句は色々あったが、大人しくしていた。言ってもどうせ、縛られたときと同じに、抜き身のサーベルの脅しで黙らされるだけ。することといえば、兵士たちの会話の盗み聞きくらいだった。
「髪は短く、銀色。目は黄色。身長は一七〇センチ超……」
「何から何まで伝達と一致してるぜ」
「間違いない、こいつがリタだ」
リタ。王国内では全領地に指名手配されている魔女の名前だ。いかにもこのローブの人物は、王国から禍々しき魔女との烙印を押された女、リタであった。
今聞こえてきた会話、そして街頭で捕まえられた事実もあるし、人相書きか何かがもう出ているのだろうか。
「なあ、どうする?」
「とりあえず連絡だろうな。動きは封じたし――」
「これが魔女かあ。魔法とか使うのかな」
「馬ッ鹿お前、下手に刺激するんじゃない!」
現実的な話し合いをする者に、奇異の目で見てくる者、それを注意する者。
下らない。
リタは大きくため息をつく。心底わずらわしそうに目を伏せて。兵士が眉をひそめて見てくるもとで、ただ一言口にした。
「ジル」
兵士たちは困惑した。魔女は虚空を見つめていて、誰かを呼んでいるようには見えなかったので。
ところが、リタはちゃんとわかっていた。王国による捕縛も二度めとなれば慣れたもの、落ち着き払って、リタを助けてくれる使い魔の名を呼んだのだ。
水のような煙のような、液体じみた黒い何かが、ローブから這い出て床に広がる。それは明確に意思を持った動きでリタの身体を覆い、彼女を戒める縄をぶちぶちと切った。自由を得たリタは悠然と立ち上がり、黒いもの――ジルと名を呼ばれた黒いものも、人と山羊と狼を混ぜたような姿になって寄り添う。
呆気にとられていた兵士たちは、ようやく我に返った。それぞれに武器を手に取って構える。リタもジルの体に手を突っ込み、中から杖を取り出した。自分の片腕ほどの長さの木の杖である。それをくるりと一回転させ、透明の水晶がついた先端を兵士たちに向けた。
「私に仇なす者は、皆等しく敵だ」
兵士たちは警戒を宿して睨んでくる。リタは余裕たっぷりに薄く笑んだ。
「魔女に歯向かうとどうなるか、その身でとくと味わうがいい」
杖を一振りすると、殴りつけるような強風が兵士たちを襲う。彼らは無抵抗に宙に浮かび、石造りの壁に叩きつけられた。直後、呼吸をするかしないかの間に、兵士たちの眼前には一様に黒い塊があった。見上げるほどの巨体に膨れ上がったジルだ。
槍が突き出されるより早く、ジルは全員にまとめて襲いかかる。鋭い爪に変化した体の先端が肉に食い込み、切り裂かれた喉笛からは絶叫のような、歪な呼気がほとばしった。
リタは蹂躙の有様をただ眺める。見る間に鎧が壊れ、顔や腹は抉れ、腸だの何だのが飛び出して、おびただしい量の血が飛び散った。
「そこまで」
やがて発された一声でジルはぴたりと動きを止め、脇をリタが通り過ぎる。杖を振ると、先端の水晶が淡く輝き、辺りの血が浮き上がった。そして再び壁にぶつかり、作っていくのは、警告文だ。
「『魔女を』『恐れよ』『追う』『べからず』……と」
兵士の死体がいい見せしめになるだろう。完成した血文字を眺め、満足そうに残虐な笑みを浮かべた。
「これでよし」
振り返り、下ろした杖はジルの体の中に収納する。その流れで、ジルの『頭』をぽんぽんと撫でた。
「ジル、よくやった。偉いな」
きゃう!
人外は誇らしげに声を上げ、リタの頬にすり寄った。
どこがなんの体の部位なのか、何を言っているのか、リタはジルのことならよくわかる。心を深く通わせた魔女と獣には、姿も形も言葉も些細な問題だ。
ぎゃるる、きゅう。ぎぃぃ。
「ん、ここでか? 甘えん坊め」
濁った音の鳴き声を解し、やれやれといった視線を送る。けれど腕や足にまとわりつく黒がすがるようで、リタもついその気になってしまった。
よく動いてくれた者には褒美が必要というもの――血痕の残る床へ臆面もなく腰を下ろした。
黒色の塊は丁寧にリタの靴を脱がした。次いで上着を脱がし、ブラウスのボタンを上から一つ一つ外していく。
使い魔契約のラインは超えている。これは、ふたりがしたくてしていることだ。
「器用になったな。前はあんなにまごついていたのに」
きゅう、きゅ。
布の合わせ目を暴いた先にはもう、豊かに満ちた二つの膨らみがあった。背中を探り、下着のホックを見つけて手際よく外す。締めつけの緩む感覚を意識しつつジルを撫でれば、くるるるる、心地よさげに喉が鳴る。
背中から前側へと、黒い指が素肌の上を這う。少しくすぐったい。正面にいる相手に後ろから触られるとは奇妙な心地だ。ジルは浮いた下着との隙間に入り込むと、リタの山の一番高い場所、ひときわ弱い点をかすめた。
「んっ」
思わず声が出る。じわりと頬を赤く染めて、耐えるように目を細めた。
押しては戻すジルの動きにしたがって、は、ふっとリタの唇から吐息が零れる。それを掬って飲み込むように、リタが身じろぐたびに、ジルは淡く噛みついてキスをした。
口を開いて中を許せば、すぐに長く尖った舌が攻め込んでくる。差し出されるリタの舌と戯れてから、より深くに押し入った。狭い口内を余すことなく巡り、上顎をくすぐって、窒息しそうなほどに喉の奥を犯す。リタは声さえ出せずに耐えるばかりだ。それに飽き足らず、ジルは胸も執拗に触り続けている。時折頂点を挟むように揉んでくるのだから意地が悪かった。このいやらしさは一体誰に似たのだか。幾度も腰に甘やかな痺れが走り、両足を擦り合わせた。
長い接吻の果てにやがて、ジルが離れる。リタの瞳は蜂蜜がかかったようにとろりと潤んでいた。ふっと笑んだ表情ひとつ取っても、強い色気が雫にでもなって落ちそうだ。
リタはゆっくりと前のめりになって、軽く唇を重ねた。
「……かわいい」
きゅうー。
ジルが足首を掴んで、ロングスカートの中に入ってくる。脛をさすり、ふくらはぎに絡みついてリタを求めている。そんな仕草に応えて、リタもしどけなく足を開き、ジルの体をかき抱いた。
「おいで」
囁くと、黒色の塊は大きく震え、目に見えて
内腿を撫で上げられ、ひたりと秘部に感触がある。薄い布一枚を隔ててジルがいる、近くて遠いその距離がまた腰を痺れさせる。背徳を漂わせてスカートのファスナーが下ろされた、ときだった。
がたん、場にそぐわない硬い音がする。リタもジルもさすがに気づいて、物音がした方に目を向けた。
顔以外を鎧で固めた人間。その眼差しにこもるのは、明らかな怯えである。
数瞬の静寂があってから、人間はわなわなと身を震わせて、絶叫した。
「うわああああああああ!!」
壁にぶつかり、物に足をとられながら逃げていく。
「誰か! 大変だ! 魔女が!」
やたらと騒がしい声は、あっという間に遠ざかった。
「……くそったれ」
憎悪を込めた罵倒はきっと届かなかっただろう。
リタの気分は今や底辺にあった。ジルの方も気づけば、あんなによくしてくれていた指を全て引っ込めている。リタの様子を伺って、控えめに唸った。
……ぐるるるる。
「そうだな。仕方がない」
リタは身を起こし、素早くローブを身にまとった。次いで、脱いでいた靴と手荷物とを引っ掴む。察したジルが自ら体外に出した杖も手に取った。素早く部屋に視線を巡らせると、窓に目をつけ、それがある壁を杖で軽く突く。杖の先で光が弾けて、石造りの壁が一気に崩れた。
粉塵の向こうには細い通りが見える。窓があるからすぐ屋外のはず、という読みは見事に当たった。
「ジル」
言葉にするまでもない。名を呼ばれただけで命令を理解し、ジルは四本の足を持った巨大な獣の姿に変わった。リタが持ち物を抱えて背に腰かけたら、転げ落ちないようにとジルの一部が下半身を固定する。そしてすぐに勢いよく駆け出した。
リタが破壊した壁から通りに出て、まずはとにかく兵士の巣窟から離れる。たまたま目抜き通りに行き着いたが構わなかった。道行く人間たちが、ジルとリタを見て悲鳴を上げた。
「邪魔だ、全員邪魔だ。死にたくなかったら道を開けろ」
人間を踏み潰し、露店を蹴り飛ばしてジルが走る。目の前に兵士が飛び出してきても気にもかけない。
「止まれぇ!」
「誰が止まるか」
ジルが大きく跳躍して、軽々と兵士を飛び越えた。
「遠くへ行こう。誰にも気づかれないところに」
ぎゃう。
獣は一言返事をして足をしならせ、また力強く駆けた。
市街を抜けて野原を横切り、鬱蒼とした森に入る。やがてジルが足を止めたのは、ぽっかりと口を開けた洞穴の前だった。
「へえ、いい隠れ家になりそうだ。これだけ森の奥なら見つからないだろうし」
ぎゅうう。
「ああ、助かったよ。ありがとう」
背から滑り降り地面に立つ。荷物を置いた拍子に、彼女の肩からローブが落ちた。
「まったく。こんなはしたない姿で外に出るとはな」
たしかに、リタはまともに服を着ていなかった。スカートはずり落ちそうで、あらわな肩はなだらかに稜線を描き、はだけた胸元は今にも丸ごと見えてしまいそうだ。実際ジルに乗っている間も、リタ自身の腕とローブ一枚という、あまりに頼りない顔触れでその秘境を隠していたのだ。
ぎぃ、ぎゃるる、ぎゃるるるる。
「うん……そうだな、お前以外にこんな姿、たまったものではない」
会話をしながら、不意に腰に手を当てると、迷いなく下へ動かした。
岩の上に布が落ちる。晒された足の曲線はすらりと美しく、日光を知らぬがゆえに、目に眩しい白さをしていた。
ぎうううう、ジルは後ずさりをした。驚きでか、姿も液体のような元の形に戻ってしまう。
「なんだ? 驚いてなどいる場合か」
呆れつつも一歩、二歩と。肩を反らせて上着とブラウスを脱ぎ、地面に置き去りにしてしまえば、もうほとんど裸のようなものだった。
「続きだ」
ジルにぴったりと体を沿わせ、下着の肩紐をずらす。それが最後の一押しで、下着はとうとう腕の方へずり落ちた。肘からぶら下がる布を、リタは無造作に脱ぎ捨てる。それから、一糸まとわぬ真珠の胸を、見せつけるようにジルに押し当てた。
「ほら」
ぎゅううう。
ジルは全身をリタにまとわりつかせ、彼女の体を優しく草地に横たえた。リタは満足げに微笑み、手をさし伸べてジルを迎えた。
何も知らない小鳥が、場違いに甲高く歌っていた。
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