13
長かった梅雨が明けた。
ユウカが夏を呼んだ日は一日中雨が降っていた。鮮やかな赤の装束はずぶ濡れになり、その色合いを一段と深いものにしていたのが印象的だった。
白砂に赤を反射させながらゆっくりと進む。その足取りに迷いはない。頬を伝う水滴が雨か涙かを知る者はいなかった。僕にとってはどちらでもよく、あるとすれば、その意味だけが重要だった。
扉に手をかけ、静かに押し開く。もう何も聞こえない。雨が全ての音を消し去ってしまったようだ。この世界には僕とユウカの二人だけ。そう感じられる一瞬が、僕の人生で最大の幸福となるだろう。
世界に音が戻った時、そこにユウカはいなかった。
それからの僕は、欠けた部分を埋めるようにして毎日大学の図書館で勉強に打ち込んだ。
雨音は適度なノイズとなって集中力を高めてくれる。固まった首をぐりぐりと回すと、窓に張り付いた雨粒がつるりと落ちていくのが目に入った。その中で一部が未練がましく滑り落ちていく様子が、どこか他人事ではないように思えた。
青峰佐句良に続いて赤羽融香も失った僕の心には、埋めようのないとても大きな穴が空いていた。
その穴の形は非常に複雑かつ繊細で、適当に大きなものを詰め込むだけではうまくいかないことは明白だった。もはやユウカ以外では埋まらない形をしていることは分かっているけれど、大穴よりは隙間の方がまだマシだと、雑多な感情でその欠損を埋めようとしていた。
悔いのないように思い出を作ろう、だなんて分かったような口をきいておきながら、自分自身が本当にその意味を理解するまでには時間がかかった。失ったものの影を抱きしめているだけではどうにもならないことが分かったのは、桜が散り、青葉が茂り、向日葵が咲き始めた頃になってからだった。
外に出ると底抜けに明るい陽射しが世界を白く飛ばしていて、雨音は蝉の声に変っていた。
僕の世界は何もかもが変わってしまった。
深い青空の下を一人歩き、僕は地下鉄の駅へと向かった。
地下への階段を降りていくと、一歩ごとに少しずつ暑さが和らいでいくのが分かった。次第に汗も引いてゆき、肌寒いくらいだった。
二駅先で降り、再び地上に出ると、途端に汗が噴き出てきた。一度地下に戻り、自販機でペットボトルのお茶を買って外に出た。
汗を流しながら緩くカーブした坂を登る。途中、すれ違った自転車が風を切って下る様子が涼しげだった。
角を曲がってもう少しだけ歩くと、次第に石材屋や花屋が増えてきた。そこでアマリリスの束を買い、桶に注いだ水に挿して歩いた。
花屋からユウカの墓までは少し距離がある。道はアスファルトで舗装されていて照り返しが強い。目を細めながら歩いていると、汗が目に入って痛かった。目をこすると、道の先に水たまりができていた。
思わず息を呑んだ。
あの水晶のように、境界が曖昧にゆらめいている。
駆け出しそうになったけれど、それが本当の水たまりではないことは明らかだった。
僕は再び歩き出した。
歩いても歩いても水たまりにはたどり着かず、いつの間にか消えていた。
未舗装の通路に入り、少しだけ坂を下る。そこにユウカの墓があった。
最近誰か来たのか、真夏だというのに下草は綺麗になっていた。墓石の近くだけ簡単に掃除をすると、花立に買ってきたアマリリスを供え、貝殻を一つ墓前に置いた。
それは一緒に海に行ったときに拾ったものだった。
春呼びの儀の次の日、僕たちはそのままの足で海へ出かけた。二月の海はとても冷たくて入れたものではなかったけれど、誰もいない砂浜で過ごした時間は僕たちだけの思い出になった。
その日以降、僕たちは可能な限りともに時間を過ごすようにした。大学入試の直前はユウカが気を遣ってメッセージだけになったけれど、その応援がどれほど力になったか計り知れない。
無事合格した僕を、ユウカは自分のことのように喜んでくれた。僕にとっては、受験勉強から解放されたことより、ようやくユウカとの時間に集中できることの方が嬉しかった。
次第に気温が上がっていく日々を、僕たちは努めて平熱のままで過ごした。変化を意識してしまえば、この日々に終わりがあることを強く感じてしまうことになるのを、お互いに理解していたからだ。
お互いの協力で積み重ねた思い出は、当初の想定よりもずっと豊かなものになった。反芻するのに十分な質と量を兼ね備えていた。
僕はこれからの人生で、この輝かしい時間をゆっくりと噛みしめていくことになるだろう。足枷としてではなく、決して失われることのない宝物として。それが僕を後押ししてくれるだろうという楽観的な希望があった。
「また来るよ」
僕は別の道を通ってその場を後にした。
四季に捧げる / for seasons 設楽敏 @Cytarabine
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