箱の中身は透明な靴

烏川 ハル

箱の中身は透明な靴

   

「あったわ! ここが、もうひとつの宝物庫ね?」

 目的の部屋に入ったシンディは、小さく歓声を上げていた。

 同時に、ハッと自分の口を手で押さえる。心の中だけでとどめるのでなく、独り言として声に出してしまうのは悪い癖。それは彼女自身、承知していたからだ。

 無用な声や物音は、本来ならば一切厳禁。なにしろ彼女は、最近王都を騒がせている盗賊――通称『黒い蝶々ブラック・バタフライ』――であり、今現在も王宮に忍び込んでいる真っ最中さいちゅうなのだから。


 雲ひとつない澄んだ空に、丸く満ちた二つの月が浮かび、人々の寝静まった王都を照らし出している。

 そんな夜の出来事だった。

 暴利を貪る商人や私腹を肥やす大臣たちを標的として、盗んだ金銭も市井の人々に分け与えることが多いため、庶民からは義賊とみなされている『黒い蝶々ブラック・バタフライ』だが……。

 純粋にシンディ自身のコレクションに加えるため、宝石や美術品などの宝を盗んで行く場合もある。今夜の盗みも、そちらのたぐいだった。

 王宮の奥深くに、王族が代々守ってきた貴重な装飾品が隠されているという。そんな噂は同業の盗賊たちの間でも前々から流れていたし、それは根も葉もない噂話に過ぎないとして一笑に付す者も多い中……。

 信頼できる情報屋から入手した断片的な話を、色々と繋ぎ合わせた結果。

 噂となっているお宝は確かに存在すること、それが保管されているのは通常の宝物庫ではなく、王族が寝泊まりする建物の一画いっかくにあること。

 それらを確信したシンディは、今宵ついに犯行に及んでいるのだった。


――――――――――――


「いくら警備が厳重な王宮とはいえ、私にかかればチョロいものね」

 いかにも魔導士といった感じのローブを着て、魔力を高めるための杖を手にした警備員が、王宮の敷地内にはウロウロしていた。

 しかし、しょせん彼らも人間だ。歩く時でも立ち止まっている時でも、手足の動きや微妙な仕草、視線の移動などをよく観察すれば、必ずどこかに隙があった。

 一般的に庶民は魔力が低いと言われているが、実はシンディには、いくつかの魔法が発動できるほど、十分な魔力が備わっている。いざとなれば魔導士相手でも戦える自信があるくらいだが、一度も魔法に頼ることなく、こうして目的の部屋まで辿り着いていた。


「だけど……。さすがに、これは魔法が必要かしら?」

 庶民のベッドルーム程度の広さで、窓ひとつない殺風景な部屋。中央には大理石の台座が用意され、その上に金属製の宝箱が鎮座している。

 それらしき鍵穴がないどころか、蓋を開閉するための留め金や蝶番すらも見当たらなかった。

「きっと『解錠アンロック』の魔法で開けるタイプよね。でも私、さすがにそんな高等魔法は使えないし……」

 ならば箱ごと盗んで行き、後で裏の世界の魔導士に依頼するのが最善策。そう考えて宝箱に手を伸ばしたところ……。

「えっ!?」

 驚いて叫んでしまったのも無理はない。

 シンディの手が触れた途端、パチンという音と共に、蓋が勝手に開いたのだ!


「どういうこと? なんだか『私の魔力に反応しました』って感じだけど、でも……」

 瞬時に一つの可能性に思い至ったのだから、驚いてはいても冷静さは失っていなかったのだろう。

 しかし彼女にわかるのは、そこまでだった。

「……なんで私の魔力波長が、王族の宝箱に登録されてるわけ?」

 戸惑いながらも、箱の中を覗き込む。

 とりあえず中身をゲットして、急いで逃げ出そうと思ったのだが……。

「えっ、どういうこと?」

 再び困惑の声を上げるシンディ。

 箱の中身はからっぽ。中には何も入っていなかったのだ。


「冗談じゃないわ! ふざけてるの? こんな……!」

 怒りさえも覚えて、実際それを口にも出したが、彼女は途中で言葉を飲み込んでいた。

 ちょっとした誤解に気づいたからだ。

 一瞬「何も入っていない」と思ってしまったけれど、よく見れば透明な物体が入っていた。

 硬質な光を反射しているので、おそらくガラス製品だろう。どうやら「王族が代々守ってきた貴重な装飾品」の正体は……。

「これって……。ガラスの靴かしら?」

 いつもの癖で独り言を口にしたつもりだったが、意外にも答えが返ってくる。

「その通り、ガラスの靴だ。『シルヴェーヌとガラスの靴』の話くらい、君も知っているだろう?」


――――――――――――


 ハッとして振り返れば、部屋の入り口に一人の男が立っていた。

 シンディと同じくらいの年頃の若者だ。魔法の杖を手にしているが、警備の魔導士ではないだろう。

 着ている寝巻は、デザインこそシンプルだが素材は高級品。金髪碧眼は王族に多いと言われている身体的特徴であり、そもそもここは王族が寝泊まりする建物の中なのだ。寝ていた王族の一人が賊の侵入に気付いて駆けつけてきたに違いない。


「第八王子のチャールズ……」

 相手の正体を悟って、シンディがその名前を口にする。

 直接対面するのは初めてだが、庶民の間でも王様や王子、王女たちの顔写真くらいは出回っているので、彼女も見たことがあったのだ。

 シンディは今、不思議な感覚にとらわれていた。まるで雷に打たれたような衝撃が全身を駆け巡っており、全く体を動かせないのだ。

 十代になったばかりの乙女だった頃、近所のハンサムなお兄さんに一目惚れした時も、同じような衝撃を受けた覚えがあるが……。

 そんな小娘でもあるまいし、まさか王子に「一目惚れ」なはずもない。今や『黒い蝶々ブラック・バタフライ』と呼ばれるほど、立派な女怪盗となったシンディなのだ。

 ならば、この衝撃は何なのか。一瞬「運命の出会い」という言葉が頭に浮かぶけれど、自分と王族に「運命」的な繋がりがあるはずもない。あるいは、王族の体からは高貴なオーラが滲み出ており、それに当てられたのか……?


「そうだ。僕はチャールズ、この王国をべる一族の王子の一人だ。その僕に対して名乗りもせず、質問にも答えないというのは、失礼ではないかね?」

 改めて問いかけられて、シンディは再びハッと我に返る。

「私は……」

 ついつい素直に名乗ろうとして、慌てて思いとどまった。自分は王宮に盗みに入った賊なのだから、その正体は絶対に秘密ではないか。

 代わりに「質問にも答えないというのは」の方に応じることにした。王子が言っている「質問」というのは、先ほどの「『シルヴェーヌとガラスの靴』の話くらい、君も知っているだろう?」のことだろう。

「ええ、知ってるわ。可哀想な庶民の娘が、お城の舞踏会へ……って話でしょう? 子供向けのおとぎ話よね?」

 と返しながら、小さい頃に絵本で読んだ話を頭の中で再確認する。

 大雑把なあらすじとしては……。


――――――――――――

――――――――――――


 血の繋がらない姉二人や継母と一緒に暮らすシルヴェーヌは、彼女たちから虐められる毎日です。まるで召使いみたいに家事を全て押し付けられ、着ている服もみすぼらしいものばかりでした。

 お城で舞踏会が開かれることになり、近隣の若い娘たちはなるべく出席するようにというお触れが出されても、シルヴェーヌは行かせてもらえません。お城へ行くのは姉二人と継母だけで、シルヴェーヌは留守番です。


 舞踏会の夜、家で一人で泣いているシルヴェーヌの前に、偉大な魔導士が現れました。魔導士は台所の野菜を馬車に、テーブルクロスを立派なドレスに、ガラスの食器をキラキラ輝く靴に変えると、それらをシルヴェーヌに与えて、舞踏会へ行くよう告げます。

 ただし魔導士は、ひとつ重要な注意も与えました。真夜中を示すお城の鐘が鳴り終わると魔法は解けてしまうから、それまでに帰らねばならないのです。


 こうして舞踏会に出席できたシルヴェーヌは、魔法によって本来の美貌もいっそう美しくなったらしく、皆の注目の的となりました。お城の王子様にも見染められ、二人は楽しく踊り続けますが……。

 やがて真夜中となり、それを示す鐘が鳴り始めました。

 王子様の手を振りほどいて、シルヴェーヌは慌てて駆け出します。かろうじて魔法が解ける前にお城を出ることには成功したけれど、靴が片方、脱げてしまいました。

 シルヴェーヌの足から離れた靴は、魔導士がかけた魔法が解けることもなく、ガラスの靴という状態のままでした。それを彼女の忘れ物として、いつかシルヴェーヌが取りに戻るかもしれないと考えた王子様は、いつまでも大切に保管したそうです。


――――――――――――

――――――――――――


「そう、その『シルヴェーヌとガラスの靴』だ。ただし……」

 チャールズ王子はまるでシンディの考えを読んだかのように、彼女がおとぎ話を頭の中で振り返り終わったタイミングで、再び口を開いていた。

「……それは子供向けのおとぎ話ではない。実際にあった出来事を元にした昔話なのだよ」


「嘘でしょう!?」

 今夜何度目になるのか、またまたシンディは驚きの声を上げてしまう。

 彼女が『シルヴェーヌとガラスの靴』を単なるおとぎ話と思っていたのは、世間一般でそう考えられているから……みたいな理由だけではなかった。彼女なりに「本当の話のはずがない」と判断する根拠がいくつかあるのだ。

 目の前のチャールズ王子にも、それを突きつけてみる。

「だって、そんなドラマチックな出来事が現実に起こったら大きな噂になるはずだけど、そんなの聞いたことがないわ。だからたとえ『実際にあった出来事』だとしても、かなり昔々の話でしょう? でも、そんな昔の魔法だったら、野菜の馬車とかガラスの靴とか無理だわ!」

 魔法というのは、そこまで万能ではない。彼女自身、少し魔法が使えるからこそ、それを十分理解していた。

 しかしチャールズ王子は、ゆっくりと首を横に振ってみせる。

「普通の魔導士ならば、確かに無理だったかもしれない。だから『偉大な魔導士』だったのだよ」

「そんなの屁理屈、こじつけだわ……」

「そもそも理屈云々ではないだろう? その箱に入っているガラスの靴。その存在こそが、あの話が事実だったという、確固たる証拠ではないか!」


――――――――――――


 シンディが盗み出そうとしていた宝箱を、チャールズ王子は力強く指差していた。

 釣られるようにして、改めてシンディは箱の中身を覗き込む。

 先ほど「ガラスの靴かしら?」と口にした時は意識していなかったけれど、そこに入っている透明な靴は、左右ペアではなく片方だけ。まさに『シルヴェーヌとガラスの靴』の話に合致していた。

「だけど……」

 それでも半信半疑なシンディに対して、小さな苦笑いを浮かべながら、チャールズ王子が告げる。

「『実際にあった出来事を元にした昔話』ではあるけれど、もちろん事実と違う部分もあってね。例えば、城の王子とシルヴェーヌが楽しく踊り続けた……というくだりだ。あの部分は、それこそ子供向けに、かなりマイルドに脚色されているんだよ。先祖代々の言い伝えによれば、実際は……」


 二人は舞踏会の会場をそっと抜け出して、王子の寝室へ。そこで結ばれたのだという。

 真夜中を示す鐘が鳴り始めた時もまだベッドの中であり、慌てて帰るシルヴェーヌには、きちんと身支度する暇がなかった。だからガラスの靴も片方だけ脱げてしまったのではなく、最初から片方しか履く時間がなかったのだ。


「何それ……」

 子供の頃に楽しんだおとぎ話が、なんだかけがされた気分だ。

 シンディは少し顔をしかめるが、チャールズ王子の衝撃的な話には、まだ続きがあった。

「言い伝えによれば、くだんの王子は『その一夜でシルヴェーヌが身籠ったのではないか』と考えたらしくてね。シルヴェーヌ本人は無理でも、いつか彼女の子孫がガラスの靴を取りに来るかもしれないと思って……」

 シンディを見ながら、チャールズ王子はニヤリと笑う。

「……王家の血を引く人間だけが開けられるよう、個人の魔法の波長を利用した仕掛けが、その箱にはほどこされていたのさ」


――――――――――――


「ちょっと待って! それじゃ……」

 シンディは本来、頭の回転の速い女性だ。チャールズ王子の発言が意味するところを、正しく理解していた。

「……私にも王族の血が流れてる、ってこと?」


「うむ。だが、それだけではまだシルヴェーヌの子孫とは限らない。うちの先祖の中には、品行方正とは言えない連中も多かったからね。女遊びの末に生まれた、いわゆる御落胤みたいな子供たちも、王都にはたくさん存在するだろう。そちらの血筋由来の子孫かもしれないから……」

 チャールズ王子は、改めて宝箱を指し示していた。

「……そこに入っているガラスの靴。試しに履いてみてくれないか?」


「どういうこと? たとえシルヴェーヌの子孫でも、ぴったり足のサイズまで同じになるはずないでしょう?」

「ああ、大丈夫。そんな杜撰なチェック方法ではないから。まあ騙されたと思って、とりあえず履いてみてくれ」

「そこまで言うのなら……」

 口では渋々といった様子を示すものの、内心では何だかワクワクしながら、シンディはガラスの靴を取り出して、足に合わせてみる。

 少しきついけれど、一応は履くことが出来た。


「どうかしら? 似合う?」

「うん、似合うよ。それよりも……」

 わざとらしくポーズを取るシンディに対して、チャールズ王子はおざなりに相槌を打つ。

「……ちょっと心の中で念じてみてごらん。その靴みたいに透明になりたい、って」

「透明化? もしかして、この靴、そういう魔法が付与されてるの?」


「そう。魔力を持たぬシルヴェーヌでも使えるような、特別な魔法器具マジック・アイテムで……」

 そもそも『シルヴェーヌとガラスの靴』のおとぎ話でも、シルヴェーヌは舞踏会の夜、最初は家で泣いていたことになっている。ならば魔導士に助けられて急いでお城まで駆けつけても、既に舞踏会は始まっており、その扉も閉ざされていたはずだ。

 そこに密かに忍び込むことが出来たのも、ガラスの靴という魔法器具マジック・アイテムで、おのれの体を透明にしたからこそ。

 また帰りは帰りで、王子様が追いかけてくるのを楽々振り切れたのも、透明化アイテムのおかげ……。

 その辺りの事情を、チャールズ王子はシンディに説明してみせた。

「……シルヴェーヌ個人の特性に合わせてあるけど、そういうのは遺伝するからね。シルヴェーヌの子孫でも使えるはずだよ」


――――――――――――


 それから数週間後。

 第八王子のチャールズが妃を迎え入れるという噂が、王都を駆け巡った。

 相手の女性は貴族や他国の王族ではなく、むしろ庶民に近い出自らしい。詳しい情報は伏せられており、人々に公開されたのは、ただ「シンディ」という名前だけ。


 時を同じくして、有名な盗賊『黒い蝶々ブラック・バタフライ』の活動が、以前よりもかなり減ったという。

 ただしその手際は逆に冴え渡り、犯行の形跡だけは残っているものの、盗賊自身の目撃情報は一切なくなった。まるで『黒い蝶々ブラック・バタフライ』がおのれの姿を消すすべを身につけたかのように。




(「箱の中身は透明な靴」完)

   

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箱の中身は透明な靴 烏川 ハル @haru_karasugawa

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