木箱

西しまこ

祖母の思い

 最近祖母が「あの木箱、どこにやったんだい? だいじなものだったのに」と言うようになった。

「ちゃんと探しておくよ」とわたしはその度に応える。

「頼むよ、美子よしこ。本当にだいじなものが入っているんだよ」

「分かったわよ」

 おばあちゃん、という呼びかけは心の中に留める。「美子」はわたしじゃない。わたしの母の名だ。祖母は、しばらく前から、わたしのことを死んだ母だと認識していた。


 祖母は夢の国にいる。夢の中で生活し、ときどき現実に舞い戻る。今回の木箱がそれだ。祖母は、最近は木箱のことをひどく気にかけ、ずっと探していた。

「ねえ、木箱って、どのくらいの大きさ? 大きいの? 小さいの?」

「大きくなんかないよ、これくらいだよ」

 祖母が手で示したサイズは葉書くらいの大きさだ。

「特別に作ってもらった箱なんだよ」「うん、分かったよ。探しておくよ」

「お願いだよ、美子」

 美知留みちると呼ばれないさみしさを一ミリだけ心の中に感じながら、わたしは祖母の手を慈愛深く握った。おばあちゃんのだいじなもの、ちゃんと探してみるよ。


 母が亡くなったのは、わたしが小学校三年生のときだ。信号無視した車にはねられて死んでしまった。母はシングルマザーだったので、わたしはこの先いったいどうなるんだろうかと思っていたら、祖母が引き取って育ててくれたのだ。娘を失くして泣きはらした目をしながらも、「二人で頑張って行こう!」と、わたしの手を握ってくれた。祖母も母も若いときに子どもを生んだので、わたしを引き取ったときの祖母はまだ五十歳だった。外見も若々しかったので、母と間違われることも多く、わたしは祖母のことを母だと思われても、その誤解を解かなかった。自慢の祖母だったのだ。


 その祖母が若くして認知症の症状を見せ始めた。

 在宅介護にも限界が来て、施設に入所した。そして時おり家に残して来たもののことを気にかける。


 わたしは家に帰り、祖母タンスを調べることにした。木箱と言うので、もっと大きなものかと思っていたけれど、小さな木箱ならタンスの奥にありそうだ。

 ほどなくして、それは見つかった。

 白い木の箱で、年代を感じる箱だった。静かに息をしているような感じがした。


 わたしはそっと蓋を開けた。

 母子手帳と……干乾びた……へその緒?


 それは母のへその緒と母子手帳だった。母子手帳を開くとひらりと紙が落ちて、見ると、祖母の字で「生まれて来てくれてありがとう、美子。幸せになってね」と書いてあった。


 わたしは泣けて泣けて仕方がなかった。

 祖母の子どもへの思いと願い。

 でも親の自分よりも早く死んでしまった悲しみ。


「ママ?」

 小さい娘の手がわたしに触れた。

「美里」

 わたしは美里をぎゅっと抱き締めた。

「いたいの? ママ。いたいのいたいの、とんでけってしてあげる」

 小さな子の無垢な優しさが身に染みた。

 

 親が子に思うことはいつも同じ。

 生きていて欲しい。生きて、そして幸せを感じるような人生を送って欲しい。


 玄関が開いて「ただいま」という声が聞こえた。美里は「パパ!」と言って玄関に駆けて行った。

 その足音があまりに愛らしくて、また涙がこぼれた。





     了

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木箱 西しまこ @nishi-shima

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