第3話 少年と屍
少年は目を開いた。
そこは自室で、いつもの机だった。
気が付けば眠っていたらしい。
カーテンの隙間からは日が差していた。
卓上の時計を見ると、既に朝になっている。
世界が終わっても時計を見る習慣は消えず、結局人間は何かに縛られて生きていく定めらしいと自嘲する。
無理な体勢で寝たことが災いし、身体のあちこちが痺れていた。
欠伸をしながら椅子を降りると、寝そべっていた犬が顔を上げる。
おはようと声を掛けながら、身支度を始めた。
またいつも通りの一日が始まる。
ただ保有者を狩り、女との遭遇を待つだけの生活だ。
相棒と共に朝食を取る。
乾パンと庭で採れた簡単な野菜。
簡素で最低限だが、生きるために必要なもの。
それから小銃を持って家を出た。
雑居ビルの屋上に陣取り、狙撃を始める。
踏切で止まったままの各駅停車。
車内に残された保有者を見付けた。
照準を合わせ、引き金を絞る。
一発目の射撃は、思いの外良いものだった。
ガラスを砕いた弾は、歩く屍の頭部を期待通りに破壊した。
近くで死体を眺めたならば、ライフル弾がもたらす人体破壊を余すことなく実感できるだろう。
次の標的を探す。
黒いジャケットを着た女。
スコープの視界に捉えた瞬間、心臓が跳ねた。
探し求めた女の顔がよぎる。
しかし、違った。
スコープに写し出された顔は、まるで異なるものだ。
一度大きく深呼吸した。
心臓を落ち着け、確実な射撃を行うためのクールダウン。
数秒置いてから、二発目を放った。
屍の頭部が揺れ、千切れた髪と肉片が舞う。
棒のように倒れるのを見届け、更なる標的を探す。
そして、撃つ。
殺しに慣れ、哀れな屍に引導を渡す一連の過程。
女と再会した時、もう躊躇ってはいけない。
殺すことだけが虚しい死を終わらせるのだから――。
陽が暮れ、少年と犬は家に帰った。
狙撃の結果は概ね良好だった。
しかし、心は彷徨うように落ち着かない。
女に似た屍を見たことが、その原因だった。
犬の食事だけを用意し、布団に入る。
食事を摂る気分にはなれず、かといってすることもない。
もし女が生きていたならば、夕食という名の宴会に付き合わされていただろう。
高校生に酒を教え込み、挙句に身体を重ねて眠る。
不健全なことだが、それを咎める者はなく、もはやかつての常識も意味がない。
何より、そうすることが女にとって『生きる』ことだったのだ。
それがあったからこそ、少年も生きることができた。
そんなことを考えながら、少年は眠りに沈んだ。
ふと微かな声が鼓膜を揺らした。
反射的に起き上がる。
相棒の姿を探し求める。
いつもは脇で眠っているが、今は窓に向かって威嚇の姿勢を見せていた。
保有者が近くに潜んでいる証だ。
耳を澄ませると、保有者特有の呻き声が聞こえた。
しかし、何かが胸を騒がせる。
予感にも似た感覚が身体を動かした。
窓際に走り、外を見る。
時刻は深夜三時。
闇が辺りを支配していた。
目を凝らす。
家の前の道、朧げに人影が見える。
女性、肩下まで伸びた襟足。
――まさか。
部屋着のまま小銃を取る。
弾倉を叩き込み、ボルトを引いて初弾を装填。
安全装置を確認してから外に出た。
玄関を出ると、煙たい夜の香りが鼻腔を撫でた。
胸がざわつき、手が強張る。
逸る心を抑えながら、柵を開けて道に出た。
人影はそこにいた。
ライトを当てると、懐かしい姿が浮かび上がる。
――女だった。
「どうしてここに……」
少年は、はっと気が付いた。
保有者は生前の行動を繰り返すことがある。
今まで何度か目にしたその光景。
女もまた、そうしているのだ。
発症し、歩く屍となっても少年を忘れることができなかった。
そして、かつて過ごしたこの家まで彷徨ってきたのだ。
悲嘆、歓喜、哀愁。
ぐるぐると感情が胸に渦巻く。
しかし、やるべきことは決まっていた。
銃口を上げる。
照準を合わせ、人差し指を引き金に添える。
躊躇は、ない
――『その時』が来たのだから。
女が微笑んだように見えた。
初めて会った時に見た、あの顔が蘇る。
「おかげで、今も生きてるよ」
そう呟き、指を絞る。
低い銃声が鳴り、反動が肩を揺らす。
銃弾が女の頭部を貫き、終わらない死に終止符を打った――。
翌朝、少年と犬は街を歩いていた。
女を殺しても世界は変わらない。
死者の群れは相変わらず辺りを徘徊。
世界も終末を迎えたまま、佇んでいる。
足掻いても世界は変わらない。
だからこそ、少年は自分を変えることを決めた。
過ごした家を出て、新たな街へと向かう。
女との思い出が残る家を出ることには、幾ばくかの抵抗感があった。
しかし、それでは何も変わらない。
何より、女が遺したものは十分なほど身近にあった。
相棒の犬、頼れる小銃、そして、この自分自身。
自分は孤独だが、しかし、独りではない。
過去の遺物に執着する必要はないのだ。
この先、どうなるかは分からない。
歩く屍に道を阻まれるかもしれない。
あるいは、誰かと会い、新たな生活を知るかもしれない。
しかし、生き続けることは変わらない。
死者が溢れる世界で生きる者だからこそ、存分に生きなければならないのだ。
女がそうしたように、自分もそうし続けるだけだ。
不意に犬が鳴いた。
保有者を視界に捉えた。
生きるために殺すこともまた、不変である。
かつてもそうであったように、犠牲の上で人間は生きている。
標的に照準を合わせる。
息を吸い、ゆっくりと吐き出していく。
そして、身体が安定するその時を待った。
息を吐き切る一瞬。
引き金を絞る。
反動が肩を叩き、空薬莢が排出される。
吐き出された5.56ミリ弾が脳を掻き回していく。
――歩く屍が倒れた。
ボーイ・キルズ・ガール ヒトのフレンズ @human-friends
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます