もう何が何だか

和田島イサキ

もう何が何だか

 きっと私のような人間が事故物件を生み出すのだと思う。


 あるいは「なる」の方が正しいか。最終的にゴミで埋め尽くされた部屋の一角、大きな床のシミとかになって終わる人生。さりとてまだその途上である以上、私は生活をしなくてはならない。


 昔から片付けが苦手だった。ゴミを溜める癖はものぐさではなく合理性の表れで、少なくとも私の中ではそうで、だってまとめて出したほうが効率的に決まっている。ゴミ袋は必ず一番大きなものを買って、もちろんひとり暮らしの私がそれをいっぱいにするには何日もかかるけれど、それがパンパンになるとこまできてようやくゴミに出す。こうすることでゴミ出しの回数を理論上最小にできるのだと、そう満足していたところに突如降って湧いた天啓、


「待てよ。袋ふたつがいっぱいになるまで耐えればさらに半分の頻度にできるのでは?」


 その天才的な策略に溺れた結果、見事に部屋がゴミ屋敷化した。よくある話だ。事実、もう何度目かわからないくらいで、だから私はすぐさま不動産屋さんに連絡を入れた。


 お引越し。というか、そのための物件探し。


 これまで幾度となくゴミ屋敷を製造してきた私から言わせてもらうと、ゴミ屋敷のやっつけ方は簡単だ。どうして部屋がゴミで埋め尽くされたままになるのかといえば、それは「なんだかんだ住めてしまうから」の一点に尽きる。つまりゴミ屋敷の駆除には強制的なタイムリミットが効く。引き渡しの日を正式に約束してしまえば、もう「まあいっか、お掃除はまた今度で」ってわけにはいかなくなる。


 方策は決まった。というか、ほとんど定例行事みたいなもので、ただ今回はいつもと少しばかり様子が違った。


「せっかくですし、思い切ってそろそろ事故物件なんかどうです?」


 そんな妙なものを勧められたのは初めてのこと。いつもお世話になっている不動産屋さんの、いつものおじさんはでもどうやら偉くなってしまったみたいで、代わりに私の担当についたのは初めて見る女性だ。私と同じく二十代半ば、長い髪がよく似合うキリッとした感じの女性で、でもそんな瑣末な特徴がどうでも良くなる程度には豊満な胸をしていた。


 それでもお店で話してるうちはまだ「こいつ……デカいぞ……?」くらいなものだったのが、でも内見に出てからはさすがにもう誤魔化しようがないというか、立って歩き回る姿を見るにつれ「お……おお……」ってなった。上品に着こなされたパリッとしたスーツの、でもその胸部だけがなかなか見ない感じの出っぱり方をしていて、別に強調しているわけでもないからこそ余計に目立つというか、それはとりも直さず「比較的目立たないようにしてて尚これ」ってことだ。


「いいんですかこれ。なんか反則とかになりません?」


 いやー本当はダメなやつなんですけどまあお得意様ですから、とのこと。そっか何度も頻繁に引っ越すとこんな特典があるのかあ、と、その私の納得はでも悲しいすれ違いだったみたいで、気づけばまんまと連れ出されていたそこは、〝本当はお客さんに出しちゃダメなレベル〟の事故物件。


「いかかです? お客様、確か霊感はお強い方ってことでしたけど。何か感じたりとかは?」


 いえ全然、というのが正直な感想、より正確には「いやそれどころじゃないだろこのデカさは」と思った。大きい。こうして見ると本当に。最初のんきに「私と同じくらいかなあ」とか思っていた自分の、その目の節穴さ加減が恥ずかしくなるくらいだ。


 霊感が強いというのは最初に自分で申告したことで、昔から割と頻繁に〝見えちゃいけないもの〟を見てきた。が、この部屋にはそういうものが一切感じられない——というわけではなく「まあ居ることは居るっぽいな」というのが理屈ではわかるのだけれど、でもそれどころじゃない。とてもそんな気になれない。隣にこんなデカいものがユッサユッサしてたら、そりゃどんなに怖いものだって怖くなくなる。

 事故物件を無効化してしまう不動産屋さん。ある意味天職と言って差し支えないけど、でも同時に「それはそれで大変そうだな」と思った。


 きっと望んで得たわけでもないであろうその大いなる乳に、でも必然的に伴ってしまう大いなる責任。どんな怖い話もそれどころじゃなくしてしまうその特性がゆえに、きっと彼女はここいら一帯の事故物件を全部任されて、確かにそれは合理的な判断には違いないのだけれど、しかし人は本当に合理のみに生きていいものだろうか?


「いいんです! 好きでやってる仕事ですから!」


 事故物件、サイコー! と私と肩組んで自撮りする彼女。満面の笑みで曰く、「こんな何軒も内見付き合ってくれるかた、初めてで!」とのこと。わかる。そりゃそうだよとは思うけどでもどっちの「そりゃそう」だろう。「そりゃそんないくつも事故物件巡りたがる物好きはいないよ」の方か、それとも「そりゃ即決しちゃうよそのおっぱいじゃ何も怖くないもん」の方か。


 まあでも、当人が好きでやってるならよかった。事故物件巡りが趣味の女。よかったけどでも逆に納得がいかないというか、そんな〝何の必然性も合理もなくただたまたまデカいだけ〟が許されるのだろうか。そんな偶然のデカ乳だったら少しくらい分けてほしい、でないとなんかズルとか反則とかになる気がする。


「でも、お客さんも相当なスキモノですねえ。本当はなんか見えちゃってるんじゃないですかー?」


 そんなことはない。いや見てなくもないけど視線がお前のデカいそれに持って行かれて実質見えない。今日ハシゴしてきた部屋部屋に渦巻く、かつての住人たちの怨嗟や怨念の残滓は、でも隣で揺れまくるそいつに私が向ける嫉妬心に比べたらいずれもちっぽけなもので、つまり今や私自身が生きる事故物件のようなものだ。


 スキモノだなんてとんでもない。というか、同類認定されても困る。

 ただ、この手の部屋がいつか自分のたどり着く終点と思えば、そんな気にならないし後こうしている間は乳見放題だなってだけだ。


 やっぱり、私はいつか事故物件になるのだと思う。今まで誰にも話したことのなかったその将来設計を告げて、さて私は彼女に何を期待していたのだろう?

 わからない。それでも、いつかこの街の片隅、人知れず床のシミになるのだとして、どうせならそういうの好きな人に放っといてもらった方が得だなって思った。


 彼女は笑う。太陽のような笑顔と双丘を揺らして、弾むような声で私に「お友達になりません?」とか言う。

 例えば、奇遇とか運命とか、そういう合理の伴わないものはいまいち好きじゃなかったけれど。

 ——仕方ない。こうまで、いろいろと噛み合ってしまっては。


「実はですね。わたし、いつか自分で事故物件を作るのが夢で!」


 まあそんな好きならそりゃねえ、と笑いながら連絡先を交換して、だから「ん? 待ってどういう意味?」と気づいたのはその何日か後のこと。


 かくして、なんかおかしな話だけれど友達ができた。

 私の暮らす事故物件、早くも大量のゴミで埋め尽くされつつあるそのワンルームに、今日もインターホンのチャイムがこだまする。

 私がこの部屋のシミになって、彼女がそれを自慢げに誰かに紹介するのは、また別の——でも、きっとそう遠くもない未来のお話、かもしれない。




〈もう何が何だか 了〉



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