〜prologue 〜神のミスにより死ぬはずのない人を轢いた人間の話
シュガースプーン。
轢いた側の話
男は、門を出た後、今までお世話になった場所を振り返ってお辞儀をした。
たった今、男は刑務所から出所した所である。
20年前、トラックの運転手であった男は、夜の運送の仕事でトラックを運転中に交通事故を起こした。
場所は見通しの悪い交差点。
男は安全に気をつけて、早めにブレーキを踏んで、余裕をもって速度を緩めながら停止線で一旦停止をしようとしていた矢先の話だ。
いつも通りに車体が減速を始めた次の瞬間、車のトラブルなのかなんなのか。トラックはまるでブレーキからアクセルに踏み替えたかのように急加速をした。
ブレーキでゆっくりと減速して止まる手前であった為に踏み間違えという事はない。
男が焦りながらブレーキを目一杯踏み込んでも加速が弱まる事はなく、それならばとサイドブレーキを引いても、シフトをニュートラルに入れても男の運転しているトラックはどんどん加速していく。
速度を上げて交差点へと侵入したトラックは、横断歩道を渡っていた一人の歩行者を巻き込んでも止まる事なく、歩行者を何メートルも引きずった後、トラックは急に男の操作を受け入れたかのように大きなブレーキ音を上げて車体を停止させた。
男は慌ててトラックを降りて確認するが、交差点で轢いてしまった歩行者は、ノンブレーキで轢かれた為既に亡くなっていた。何メートルも引きずったために見るも無惨な状態だ。
男は事故処理のために警察を呼んで事情を説明したのだが、警察がトラックを調べた結果はなんの異常も見られなかった。
その後、ブレーキ痕などから男は歩行者を確認してからトラックを急発進させて被害者を轢き殺した悪質な危険運転致死傷罪として逮捕された。
男が起こしたこの事件はニュースで全国放送され、男は懲役20年という実刑判決を受けた。
その当時、男は結婚して子供も生まれたばかり。まさに順風満帆、とても幸せな日々を過ごしていたのだが、この事件のせいで妻とは離婚、子供にもそれから会っていない。
しかし離婚は男が言い出した事であった。
事故当時の男は、被害者の家族からの恨み言や、世間での殺人犯と呼ばれている状況に精神的に病んでおり、愛する妻と子供に自分の家族だからと誹謗中傷が向かないようにと考え、自ら縁を切った。
実家も連日マスコミが押しかけていたようで、両親が恨み言と共に縁を切りに来たくらいだ。
それ程までに、男が起こした事故は凶悪犯罪として世間から注目をあびた。
交差点で加速して被害者を巻き込んだ後もアクセルを緩めずに何メートルも引き摺り殺したというマスコミが集めた目撃証言が連日放送されてワイドショーなどでは飲酒やクスリをやっていたのではないかなど、憶測で話が大きくなっていく。
そんな状況だから、男が言い出さなくても妻の方から離婚は言って来ていたであろうが、男は最後に見栄を張りたかったのかもしれない。
男は刑務所をでた後は、自分が当時購入した家へと向かう。
当時32歳だった男も52歳になり、仲良くしていた友人や会社の同僚も音信不通。
この20年、面会には誰も来てくれなかった。
男が向かう家も、離婚した妻と息子の為に離婚の時に権利を譲渡している。貯金も養育費の代わりに折半ではなく全て渡した。
家にはローンもあったしあんな事の後では住んでいるはずもないだろう。
それでも男がその家に向かうのは、まだあの家に妻や、息子が住んでいるのなら、遠目でもいいから息子の成長した姿を一目見たかったからだ。
あれから20年。息子は今年で20歳。
本当なら、男は息子が産まれた時に買った生まれ年のワインを一緒に飲んでいた事であろう。
あんな事故さえ起こさなければ……
男が色々と考えながら、家へとたどり着くと、そこに家は無く、空き地になっていた。
「ははは」と、男の口からは乾いた笑いが漏れる。
あれだけのニュースになれば、ここの家に住むのが誰の家族かなんてすぐに分かる。もしかしたら周りから犯罪者の家族として悪質な嫌がらせもあるかもしれない。
ここにいるはずがない。
分かってはいたが、現実を目の当たりにすると辛かった。
男は、何も無くなった空き地を悲しそうに数分見つめ、その場をあとにした。
その後、帰る家もなく、金は刑務所の中での労働で稼いだわずかな賃金。
ホームレスのように過ごしながら働く所を探したが、男の事情ではコンビニのアルバイトでさえも決まる事はなかった。
そうしているうちにお金は底をつき、冬の寒空の中、男は風を拗らせた肺炎で苦しみながら公園のベンチで横になっている。
幸せそうな家族が子供を連れて遊びに来るが、男を見ると公園から去っていく。
自分も、息子を連れて公園へ行きたかった。一眼でいいから成長した姿を見たかった。
男は後悔しながら息を引き取った。死因が、肺炎だったのか、それとも凍死だったのか、それとも餓死だったのかは分からない。
◇◆
男が目を開けると、何もない白い空間であった。
先程まで感じていた肺炎による呼吸ができない息苦しさも、冬の凍えるような寒さも何も感じない。
そして男の目の前には、頭を地面に擦り付けるように土下座をする老人がいた。
「すまなかった!」
老人にいきなり謝られた男は、何が何だか分からず、戸惑いを覚える。
「いきなりこんな事を言っても戸惑うとは思うんじゃが、ワシは神じゃ」
「神、さま?」
男は、なぜか目の前の老人の言葉がスッと胸に入ってきた。
やはり自分は死んだのだと、苦しみが消えていた事に納得できた。
「それで、神様がなぜ土下座しているんでしょうか?」
神は頭を上げて正座の状態になると、男の質問に答えはじめる。
「20年前の事じゃ、ワシは一つのミスを犯した。死ぬ運命になかった男が車に轢かれると思い、助ける為にブレーキをかけたのじゃ。しかし、ワシは踏み間違いを起こしていて、ブレーキではなくアクセルを踏んでおった。その後も、止まらない車に焦りを覚えて勘違いしたままアクセルを踏み続けた。それを見た妻が慌ててワシの現世への干渉を切ってくれたのじゃが、時既に遅く、大事故になっておった」
男は神の説明を聞いて、聞いたことのある話に頭が真っ白になった。
20年前に男が起こしたあの事故は、この目の前の神が現世の人間と同じように踏み間違いを起こした事故であった。
やはり、あの時トラックのコントロールは効かなかったのだ。
男はそれを理解して怒りが沸き起こってくる。あの時、男はちゃんと停止線で止まるためにブレーキを踏んでいた。何事もなく、事故など起きなかったはずなのだ。
それなのに、このジジイは勘違いで事故を起こした上に男に罪をなすりつけて逃げた。
そのせいで、男は人生を狂わされた。家族と引き裂かれ、不幸のどん底に叩き落とされた。
「お前が! お前のせいで! 俺は、俺は!」
男は怒りで言葉にならない言葉を叫んで神と名乗った老人の胸ぐらを掴んで立たせた。
「はい、これ。神はどれだけ殴っても死なないから気が済むまで殴るといいわ。だけどその後に少し話を聞いて欲しいのよ」
男の横にいきなり現れた美しい美女が鉄パイプを渡してくれた。
男は鉄パイプを握ると、怒りに任せて鉄パイプを振り上げるが、老人を殴りはせずに力無く鉄パイプを下ろした。
いくらこの老人に恨みをぶつけても、過去には戻れない。妻と子供と過ごす人生をやり直すことなどできない。
それに、効果の無い老人を殴っても、虚しいだけである。
「いいの? 私が許すわよ?」
「あんたは誰なんだ?」
「私は女神。この人の妻よ」
男はキョトンとした目で女神を見た。歳の差カップル。いや、神様だし見た目は関け—
「それ以上は考えてはダメよ?」
男は女神から釘を刺された。どうやら考えている事は分かるようである。
「もういい。死なないのならやっても虚しいだけだ」
「痛がりはするわよ?」
「それでも、気が晴れることはないよ」
男の言葉に、女神は「そう」と短い相槌をうった。
「こんな状況で話すのは言いにくいのだけど、これからの話を聞いてくれるかしら?」
「これから?」
男にはその言葉に違和感があった。死んだ後の話など考えた事もなかったからだ。
「輪廻転生って聞いたことある? 人は死んだら記憶を失って新しい人生を歩むのよ」
男は女神の話に頷いた。なんとなくは理解できる。ふんわりとだが、聞いた事がある話だったらだ。
「こんな事を言ってしまうとあれなのだけどね、普通は産まれた命には寿命が決まっているの。どこで産まれて、どうやって死ぬのか。それには因果的な強制力があって、運命は変えられない。たまたま災害が起こる所に旅行に行ってしまう人がいるのもそのせい。始まりと終わりが決まっているだけでその間の人生はその人の選択による人生なのだけどね」
女神の話の行き着く場所がわからず男は首を傾げる。
「焦ってはダメよ。貴方が殺した事になった男はあそこで死ぬ運命ではなかった、貴方が殺す運命ではなかった。本当はどんな運命だったか。彼はあの事故が起こらなければ7年後、小学校に包丁を持って侵入して、入学式だった新入生とその親を無差別に殺すはずだった。人生が何も上手くいかず、飛び出し自殺をしようとしても死ねず、自暴自棄になった男による無差別殺人。その時、あなたの愛する妻と息子は死ぬ運命だったわ。だけど、あなた、いえこのバカ旦那が犯人の運命を捻じ曲げた事で世界の運命の強制力が歪んだ結果。その事件で死ぬはずだった命は将来老衰まで死なないように切り替わった。あなたは自分の人生と引き換えに最愛の2人の命を救ったのよ」
「そんな……」
そんな都合のいい話があるかと叫びたくなった。自分を納得させる為の出鱈目ではないかと、男は怒りで肩を振るわせた。
「嘘ではないのよ。それがあなたをここに呼んだ理由だから。あなたにお願いがあってここに呼び出したの。こんな話をせずに、貴方の記憶を消して新しい人生を与えることもできたのに、この説明をしてでもあなたにお願いしたい事があるの」
男は、女神の発言に少し納得してしまった。確かに、この説明を自分にする必要はない。
「俺に何をさせたいんだ?」
「転生先である男を殺して欲しいのよ」
男は女神の不穏な言葉を聞いて眉がピクリと動いた。
「運命は因果で決まっているんじゃないのか?」
今さっき女神からそう説明を受けたばかりだ。
「運命に逆らって殺してしまった男をお詫びとして別の世界に記憶を持ったまま転生させたわ。あなたの世界の物語でよくある話よ。男は神に与えられた《勇者》のスキルを使って望み通り幸せに暮らすはずだった。だけど、男は《勇者》の運命から外れて因果を無視して捻じ曲がった人生を歩み始めた。その原因は一度因果をすり抜けた魂に宿った《因果律無視》のスキル。表では勇者をしながら、元々人を無差別に殺すまで狂うはずだった
神のせいで20年苦しんだ男に、尻拭いをさせる。そう聞こえてしまうのは仕方のない事であろう。
「断る。あんたが言う事が本当なら、俺は因果が狂ったおかげで家族をその男に殺されずに済んだ。その男への恨みはないし、殺す理由はない」
男の言葉に女神はニコリと笑った。
「そうよね、そう言うと思ったわ。でも、あなたが転生するのはその世界だと決まっているわ。普通と同じように記憶を消して転生して、もしかしたら勇者に家族や知り合いを壊されるか、私達のお願いを聞いて記憶を持ったまま新しい家族や知り合いに危害が加わる前に勇者を殺してしまうか。断ってもいいわ。全てを忘れたらこの話も関係ないもの。次の因果を外れた人が死んでここにくるのを待つわ」
「あんた、最悪だな」
男は女神を睨んだ。新しい人生の家族を使って脅した上で、次の因果を外れた人間。つまり勇者に殺されるはずだった前世の妻か息子までも巻き込もうとしているのだ。
「だって、1人の命ではなく、世界を管理するのが私達の仕事だもの」
いやらしく笑う女神に、男は頷くしかなかった。
「分かった。あんた達が言うように、俺が勇者を殺す」
「ふふふ、ありがとう。それでは、行ってらっしゃい」
「すまんが、よろしく頼むのう」
神と女神の言葉の後、男の意識はブツリと途切れた。
この物語はまだ、始まったばかりである。
終
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あとがき
この話はこれで終わりです。もしよろしければレビューをよろしくお願いします。
〜prologue 〜神のミスにより死ぬはずのない人を轢いた人間の話 シュガースプーン。 @shugashuga
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