可愛いペンギンには旅をさせよ。そして、舌を肥えさせよ。

ドルチェ

第1話

「空に憧れたことはありませんか?」

 間接照明の灯りがぼんやりと、彼……アデリーを照らす。目の前に置かれたグラスの中のカクテルを揺らしながら。

「ばか言え……そんなもん、ここに住んでるやつら、全員思ってんだよ」

 隣に座るケープは、アデリーと同じカクテルを一気に流し込むと、同じカクテルをマスターにオーダーしていた。

「ここに住んでるやつらだけじゃない。エミュー領だって、ヒクイドリ領だって同じさ。生まれながらにして羽を持ちながら、飛べないなんてな。とんだ自虐もあったもんだ……いっそ、もいでくれた方がマシってもんだ」

 ケープが管をまく様子を静かに聞きながら、アデリーは内心ほっとしていた。自身が思っていることをすべて代弁してくれたのだから。

「マスター、俺もおかわりを。えっと……フォーリンエンジェルで」

「かしこまりました」

 カウンターの向こう側で、マスターは手慣れた手つきで淡々とカクテルを仕上げていく。店内には二人とマスターのみ。お洒落なジャスが流れ、二人の傷ついた心に染み入るようなナンバーが次から次へと選曲されていく。

 二人の行きつけの店『翼をください』は、アーケード街から一本路地へ入った飲み屋横町に軒を連ねるうちの一店だが、かなり奥まった場所にあり、知る人ぞ知る隠れ家的な店だった。看板も特に出ておらず、まさに通好みの店で、メニューも一風変わった物が並ぶ。

 マスターの目利きにより毎朝、港という名の氷の大地より瞬間凍結の後直送される新鮮な魚介類を日替わりで提供するスタイルだ。大胆にも、味付けはほとんどなし。独自の製法により、ドリップを最小限に止め、さらにそれを大胆にも皿の上にそのまま載せて提供する。ワイルドなようでいて、素材の味を存分に味わえる、素材に自信を持っているからこそできるストロングスタイルだ。

「お待たせしました。フォーリンエンジェルでございます」

 コルクのコースターに乗せて、音もなく差し出されたフォーリンエンジェル。ケープはマスターに軽く会釈をしてから、嘴をつけた。店の名前に倣うように、どこか自虐的な響きのそのカクテルを口に含んで味わっていると、ほどなくしてアデリーも同じものをオーダーした。

「今日はペースが早いんじゃないですか……? 別に強制するつもりはありませんから、自分のペースで飲んでくださいよ。どうあっても、俺たちはお互いに『肩を貸す』何てことはできないんですから」

「分かってる。引き際はちゃんと見極めるさ。……『PEN銀』もあるしな。閾値を超える前に警告してくれるなんてありがたい。……ちなみに、お互い肩を貸すことはできなくても、お代を『肩代わり』することならできるよな?」

「上手いこと言いますねぇ。でも、今回は俺に奢らせてください。ただの愚痴聞いてもらってる身でお金まで出させたんじゃ申し訳ないです」

 アデリーがペコリと頭を下げると、ケープはその平たい羽をパタパタさせて「冗談だよ」と言った。

「絶対に叶わないことなんていくらでもあるさ。でも、ただ無為に日々を過ごすのはもったいない。何か一つでも良いから生きがいを見つけたいもんだな」

 アデリーの元にもフォーリンエンジェルが差し出され、そしてそれに伴ってある品が二人の間に音もなく置かれた。二人ともオーダーしていない一皿の上には、魚が丸のまま2匹ほど、ドン、と乗っていた。刀のように、鋭く細身の魚が。

「マスター、これ注文してないんだけど」

 ケープが、マスターをのぞき込むようにして問いかけると、マスターはにっこりと微笑んで。

「こちらはサービスです。お二人の会話には、私も個人的に思う所がありますので」

 それを聞いた二人は、目を丸くして驚き互いに頷き合って、メニュー表を眺めてから、追加オーダーを促した。マスターに捧げる一杯を。

「マスター、あんたも飲んでくれよ。そうだな……カリフォルニアレモネードで」

 二人の好意に、マスターは深々と頭を下げて自身のカクテルを仕上げていく。

 そんな中二人の視線は、間に置かれた魚に注がれていた。いつもと違うその様子に興味もありつつ、でも手を伸ばすべきかどうか、二人して牽制しあっているような。頭をこつんと突き合わせ、マスターに気取られないように小声で。

「なぁ、アデリー。これ、魚……だよな」

「魚ですね。どこからどう見ても魚ですね。ただ……」

 二人が皿の上の魚に手を付けない理由が二つ。一つ目。その魚は新鮮さを完全に失っていたからだ。この店に足しげく通う二人だからこそわかるその鮮度。

 この魚は、鮮度がすでに「死んでいる」。目の色も普段なら血も滲んでいない澄んだ目をしているのに、白目をむいていて、口の先から尻尾まで全体的に黒ずんでいる。

 ケープが手で(マスターに決して気取られないように)ちょんちょんと突いてみると皮が剥がれ、その下の身が露わになった。

「なんだこれ……大丈夫なのか?」

「いや、マスターの腕なら間違いないでしょう。それにこの匂い……どこか食欲を刺激されるような」

 アデリーが指摘した、手を付けない理由の二つ目。新鮮さと引き換えに、漂ってくるどこか香ばしい匂い。鼻腔を刺激し、食欲に働きかけてくる謎の匂い。

 気づけば二人とも嘴の付け根から涎が一筋垂れていた。

「ゴクリ……」

 二人は、意を決してその魚を咥えて、飲み込んだ。

「! ……これは……」

「美味い!」

 二人は思わず大声をあげて、ハイタッチを交わす。

「なんですか、この芳醇な香りは……。形容する言葉が見つからない……いつも食べている新鮮さには劣るものの、それに勝って余りある凝縮された旨味!」

「いつもそのまま飲み込んでしまうが……これは飲み込むにはあまりにも惜しい……いつまでも口の中に残しておきたい深い余韻がある……」

 口々に口上を述べる二人の様子をマスターはカウンター越しに眺めていた。そして、二人が食べ終わるのに合わせるように、カリフォルニアレモネードを飲み干すとカウンターの下にもぐり、ごそごそと何やら探し物をしているようだった。それはまるで、二人が次に取る行動の答えを知っていたかのように予測された行動だった。

「マスター! この料理、めちゃくちゃ美味いです! どうやって作ってるんですか!」

「企業秘密なのは承知の上だが、ヒントだけでも教えてくれ! 家でもこの味を再現してみたい!」

 二人がカウンター越しに投げた言葉は、数秒の後カウンターに置かれた書物によって投げ返された。

「こちらをご覧ください。その昔、ニンゲンという種族が地上に住んでいた頃の書物です。『PEN銀』を使って解析したところ、ニンゲンにも普段から魚を食べる習慣があったようなのです。彼らは、生の魚を切り身にして『刺身』という料理を作っていたようです。また、その派生として『シャリ(酢飯)』と呼ばれる食材の上に切り身を乗せた『寿司』なる料理も生み出したようです。

 さらに、彼らは魚を美味しく味わうため『塩焼き』や『味噌煮』など、我々のように魚を生で味わうだけでなく、独特の調味料をプラスして身に熱を通し、調理することもわかりました。

 今回お出ししたのは、朝獲れの魚を直前まで海水に漬けておき、その後鉄板に乗せて、身の中心部までしっかりと火を通したものです」

 マスターの蘊蓄をを聞きながら二人は何度もうなずいていた。そして、それを聞き終えるなり。

「ケープさん。俺たちの目標が一つ定まりましたね」

「あぁ、飛べる翼がないと嘆く時間は終わりだ。善は急げだ。明日役所に行って出領の手続きをするぞ」

 二人の目には、めらめらと闘志が宿っていた。たった一皿の料理をきっかけにして、それまで下ばかり向いてた嘴は、天井まで突き刺さらんばかりに上を向いていた。


 翌日。

「次の方どうぞ……ってアデリーにケープさん? どうしたの?」

 二人はとある書類をもって、窓口の前に立った。受付を担当するのはアデリーの幼馴染でもあるジェンツーだった。

「ちょっとな。出領の手続きだ」

「出領って……何かやらかしたの?」

 ジェンツーが小声で二人に耳打ちすると二人は、にんまりと笑みを浮かべ、目を細めて。

「いや、俺たちは旅に出るんだ。美味い魚を手に入れる旅にな」

「……アデリー。美味い魚なら、港に直接買いに行けば良いじゃない。一般客にも開放されているはずよ」

「領海内で獲れる魚だけだろ。俺達は、その領海の外に広がる海に生息する美味い魚を求めに行くんだよ」

 熱を帯びて話すアデリーと、それに強くうなずくケープ。二人の様子を訝し気に眺めながらも、混雑する時間帯の為、雑談もそこそこにジェンツーは二人の書類に目を通した。

 今や、彼らには各々を識別するための機器が首に付けられている。最先端のAI、PENチウム4を搭載した銀色のリング型生体認証デバイス。通称『PEN銀』である。個ペンギン識別番号で紐付けられた情報が役所で一括管理され、ありとあらゆるサービスの基幹となっている。最近のキャッシュレスの波にも乗り、レジでバーコードに自身のPEN銀を読み取らせることにより、自動決済が可能となっている。

「まぁ……別に止めはしないわよ。ただ、注意事項だけはしっかりと聞いてて」

 ジェンツーは目視で確認後、専用に機械に読み取らせた申請書を、羽でペチンと叩いてから、承認の判子とデジタル署名のQRコードを張り付けて差し戻した。

「では、注意事項を申し上げます。

 ・PEN銀の電波受信有効範囲は領海から直線距離で100メートル、もしくは水深100メートル。つまり、ペンギン領から一歩でも出た場合、SOSは絶望的であるということをよく理解しておいてください。

 ・出領時および入領時には、手荷物検査にご協力ください。

 ・ペンギン領の範囲外は、エミュー領やヒクイドリ領の領土を除き、共有の『飛べない鳥不可侵領域』となっており、そこで発生するトラブルについては、当事者のみで解決するものとし、各領において一切の責任を負わないものとします。

 ・今回、他領への上陸は認められておりません。特別な事情がない限り、何が起ころうとも自己責任となります。

 その上でも行くというのなら、ここに署名をお願い」

 二人は、書類を受け取るなり迷うことなくサラサラと銀製のボールペンを走らせる。これから始まる冒険に、一刻も早く旅立ちたくてたまらないという様子がその殴り書きのような字から散見された。

「確かに。書類を受理いたしました。……本当に行くの?」

 その瞳には、心配の二文字が映っていた。どこか、涙ぐんでいるようにも見えた。しかし、アデリーは無言で頷きすぐさま踵を返し、出口へと向かっていく。後ろ手にぱたぱたと羽を動かしながら。ケープがすぐに後を追わないのにも気づかずについに、その姿は見えなくなった。

「アデリーのやつ、よっぽど楽しんだろうな。……大丈夫。何も俺たちは、外に死にに行くわけじゃない。俺たちが見つけた新しい価値観を自分たちの手で掴みに行くのさ」

 だからそんな顔をするな、と。お立ち台にぴょんと飛び乗ったケープはぺしぺしとジェンツーの頭を軽く叩いた。

「美味い魚、いっぱい取ってくるからな。今度、三人で飲みに行こうぜ」

 そう言い残し、ケープも出口へと向かっていく。段々と小さくなっていくその背中を、ジェンツーはただただ窓口越しに見つめていることしかできなかった。


「いよいよですね……」

「あぁ、って緊張してるのか? アデリー?」

 アデリーは背中に大きな魚籠を背負い、武者震いのように体を震わせた。

「そういうケープさんこそ。さっきから足が一歩も前に出てませんよ?」

「ふっ……そんなわけがないだろう……。あ、足が氷にくっついて離れないだけだ……」

 ケープは、そのまんまるなボディに足をすぼませてその場にうずくまっていた。

「私はもう行きますよ。帰ったら極上のグルメが俺たちを待ってるんですから」

「そうだな……刺身に、ムニエルに、マリネに……あ、」

 先を急ぐアデリーの後を追おうとして、ケープは思わず足を滑らせて海の中へ。先に潜っていたアデリーがやれやれといった様子で、一度海面に顔を出す。

「大丈夫ですか……」

「大丈夫だ。海の中なら、庭みたいなもんだからな。さ、早いとこ出発しようぜ」

「無事に帰ってこれると良いですね……」

 アデリーの独白のような一言は、寄せては返す波へさらわれていった。


 二人は並んで、海中をすいすいと泳いでいく。見慣れた海の中は、どこまでも遠く、深く続いている。しかし、それはあくまでも領海内だけでの話。すれ違う小魚も目視はできないけれど、海中を漂っているプランクトンも次々に流れていく。

 そんな折、不意にPEN銀がピピピッと警告音のようなものを発した。

「どうやら、ここから先は領海の外みたいですね」

「あぁ」

 PEN銀は自動音声で「ココカラサキハリョウカイノハンイガイトナリマス」と繰り返すと同時に二人の目の前に小さなスクリーンを投影して、警告のメッセージを表示した。メッセージの下には、チェックボックスが配置され、この先に進むか否かの選択肢が表示されている。二人は、一度だけ顔を見合わせてから迷うことなく、「進む」を嘴でタップした。スクリーンがフェードアウトするのに合わせ、PEN銀の自動音声も同時にフェードアウトしていった。

「アデリー、この先の海図インストールしてたよな?」

「ええ。マスター曰く、正確性はあまり当てにしないでくれとのことでしたが、何もないよりはマシかと」

 アデリーは、羽で自分のPEN銀をタッチすると、先ほどと同じスクリーンが起動した。先ほどのような警告文は出ず、ポップアップの下に隠れていたOSのデスクトップ画面が表示されている。嘴で、海図アプリをタップすると、ポンという軽快な音を立ててアプリが立ち上がり、自身の現在地とその周辺の海図がフルスクリーンで表示される。

「目指す場所は……大体この辺りですね」

 アデリーが指し示す赤くマーキングされている場所をタップすると、現在地からそこまでの距離とおおよその所要時間が割り出されて表示される。

「ケープさんにも、今共有しますね」

「サンキュー。……っと来た来た。そこまで遠いってわけでもなさそうだな」

「ですね。直線距離なら、今日中には戻れそうです」

 そう。直線距離ならば。

 食への飽くなき探求が彼らを突き動かす。その先に待つのは、天国か。はたまた……。


「何が良いって、飯を食いながら現場まで向かえるってとこだよな」

「……呑気なものですね。もっと気を引き締めていかないと何が起こるかわかりませんよ……」

 二人は、道中で食事を取りながら。海中を泳ぐ小魚やイカを捕食しながら目的地までの道を突き進んでいた。特にこれといったトラブルにも見舞われず、むしろ怖いほど順調な道程だった。

「はぁ……お前、もう少しラフに考えられるようになれよ。まだこの前の話、引きずってのか」

「いえ……決してそういうわけでは……」

 ケープの指摘はずばり、図星だったようでアデリーはぷいとそっぽを向いて、目をそらした。

「やっぱり空を飛べるって良いじゃないですか。自分たちは一生陸の上か、海の中なんてもったいないですよ」

「それは、一生叶わない夢みたいなもんだと言っただろう。だからこうして、違うベクトルで、人生楽しもうとしてるんじゃないか」

「置かれた場所で咲けってことですか?」

「……避け!」

「え? 酒?」

 聞き返す暇はなかった。「避けろ!」という間もなく、それよりも早く反応できたPEN銀ですら警告を発するのに、一瞬出遅れた。そして、その一瞬は永遠にも感じられた。

「くそっ。何が最新のAIだよ……」

 ケープがそう毒づいても、アデリーからの返答がない。すぐさま近づいて、アデリーの容態を確認する。

「あれ……今、何が起きたんです?」

 何とか、一言絞り出したその声には覇気がない。代わりに、羽の付け根からわずかに出血が見られた。

「俺もはっきりと何かが見えたわけじゃない。ただ、何かが高速でこっちに向かってきた。あんなスピードで泳ぐ生物なんて見たことがない。……少なくとも領海内ではな」

「ということは……。領海の外にいる固有種……?」

「喋るな。とりあえず、いったん適当な陸地に降りるぞ」

 ケープは、その一言を聞いて安心したように目を閉じるアデリーを抱えて海面から顔を出し、幸いにも近くにあった小島へと上陸するのだった。

「すみません……足手まといになってしまって」

「いや、俺ももっと早く気づけていれば……」

 アデリーを砂浜に横たえて、傷の状態を確認する。羽の付け根が傷つけられているものの、幸い表面を掠っただけで縫合を要するほどの深さには達していなかった。

「PEN銀。さっきの生物についての情報で何かわかったことはあるか?」

 ケープはアデリーを引き上げるまでの間、彼を襲った未知の生物の正体の解析を急がせていた。ほんの一瞬出遅れたものの、その映像はしっかりとPEN銀のカメラで補足され、他の端末とリンクされた膨大なPEN銀ネットワークのデータベース内から有益な情報を検索していたのだった。アデリーの首につけられたPEN銀の表面を蛍光色の光が走っていく。一刻も早く、確かな情報が欲しいと、どうか大事には至らないようにとケープが祈っていると、蛍光色の光がリングを一周ぐるりと回り、目の前にとある情報を表示してきた。

「サメハダイワシ。ざらりとしたサメ肌が特徴のイワシ。領海外では広く分布しており、凶暴性・有毒性は皆無であるが、常に高速で移動しているため、すれ違いざまに擦過傷を起こす危険性あり。ひどい場合は、深い切り傷や骨折の危険性も」

 そこに並ぶ文字を見て、ケープはホッと胸をなでおろした。とりあえず、アデリーの傷の状態を見る限りは、軽傷のうちに入るだろう。毒もないのであればなおさらだ。「とりあえず、傷口が乾くまで待ってから出発だな。念のため帰ったらすぐに病院に行け」

「ありがとうございます。少しだけ休ませてもらいます」

 アデリーの目がゆっくりと閉じられる。照り付ける日差しは強いものの、陸地から大きくせり出したヤシの木の葉が上手い具合にカバーして、守ってくれていた。

 ケープはその隙間からぼんやりと空を見上げた。わずかにのぞく太陽に紛れて時折、黒い何かが隙間を一瞬だけ埋めては去っていく。

「まぁ、憧れる気持ちは分らんでもない。俺もそうだったしな」

 ケープは己の羽の内側……腹側にぴったりとくっつけている羽の内側に視線を落とした。そこにある、痛々しく広範囲に渡ってできた古傷を眺めながら、そうつぶやくと、まるでそれを拾い上げるかのようにケープのPEN銀が緑色に点滅した。突然の通知に、特に驚きもせずケープはPEN銀に触れると、目の前に水色のスクリーンが現れ、そこには大きく囲った四角の中にSOUND ONLYの文字が浮かんでいた。

「進捗はどうだね。……さしずめ、怪我でもして小休止といったところかな」

「やれやれ……全部お見通しってわけかよ……マスター。大体、衛星経由で通信なんて、大丈夫なのか? 色々と」

「何、ほんの数分程度ならなんということはないよ。しかし、私の勘はよく当たる」

 通信相手の、バーのマスターはひとしきり満足げに笑った後、静かにこう告げた。

「懐かしいなぁ。あの時も確かお前さんが連れてきた」

「その話はやめてくれ。昔話なら、バーでサシでゆっくりとやろう」

「刺し身でもツマミにしてってか? サシだけに」

 マスターからのジョークをケープは流すことができなかった。不意に過去の映像が脳内で再生され、ただただ沈黙を貫いた。

「……すまない。少々羽目を外しすぎたか」

「いや、いいんだ。だからこそ、今回は安全第一なルートを選んだからな」

「アデリーの怪我の具合は?」

「大したことはない。少し擦り傷ができた程度だ。もうそろそろ傷口も乾いてくる頃だからそろそろ切るよ」

 ケープはちらりと、アデリーを見やる。もう少しで出発だぞ、と心の中で声をかけながら。

「あぁ、最後まで気を抜くなよ」

「ありがとう。そっちも、最高の料理楽しみにしてるぜ」

 ケープはその一言を最後に、マスターとの通信を終えた。そして、それから間もなくして目覚めたアデリーとともに、再び目的地の漁場目指して海の中をずんずんと進んでいくのだった。


「いやぁ、楽しかったですねぇ」

「そうだな。一時はどうなることかと思ったが」

 酒が入り、話にもより熱を帯びてきたアデリーの隣で、ケープは静かにグラスを呷った。

「その話はなしにしましょうよ。大漁だったんですし。マスターの料理も楽しみですし」

 目をキラキラと輝かせながら、両手で持ったグラスをくるくると回しながら、アデリーはどこまでも上機嫌だ。

 目的地にて、無事に食材をゲットした後、帰ってきたその足でケープはバーへ直行し、すぐさまマスターへフルコースをせがんだのだった。

 なお、病院に行けというケープの助言も「もうへっちゃらですよ!」とばかりに盛大に羽をパタパタ動かして猛アピールし、結局の所アデリーも同じくバーへと直行し現在に至るのである。

「そういえば、お前」

「なんです?」

 前菜にと出された、イカのお造りに手を伸ばそうとしたアデリーがピタリと止まる。呼びかけたケープはとても不思議そうにアデリーを見つめてこう言った。

「結局、空を飛ぶ夢はどうしたんだ?」

 まだ飛びたいと思っているのか、という一言が喉元まで出かかってごくりと押し戻す。それを言うのは無遠慮であり、無粋である。アデリーは一瞬きょとんとした後、迷いなく、イカのお造りに嘴を伸ばしひょいと口に入れてから。

「勿論、あきらめてはないですよ。我々ペンギンだって、いつかは空を飛べるはずです。ほら、PEN銀だってまだまだ進化するかもしれないじゃないですか。第20世代……いや、第100世代くらいのPENチアムなら、あるいは可能にしてくれるかも……」

「それはお前……そもそもPENチアムって名称が残ってるかどうかも怪しいけどな……このAI、定期的にリネームされてるんだよ。……ってか、そもそもAI頼みなのかよ……他力本願じゃねぇか」

「ダメですか?」

 アデリーは当たり前のように、さらりと答える。その罪にも等しいほどの純粋さは、ケープやマスターはとっくの昔に置き去りにしてきたものに他ならない。そして、夢が決して実現不可能だという事実も一緒に置き、その事実毎忘れて久しいのだ。だからこそ、アデリーのような若者には、どうかこの先の未来を明るく照らしてほしいと願う二人なのだった。そして、アデリーの無邪気な瞳に、言葉を返したのは、ケープではなく黙々と調理に取り掛かっていたマスターだった。

「駄目じゃないですよ。素敵な夢だと思います。夢は叶えるもので、掴むものです。いっそアデリーさんが、開発してみたらどうでしょう? 我々ペンギンのみならず、翼をもちながら、空に憧れる飛べない鳥たちの希望になるような、高性能PEN銀搭載型補助翼を」

 マスターは、そう言いながらマグロのステーキを二人分カウンター越しに提供した。大皿にどんと乗せられたマグロの切り身は銅を丸のまま輪切りにしてあり、香ばしい香りと、芳醇なソースの醸し出す香りが一体となって、二人の食欲に直接語りかけてくる。

「良いですね、それ! ちょうど今の職場退職しようと思ってたんですよね。毎日毎日、コンベアで流れてくる魚を選別して規格外の魚を嘴で咥えては弾き、咥えては弾きの繰り返しなんて、やってられないですよ! うっかり食べちゃったらペナルティもありますし!」

 差し出されたステーキに激突するかという位の勢いで嘴を立てると、ようやくアデリーは我に返った。

 さすがに、勢いのまま口走りすぎた。嘴だけに。突き立てたままの嘴に向かって、冷や汗が一筋垂れていく。そしてそのすぐ隣では、もくもくと湯気を立てるケープの分のステーキ……ではなく、ケープがいた。

「ほほぅ。班長である俺の前でよくもそんな口が聞けたな」

「あ……いや、これはその……言葉の綾というかですね……あ、あ、マスター! ケープ班長に、おかわりを……あれ?」

 未だに嘴は突き立てたまま。眼だけをスライドさせてちらりとケープの方を見やると、鬼の形相で睨みつけているケープの姿。

「残念だったな、アデリー。マスターなら次の材料を取りにバックヤードへ消えていったよ。さて、前途有望な若者の芽を潰したくはないのだが……どうしたものかねぇ」

 ケープはあえて優しくアデリーの背中を叩き。

 アデリーがどうにか絞り出した一言は。

「とりあえず……冷めないうちに食べませんか?」

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可愛いペンギンには旅をさせよ。そして、舌を肥えさせよ。 ドルチェ @dolce2411

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