人喰い屋敷『若葉』と主様

安崎依代@『比翼は連理を望まない』発売!

「悪いけどねぇ、来月までに出ていってくれないかしら?」


 何でも、隣室の床がついに抜けたらしい。反対側のお部屋は屋根がたわんでるとか。さすがに耐久性に問題があるから、取り壊すことになったんだそうだ。


『もしかしたら、築百年回ってるんじゃないの?』と疑いたくなるおんぼろアパート。一応若い女の身空でありながらこんな場所に住んでいたのは、もちろんお金がないからだった。ちなみに保証人になってくれそうな親族や知人もいない。


 それでも、取り壊しが決まってしまった以上、何とか次の物件を探さなくてはいけない。


 私はその日から不動産屋さんをはしごした。


 ──で、今ここにいるわけですが……!


 大学生で保証人なし、家賃は安ければ安いほど良し。現住所からなるべく遠くないと助かる。その他はもう雨風が凌げれば最悪問題ない。


 そんな条件を並べた私の前には今、デーン! と大豪邸が鎮座ましましていた。


 ──って! いやいやいや!!


「すっ、すみません……! これ、さすがに何かの間違いですよね!?」


 私は思わず塀越しに見える屋根瓦をズビシッ! と指さし、先を行く不動産屋さんの背中に声をかけた。だけどキツネ顔のお兄さんはキョトンとした顔で私を振り返る。


「いえいえ、ここで間違いありませんよ?」

「いやいやいやいやっ!? ここが貸家ってのも信じられませんし、仮に貸家だったとしても家賃5,000円・敷金礼金ナシ・共益費ナシとかあり得ませんよねっ!?」


 そう、何件もの不動産屋さんに門前払いをくらった後。


 藁にもすがるような思いで入った小さな小さな不動産屋さん『狐善こぜん不動産』のお兄さんに紹介された物件がここだった。


 ──『賃料が割安ならば、部屋貸ではなく家貸でも問題ありませんか?』とは聞かれたけども! 聞かれたけどもっ!!


『家賃5,000円・敷金礼金ナシ・共益費ナシ。もしも住み込み管理人を兼任していただけるならば、家賃は結構。逆に謝礼をお支払いいたします』という破格の条件に思わず『そこにします!』と一、二もなく飛び付いてしまったせいで、間取り図を見せてもらうのを忘れていた。『では内見に行きましょう』というお兄さんの言葉を聞くまで、もう明日にでも引っ越そうと算段を立てていたくらい、脳内はお祭り状態だったのだから。


 いやでもこれは、一体何LDKに相当する物件なのだろう。さっきから同じ塀沿いに歩いていたけれど、まさかこの囲われた敷地一体が全てこのお屋敷の土地だったりするのだろうか。


「このお屋敷はですね、中々に気性が難しいのですよ」


 慌てふためく私の前で、先に足を止めたお兄さんはジャケットのポケットから古めかしい鍵を取り出した。時代劇で蔵を開けるのに使っていそうなその鍵を、お兄さんは私にうやうやしく差し出す。


「先代の主がこの世を去り、管理人がいないということで私がお預かりしていたのですがね。新たな主候補を見繕ってみても、屋敷側が受け入れないのですよ」


 屋敷側が、受け入れない?


 よく分からない説明に、私は首を傾げながらも鍵を受け取る。お兄さんが足を止めた傍らには、塀と塀越しに見えるお屋敷にふさわしい立派な門がそびえていた。これもまさしく時代劇に登場しそうな代物だ。


 というか、元々私が暮らしていたおんぼろアパートからそんなに離れていない場所であるはずなのに、私、今日までこんなに立派なお屋敷があるなんて、知らなかったんだけども……。


「何となく、貴女ならいける気がするんですよね」


 糸目をさらに吊り上げて笑ったお兄さんは、一歩後ろへ体を引いて場所を空けた。鍵を使って門を開けてみろ、ということか。


 私はコクリと喉を鳴らしながら、これまた時代がかった鍵穴に鍵を差し入れる。


 そのまま横へねじると、ピンッという音とともに鍵は難なく開いた。鍵を抜いてそっと扉を押せば、見た目よりもずっと軽やかに門は開く。


「やはり、私の目に間違いはなかったようですね」


 拍子抜けするほど『当たり前』に開いた扉に、私は訳が分からないままお兄さんを振り返った。


「そのまま中をグルリと一周してきてください。契約は、貴女が合格であるならば、きっと中ですることになるでしょう」


 その暁には、今晩からでも入居していただいて構いませんよ。


 そう言って、お兄さんはキュッと、狐のような顔で笑っていた。




  * ・ * ・ *




 ──もしかしてここって、幽霊屋敷とかなのかな?


 お屋敷の中には、一人で送り込まれた。『武家屋敷』といったたたずまいのお屋敷は静まり返っていて、だけど長年放置されていたとは思えない澄んだ空気で満たされている。


『生活感がある』とはちょっと違う。まるで今でも通いの家政婦さんが毎日せっせとお屋敷を磨いてくれているかのような、そんな印象。


 ──でも『幽霊屋敷』って言葉みたいなおどろおどろしさもないし……


 むしろ何でこんな素敵なお屋敷に借り手がつかなかったんだろう。そうやって心の底から思うくらいに、素敵なお屋敷だった。


 青々とした畳が入れられた、広いお座敷。廊下はつやつやのピカピカ。置かれた調度類は過ごした年月をも取り込んだ気品に満ちている。障子にもふすまにも破れはなく、開け放たれた窓の向こうには美しく整えられた庭木が青々とした葉を繁らせていた。


 ──むしろ私なんかが住み込ませてもらうのは、申し訳ないくらいと言うべきか……


 まるで拝観料を取られそうなお寺やお屋敷を訪れているような気分だった。


 このお屋敷が主を選ぶというならば、確かに並の人間は拒否されるのかも。


 思わずそう思った瞬間、だった。


 チリンッ、と。


 どこからか、涼やかな音が聞こえた。


「……っ」


 私は思わず息を詰めて視線を巡らせた。


 今までも、風の流れは感じていた。だけどこんな音は聞こえなかった。


 それはまるで、私に何かを知らせるかのような。


 そう。客人である私に、主の訪れを知らせるかのような。


 そんな、招きの鈴の音のような、音。


 そして私は、『彼』とも『彼女』ともつかない『あの子』の姿に気付いた。


 確信とともに視線を向けた先。庭へと続く縁側の手前。


 額縁のように切り取られた景色を背に、その子は端座していた。


 頭上には、ヒラリと短冊を揺らす、淡い紅色のガラスの風鈴。ガラスらしからぬ澄んだ金属音が、チリリ、チリリと響いている。


 その音に招かれるかのように。


 その子はニコリと笑って、唇を開いた。


「初めまして、主様」


 低くも高くもない、澄んだ声。その声とともに、肩口で切り揃えられた黒髪が微かに揺れる。


 濃紺の地に、白い花の模様が染め抜かれた浴衣に、深い紅色の金魚帯。歳の頃は、小学校低学年くらいだろうか。その外見に比べると、第一声を発した声は随分と大人びている。


 顔立ちは、人形のように整っていた。そこに人懐っこい、一目見ただけで『貴女に会えて、嬉しくて嬉しくたまらない』という内心が分かる笑みを満面に浮かべて、その子は言葉を続けた。


「あなたのお名前を、うかがってもよろしいですか?」


 そう、問われた瞬間。


 ふと、お兄さんが口にした言葉が脳裏をよぎった。


『そのまま中をグルリと一周してきてください。契約は、貴女が合格であるならば、きっと中ですることになるでしょう』


 ──これがきっと、その『契約』だ。


 私の直感が言っている。このお屋敷は普通のお屋敷じゃなくて、目の前にいるこの子はきっと普通のニンゲンじゃない。お兄さんの言う『住み込み管理人』は、この普通じゃないお屋敷とこの子の管理をするという意味で、きっと普通の人間じゃ務まらない。


 で、私は多分、ごくごく普通の人間であるはず、なんだけども。


「……」


 ──ずっと、ここに独りでいたのかな?


 独りは、寂しい。早くに家族と死に別れてしまった私には分かる。


 家は、人が住まないと、ただの箱だ。どれだけ綺麗に維持していても、どれだけ居心地良く整えていても、欠けた最後の欠片は埋まらない。


 その最後の欠片として、私を迎え入れてくれたなら。私を迎え入れるために、こんなに素敵な空気を屋敷に満たしてくれたならば。


 私は、その歓迎に、報いたい。


 それに私は、一目でこのお屋敷を『素敵だな』と、気に入ってしまったから。


「初めまして。今日からお世話になります……で、いいのかな?」


 私は、なるべく相手を驚かせないように、静かに部屋に踏み込んだ。ふと見遣れば、その子の前に赤い座布団が置かれている。その子が片手で座布団を勧めてくれたから、私は素直に座布団の上に腰をおろした。


「私の名前は、小笹こざさゆかり です」


 名乗った瞬間、チリンッとまた、縁側に吊るされた風鈴が音を鳴らした。まるで契約成立を寿ことほぐかのように。


「あなたのお名前も、きいていいかな?」

「あなたのお好きな名前でお呼びください」

「え?」

「私があなたに名付けられることによって、あなたはこの屋敷の主として認められます」


 さぁ、つけて、と。


 その子はとてもとても嬉しそうに笑った。


 私は思わず目をしばたたかせる。こんなに可愛らしい素敵な子に、私なんかが今パッと浮かんだ名前をつけてしまってもいいのだろうかと。


 だけどなぜなのか、迷いは一瞬で過ぎた。


若葉わかば


 スルリと、驚くくらいに簡単に、その名前は滑り出てきた。その音に、その子が一瞬だけ目を丸くする。


「庭の若葉がすごく綺麗で。その景色を背景に笑っていたあなたが、あまりにも幻想的だったから」


 だから、あなたの名前は、若葉。


 そう告げると、その子は驚きに丸くなっていた目を、ゆっくりと、ゆっくりと狭めた。


 まるで何かを噛みしめるかのように。ゆっくりと、深く深く笑みを浮かべたは、畳に両手をついて深々と頭を下げた。


「お帰りなさいませ、ゆかり様」


 チリリッと、また、風鈴が音を鳴らした。


「若葉はずっと、あなた様のお帰りを、お待ちしておりました」




 これが、私と若葉……『ヒトを喰らう屋敷』と界隈に恐れられていたあやかし屋敷との最初の縁。


 このお屋敷に私が『主』として転がり込んだことによって、私はヒトならざるモノ達とも交流を重ねていくことになるんだけども……それはまだまだ、季節を重ねた先にあるお話である。

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