はじめのいっぽのはなし
遠部右喬
第1話
口に出来る程度の黒歴史から、墓まで持っていかざるを得ない暗黒歴史まで、この歳になるまでに大分抱えてしまった。とてもではないが「恥の多い生涯を送って来ました」なんて高尚に語ることの出来ない黒い記憶達の中で、一番古いものについてひとつ。
誰かに読んで頂ければ、あわよくば少しでも笑って頂ければ、増え続けるしょっぱい想いの数々への禊になるのではないかと思う。
ライオンの睾丸をご覧になったことはあるだろうか。私がそれをまじまじと観察したのは、確か三、四歳の時だった。そしてこの観察が、後に私の「初めての黒歴史」となる。
母に連れられて訪れた動物園。柵の向こうで、一頭の雄ライオンがこちらに背を向けていた。豊かなたてがみを見てみたかったのだが、一向にこちらに顔を向けてくれない。根気強く彼の後ろ姿をじっと見ている内、その存在に気付いた。
彼が身体を揺する度、尻尾の下でゆらゆらと揺れる不思議なもの。それは、私の知るある物にそっくりだった。
私は母の手を引き、それを指差した。
「見て、あそこにニンニクがぶら下がってるよ。何で?」
周りの親子連れやカップルが振り返った所を見ると、そこそこの声のボリュームだったのだろう。何故彼等が肩を震わせているのか、何故母が慌ててその場を離れようとするのか、当時の私にはわからなかった。
今でもはっきりと覚えているのだが、実に立派なライオンのそれは、重そうに皮が伸び、ふっくらとした形も遠目からみた質感も、本当にニンニクによく似ていた。なんとなく、付いている位置的にも、まさかそれが人間にも付いているブツと同じものだとは思わなかったのだ。
勿論、この程度のやらかしならば黒歴史と言うには弱い。これが私の黒歴史人生の幕開けとなったのは、ある人物の協力(?)があってのことだ。
「本当にあの時は恥ずかしかったんだから! あんなに大きな声で言う事無かったでしょうに」
どういった心理からか、そう得意気に吹聴して回ったのは、他ならぬ私の母親である。彼女があの出来事を触れ回ったお陰で、以降、身内からご近所にまで、私は「とんでもない発言で周囲を凍り付かせ、母親に酷い恥をかかせた子供」と印象付けられることになった。彼等が私に向けた苦笑いの意味に気付いた時、記憶に残ることすらなかったかもしれない出来事は、黒歴史と成った。
言うなれば、空気の読めない阿呆な子供と、子供に対するデリカシーを持ち合わせない母親によるコンボ技である。そして、あれからかなりの時が過ぎた今でも、彼女はこのネタの広報活動に勤しんでいる。
これは、私の黒歴史の始まりであると同時に、現在進行形の話なのだ。
はじめのいっぽのはなし 遠部右喬 @SnowChildA
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