ツマハギ
機村械人
ツマハギ
これは、およそ一ヶ月前、私の身に実際に起こった奇妙な体験の記録です。
よければ最後までおつき合い下さい。
その日、仕事も休みで暇を持て余していた私は、以前から気になっていたとあるアプリをダウンロードして、暇潰しがてら遊ぶことにしました。
そのアプリとは、まぁ、簡単に言ってしまうと“お散歩アプリ”みたいなものです。
実は私、昔からホラーやオカルトじみたものが好きで、時間があればネット上でその手のまとめサイトを巡ったりしていた時期もありました。
最近では、動画サイトでホラー系やオカルト系のチャンネルを閲覧するのが趣味になっていました。
で、話は戻りますが、私がダウンロードしたそのアプリは、ここ最近色んなホラー系チャンネルで話題に上がっていたものなんです。
まず、このアプリの説明をしておきますね。
このアプリは海外で開発されたもので、使用者の携帯のGPSを利用し、現在地から指定した範囲内(半径1㎞とか2㎞とか、最大で50㎞とか)に、ランダムで“目的地”をピン打ちしてくれる、というものです。
アプリの説明文曰く、「このアプリは現実世界のあなたにアドベンチャーゲームを体験させてくれる」というものだそうで。
まぁ、わかりやすくいうと、アプリが適当に指定した、近所だけど普段は訪れる事のないような場所を目指すことで、いつもと違った体験や見たことのないものを見ることができる。
そういった利用方法のアプリ、ということですね。
さて、ここまで話を聞いて、一部の人は「?」と疑問に思ったんじゃないでしょうか。
なんで、そんな何の変哲も無い“お散歩アプリ”が、ホラー系チャンネルなんて関係無い界隈で話題になっているのか? と。
その通り。
実は、海外製で日本語版も存在しないこのアプリが、どうしてここまで我が国でも話題になっているのか……それには、理由があるんです。
海外でこのアプリを実際に使用した人が、アプリの指示した目的地へと辿り着いたところ……そこで、あるものを発見してしまったというのです。
死体です。
スーツケースに押し込められ、河原の見えない場所に遺棄された、死体を発見したんです。
嘘だと思うじゃないですか?
実際に警察も呼ばれ、事件になり、新聞でも報道されたんですよ。
それからというもの、このアプリを使用した人達が次々に「奇妙な体験をした」とネット上に投稿し出したんです。
アプリが指示した目的地に向かうと……。
変な落書きを発見した。
怪しい人物を目撃した。
大量の人形が廃棄されていた。
幽霊を見た。
謎の廃墟に到着した。
ミステリーサークルがあった。
何らかの宗教団体の儀式に出会してしまった……などなど。
開発側も、そんな目的でこのアプリを作成したわけじゃないとは思います。
おそらく、このアプリはランダムで目的地を設定するとしていますが、その目的地は『普段、人が立ち入らない場所』を優先的に選定しているのではないでしょうか。
日常に冒険を、新しい体験を送る、というコンセプトのアプリですから。
で、普段人が立ち入らないような場所には、当然、人目を避けるように隠されてきた何かが眠っている……ということなのでしょう、統計学的に。
おっと、話を戻しますね。
今語ったように、海外で話題となっていたこのアプリを、私は興味本位からダウンロードしました。
正直、本当に実在するのかも半信半疑だったのですが、App storeで名称を検索すると普通に出てきました。
海外製ということでちょっと抵抗はありましたが、好奇心には勝てず、私はダウンロードボタンを押してしまいました。
数秒後、私のiPhoneのホーム画面にそのアプリが追加されました。
紫色の四角形の中に、何かの象形文字でしょうか? 見たことのない紋様が書かれたアイコン。
私は、恐る恐るそのアイコンをタップします。
話には聞いていましたが、このアプリは日本語版が存在しません。
最初の言語設定の中にも、日本語はありませんでした。
仕方なく、一番理解可能な英語を選択します。
私は、パソコンでこのアプリの名を検索し、実際に使用した方の解説を見ながら初期設定を進めていきました。
メールアドレスを登録し、IDを取得し……ものの数分で登録は完了。
画面の中にマップが展開します。
中央に立ったピンは、現在の私のいる場所――自宅のアパートを示しています。
マップを拡大したり縮小したりして確認しましたが、普段使っているiPhoneのマップ機能とほとんど変わりません。
私は早速、そのアプリを活用してみることにしました。
距離は自宅から10㎞以内の場所に設定。
何やら色々と目的地の条件を選択することもできるようなのですが……設定のためのワードが、どんな意味なのかわからず(念の為翻訳アプリなども使ってみましたが、どう違うのかわかりませんでした)、仕方なく適当に設定してみました。
数秒程、ローディング画面が流れ……。
目的地を示す丸ピンが、地図上に打たれました。
そこは、私の自宅から歩いて二、三十分程の場所。
とある道路の、そのど真ん中でした。
私の住んでいる場所は比較的田舎の方で、周囲には田んぼや畑も多いのですが、そんな田畑に囲まれた、細い道の途中が指定されたのです。
周辺に、何か有名な建物や名所があるわけでもありません。
ちょっと拍子抜けしながらも、私は何となく、グーグルマップを開いてその場所を地図上から検索。
そして、ストリートビューを起動させてみました。
画面に映ったのは、やはり単なる田んぼに囲まれた道路の風景。
撮影した日が曇り空だったようで、天気は薄暗いながらも、長閑で味気無い、そんな風景が広がっていました。
先に様々なホラー系チャンネルで海外の事例を見ていたため、ちょっとハードルが上がり過ぎていたのかもしれません。
何か死体とか、奇妙なモニュメントとか、そういったものと遭遇してしまうのではと思っていたので、ちょっと期待外れな気分でした。
溜息交じりに、私はストリートビューを開いた画面をスワイプし、視線の方向を変えてみました。
つまり、画面の中の立ち位置で視界を回転させ、振り返ってみたのです。
ビクッとしました。
思わず、iPhoneに添えていた指を止めてしまいました。
画面の中に――廃屋が現れたんです。
道端に建った、ボロボロの日本家屋。
相当古いと思われます。
瓦屋根も崩れかけで、どこか全景も傾いて見えます。
木の壁には蔦が這っていて、半分自然と同化しかけている印象です。
まさかそんなものが現れるとは思っていなかったので、ドキドキしました。
私は視界の位置を微調整しながら、可能な限り廃屋を見回していきます。
そこで、その廃屋の壁に、妙なものを発見しました。
何か、張り紙のようなものがあるのです。
文字が書かれているようにも見えます。
廃屋同様シミだらけでボロボロですが、書かれている文字はこう読めました。
“ツマハギ”
……つまはぎ?
ツマハギ、と、カタカナで書いてある……ように見えます。
それが何を意味する言葉なのかわかりません。
しかしここまで来ると、私の心の期待値は一気に高まっていました。
やはりこのアプリにまつわる噂は本物なのでは……と。
恐怖心もありましたが、それでも、やはり好奇心には勝てず。
私は早速、この場所に行ってみることにしました。
iPhoneを片手に、私は家を出ます。
生活圏内に有りながら、今まで足を踏み入れたこともなかった場所。
今まで、すぐそこにあったのに、存在すら知らなかった場所。
そんな場所を、知ってしまった。
認知してしまった。
そして、導かれるように、私はその場所へと向かいました。
数十分後――到着したのは、目的地に設定された道路の真ん中。
ストリートビューで見たとおり、田んぼに囲まれた、何件かの民家が見当たる程度の、そんな田舎の風景。
そしてその道の傍らに、本当に、それはありました。
ボロボロの日本家屋。
崩れかけの一軒家。
やはり建物全体が傾いており、敷地内には雑草が生い茂っています。
静かです。
遠くの方から車の走る音が聞こえます。
飛行機が空を横断していく音。
地域放送のチャイム。
聞こえてくるのはその程度。
この廃屋の存在する一帯は、恐ろしいほどの静けさに包まれていました。
私はゴクリと唾を飲み込み、その廃屋を見回していきます。
道路沿いの壁を確かめていくと……ありました。
あの張り紙です。
ボロボロの張り紙。
書かれている文字は……やはり、“ツマハギ”としか読めません。
その瞬間でした。
私は、何か視線を感じました。
バッと振り返ると、道路の先……かなり先の道の真ん中に、誰かが立っています。
老婆でした。
背の低い白髪の老婆……と思わしき人物が突っ立て、こちらをジッと見ていました。
周辺の住民でしょうか。
遠くて表情は見せません。
ですが、嫌というほど視線は感じます。
その老婆は、私が存在に気付いた瞬間、すぐに道の脇へと立ち去っていきました。
……心臓の鼓動が高鳴ります。
一応、この場所へと辿り着いた時点で、アプリの目的は達成しているのですが……やはり、この廃屋の中が気になってなりません。
もし、何か変わったものを見付けられたら……SNSに投稿してみようか。
もしかしたら、大バズりしたりして……などと、下らない妄想を巡らせながら、私は恐る恐る、道路の上から、雑草生い茂る廃屋の敷地内へと足を踏み入れました。
季節は冬。
それなりに厚着はしてきました。
なのに、気温以上に寒さを感じます。
しばらく廃屋の周辺を見て回っていると、遂に、その廃屋の入り口……玄関と思われる場所を発見しました。
ここまで来ると、私は好奇心を抑えきれません。
いえ、何か目には見えない力に導かれていたのかもしれません。
私は、廃屋の中へと足を踏み入れました。
建材に使われていた木やガラスの破片、それに大量のゴミが散乱しています。
外は昼間だというのに、廃屋の中は夜のように暗く、湿った空気が漂っていました。
壁に空いたヒビ割れや穴から漏れ入ってくる光だけが頼りです。
そこで私は、自分がiPhoneを持っている事を思い出しました。
ライトを起動し、廃屋の中を照らしながら、恐る恐る進んでいきます。
……中に入ってしばらく進み、私はあることに気付きました。
この建物は、おそらく、人が住んでいたものではないと思われます。
内装が、あまりにも民家とは掛け離れているからです。
玄関を越えてすぐ目の前に現れたのは、大広間のような空間でした。
畳敷きだったのでしょう。
その畳もほとんど朽ちてしまっているので、どれほどの広さなのかは具体的には分かりません。
私は、そんな大広間を、左右にライトを向けながら慎重に進んでいきます。
すると、そこで。
大広間の奥に――なにやら、大きな机のようなものが見えました。
いえ……それは、祭壇にも見えます。
その祭壇の上に、何か、丸いものが置かれているのです。
周囲の内装は崩れかけで、調度も破損しており、誰が持ち込んだのかもわからないゴミが溜まっています。
なのに、その祭壇と、祭壇の上に鎮座する丸いものだけは、まるでずっと……何十年もそのままだったかのような、妙な存在感と異彩を放っていました。
距離があるため、その丸いものが何なのか、ここからはまだ判別がつきません。
私はゆっくりゆっくり、バクバクと心臓を暴れさせながら、歩を進めていきます。
やがて、広間の奥までライトの照射範囲に入り、私はその丸いものの正体に気付きました。
達磨(ダルマ)です。
ご存じの通り、赤くて丸い、顔の書かれた、あの達磨でした。
なんだ、ただの達磨か……と嘆息すると同時、私はそこでふと思いました。
ここはもしかして、かつて選挙事務所に使われていた場所ではないのか? と。
ある議員候補の事務所だったとすれば、目立つ場所に達磨が置かれていても不思議ではありません。
この大広間も、選挙活動の本部で使うとすれば最適な間取りです。
そんな妄想が頭を過ぎり、私は直前までの緊張感を一瞬忘れてしまいました。
私は、祭壇の上の達磨に再び視線を向けます。
………?
そして、違和感を覚えました。
達磨が、何だか、妙なんです。
私のイメージの中の達磨と、何かが違う。
目が、変なんです。
普通、達磨の目って、片方が空白になっていて、もう片方は白目の中に大きな黒目があるイメージだと思うんですが……何だかその達磨、両目が真っ黒なんです。
ちゃんと両目がある。
でも、墨で色を塗られているとか、そういう感じでもない。
まだ距離が遠く、ハッキリと見えません。
私は更に近付いて、ライトの光を強く当て、達磨の目を確認しました。
そして、その正体に気付き、全身に鳥肌が立ちました。
魚です。
魚の目です。
祭壇の上にいたのは、“魚の目をした達磨”だったんです。
スーパーの鮮魚売場でマグロの目玉を見たことがありますか?
正に、あんな感じです。
その達磨の両目の位置に、あの丸くて生気を感じさせない、正に魚の目玉が埋まっていたんです。
ギョロリと、こちらを見詰めて。
瞬間でした。
直感が働きました。
早くここから立ち去るべきだと。
ここは足を踏み入れていい場所じゃなかった。
好奇心に駆られて訪れていい場所じゃなかったんだと。
私は踵を返し、廃屋の玄関に向かいます。
早くここから飛び出したい。
外の世界に戻りたい。
玄関の土間に降り立ち、振り返って大広間の方を見ます。
広間の奥は再び闇に覆われ、あの達磨の姿はもう見えません。
一瞬、このまま立ち去ってしまって良いのか? と、不安を抱きました。
何もせずに帰るのも嫌なので、私は、あの達磨のいた方向に手を合わせ、頭を下げました。
ごめんなさいという気持ちを込めて拝み、祈りを捧げ終わると急いで廃屋を飛び出しました。
そこからはもうひたすら、家に向かって猛ダッシュで帰りました。
例のアプリもすぐに削除し、もうあの場所にも行かないと心に決めました。
…………。
……というのが、およそ一ヶ月前、私が体験した事です。
そして、あの奇妙な廃屋を訪れてから、二週間ほど経ったある日のことでした。
突然の高熱と体調不良、喉の痛みに襲われ、私は病院を受診しました。
コロナウィルスに感染している、という診断結果が出ました。
蔓延以降、今まで一度も掛かったこともなかったコロナに、いきなりです。
付き合っている恋人も、同居の家族もいない、独り身の自分には正直無縁だと思っていた病気に、感染したんです。
しかも、あれよあれよという間に症状は重症化し……。
今私は、病院の集中治療室にいます。
全身がだるく、呼吸をするのも一苦労です。
快復の目処は立っていません。
むしろ、日々悪化していっているようです。
苦しい。
痛い。
なんで、こんな事になってしまったのでしょう。
思い返してみればあの場所に行ったことが原因としか思えません。
一体、あの場所は何だったのでしょう。
あの達磨は何だったのでしょう。
“つまはぎ”、とは何だったのでしょう。
そして、今思い返してみれば……私は、無知だったとはいえ、あの時、“何”に“祈りを捧げてしまった”のでしょう。
あそこは、好奇心に駆られて行っていい場所じゃなかった。
興味本位で訪れていい場所じゃなかった。
そして、気になる事がもう一つあります。
あの日から今日まで、誰かに見られているような、そんな感覚につき纏われているんです。
あの廃屋から自宅まで逃げ帰った後も。
こうして集中治療室の中にいる今も。
何か大きな目が、ジッと私を見詰めているような、そんな感覚が。
(2024年1月9日 SNSサイト『●』より とあるアカウントが投稿したポストツリーから一部を抜粋)
ツマハギ 機村械人 @kimura_kaito
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