風呂、トイレ、幽霊つき

芦原瑞祥

ハッピーライフ

 「こちらのお部屋はどうです? 立地は不便ですが、ユニットバスもありますよ」

 住宅の内見で訪れた1DKは、贅沢を言っていられない僕にはちょうどいい物件だった。しかし、問題は家賃だ。

「いいとは思うのですが、……できればもう少しお安い物件はないでしょうか」

 恥を忍んで僕は言う。


 僕は田舎のとある大学の、ちょっと特殊な学科に入学した。実家の神社を継ぐには神職資格が必要だからだ。その学科では、作法などを覚えるために学生寮に入寮することが勧められており、僕も親父によって否応なしに放り込まれた。

 毎朝太鼓の音で目覚め、飛び起きて身支度を調え神殿前に集まり朝拝、夜も夕拝がある。祝詞奏上やお辞儀の角度など厳しく指導されるが、実家が神社の身としては苦にならなかった。

 部屋は上級生と下級生の二人部屋なのだが、僕はあたりが悪かった。同室の先輩はまわりからも恐れられている要注意人物で、僕はパシリにされていた。白衣のアイロンかけや課題を代わりにやらされるのはもちろん、門限を過ぎてからの酒の買い出し(規則違反な上に店が遠い、そして立替金が支払われることはない)、服や文房具などを勝手に使われる、機嫌が悪いと延々説教を始める、いびきがうるさい、屁が臭い、数え上げたら切りがない。


 だから僕は、親に内緒で寮を出て一人暮らしをしようと考えたのだ。ただ、親は寮暮らしだと思っているから、仕送りは最低限。家賃をギリギリまで抑えなくては。


「大学生なんだからバイトとかできるでしょ」

 こちらが若い学生だからか、不動産会社の担当者はフランクな口調で言う。

「実習とかもあるんで、あまりバイトできなくて……」

「あ、理系の学生さん?」

「いえ、あの、……神道学科です」


 大学内でも「神道学科」と言うと、異質な者を見る目を向けられるので、できれば言いたくない。ところが、不動産屋さんは急に打ち解けた様子で言った。

「なんだぁ、シンの学生さんか。早く言ってよ。それならいい物件があるんで」

 車に乗って案内されたのは、さっきよりも便利な立地で、比較的新しいアパートだった。1DKで風呂とトイレは別、ベランダは日当たりもよい。これで家賃二万円ということは。

「心理的瑕疵物件、ですか」

シンの学生さんなら平気でしょ? 以前、シンの学生さんに女の幽霊が出る部屋を紹介したら、自分好みに霊を調教したって聞いたよ。隣近所はみんな、カノジョと同棲してると思い込んでたし。――どうです? 晩酌してくれる美人幽霊つきの部屋」

 いやいや、そんな特殊な人と一緒にしないでほしい。とはいえ、家賃二万円は魅力だし……。

 結局僕は、この心理的瑕疵物件を契約した。

 入居した日、僕の夢枕に男子大学生が立った。

〈美人幽霊じゃなくて、ごめん〉



「まあ、美人幽霊なんかいても気を遣うだけだしさ」

 僕が言うと、ヒロが拗ねた表情をした。

〈えー、ボクには気を遣わないってこと?〉

 身体は透けているが、幼さの残るヒロの顔ははっきりと見える。

「違うって。ほら、僕たち男の子だから、女性には見られたくないこともあるじゃん。……あ、これ、バイト代入ったから買ってきた。大吟醸」

 僕がお猪口に酒を注ぐと、ヒロがその上に手をかざした。こうすると、幽霊でも酒を味わえるらしい。実際、ヒロが手かざししたあとの酒は、味が薄くなっている。

〈ありがとー、あきらやさしい! 生きてるときは飲まなかったんだけど、死んだら日本酒が飲みたくてさぁ〉

「神道ではお供えの基本は米酒塩水だしね」


 ヒロは、この部屋に憑いていた幽霊だ。大学生だったが、数年前に事故で死んだらしい。近くで交通事故に遭ったものの、特になんともないから病院にも警察にも行かなかったが、部屋に帰ってから急に頭が痛くなりそのまま息絶えたそうだ。

 特に誰かを恨んでいるとか、心残りがありそうな訳でもなく、ヒロは僕とおしゃべりしたりお供えの酒やお菓子を食べたり(この表現でいいのか?)しながら、のんびりと日々を過ごしている。


「ヒロはこの部屋から出られないの?」

〈うーん、出たら消えそうで試してないんだけど〉

依代よりしろがあれば、出られるんじゃね?」

 次の日、僕は半紙を人形ひとがたに切り、ヒロを乗り移させてみた。人形ひとがたが折れないようチャック袋に入れ、紐を通して首から下げる。

「ヒロ、何かあったらすぐに言ってくれよ」

 僕はアパートのドアを開け、おそるおそる外に出た。一歩。また一歩。ドアを閉めてゆっくりと廊下を歩き、階段を下りて道路に立つ。

「大丈夫か?」

〈うん。……久しぶりの外だぁ。空気のにおいまで違うね〉

 ヒロは何もかもが懐かしいようで、道行く小学生や、紅梅の鮮やかな色、犬の鳴き声にいちいちはしゃいでいた。

〈海が見たいな〉

 どうやら外に出ても大丈夫とわかったので、海なし県出身らしいヒロの希望を叶えるべく、僕は自転車で海岸まで走った。

 潮のにおいと波の音にテンションがあがったヒロは、ひっきりなしに〈海ー!〉と言っていた。僕もつられて「海ー!」と叫びながら波打ち際を走る。

〈なんか青春映画のアレみたいだね。水をかけあいながら砂浜を駆け抜けるやつ〉

「最後スローモーションになるんだよな」

 僕がふざけてスローモーションで動いてみせると、ヒロがゲラゲラと笑った。

〈今度、ちょっと遠出して水族館に行きたいな〉

「なんだよ、また青春かよ」

〈『水族館いこミーンズI LOVE YOU』なんて本があったね〉

「ヒロ、僕のことLOVEなのか?」

〈はいはい、あきらLOVE LOVE 〉

「うっわ、軽! ヘリウムより軽い」


 こんな日々がいつまでも続くと思っていた。潮目が変わったのは、僕が大学四年生の年始だった。実習という名の神社繁忙期手伝いを終えて帰ってくると、ヒロが正座をして待っていた。

〈明。君が大学を卒業したら、ボクも帰ろうと思う〉

「帰るって……」

 ヒロが指先で上を示す。つまり、帰天するということだ。

 僕だって薄々気付いていた。このまま現世に留まるのは、ヒロにとってよくないことだと。それでも、このままいつも通り一緒にいられればいい、依代があれば外にも出られるのだから実家へ連れて帰って、と思っていたのだ。

 涙がはらはらと落ちる。言葉が出てこない僕を諭すように、ヒロが穏やかな表情で言う。

「明に送ってほしいんだ。頼んだよ」

 他に答えなんてないとわかっているのに、僕は首を横に振りながら一晩中泣き続けた。


 翌日から、僕は授業だけでなく自主的に祝詞のりと作製の練習をし、祭具の大麻おおぬさを丁寧に作った。ヒロに供える米酒塩水はすべて高級なもので揃え、特に酒はいろいろな銘酒を買い込んで日替わりで出した。お菓子もたくさん取り寄せた。一分一秒を惜しむかのように、一緒に映画を観たり、海に行ったり、部屋でごろごろしたりした。


 そして迎えた卒業式当日。僕は無事大学を卒業し、神職資格を授与された。

 部屋に帰ると、僕は風呂場で潔斎して装束を身につけた。白衣に袴、狩衣、烏帽子、手には笏。

〈ふふ、明、カッコイイ〉

「ヒロ。……今までありがとうな」

 僕はお辞儀の角度や指先にまで神経を使って祭祀を行い、ヒロがいかに心清い人間であるかを讃える祝詞を唱えた。ヒロがそんな僕を、にこやかに見守っている。

「――聞こしせとかしこかしこみもまをす」

 二礼二拍手一礼して起き直ると、ヒロは穏やかな笑顔のまま消えていった。

 祭祀中は、神職は泣くべきではない。僕は最後の拝礼までをきっちりと済ませた。

 ヒロのいなくなった部屋を見回し、窓を開ける。

 空を見上げると、ようやく涙がこぼれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

風呂、トイレ、幽霊つき 芦原瑞祥 @zuishou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説