第9話 偶然の糾合 3
「ルーくんおつかれ~。また明日ね。ウェルちゃんよろしくね~」
「おう。気をつけろよ」
ひらひらと手を振りながら遠ざかるメリッサの姿を見送った後、ルーカスは店のカギを締めた。裏口はマスターの出入りのために開けておく。
時刻は【月の8時】である。
人によっては仕事の始まる時間であり、もう家でくつろいでいる人もいる時間だ。
「ルーカスぅ、飲みにぃ行こうよぉ~」
顔を赤くしたメリアが、けけけと笑いながら言ってくる。足元にはウェルデルがうずくまっていた。
「はいはい。もう今日は帰んなさい」
「え~夜はまだまだこれからじゃん!」
「そんなこと言ってると、ここじゃすぐにアル中だぞ。アル中は怖い」
「ちょっとだけ!ちょっとだけだからぁ~ん」
口を尖らせ、何かをつまむように指先を目の前に差し出してくるメリアをシッシと手で払う。
「ウェルデルを家に送らなきゃなんねぇし、また今度な」
「ほんとにぃ?」
ああ、とルーカスは肯定しながら、ウェルデルに肩を貸して立たせてやった。
うぷ、と小さくウェルデルがえずく。
「ウェルデル、頼むから吐いてくれるなよ」
こくりと力なくウェルデルは頷く。声は聞こえているらしいので、まぁ多分大丈夫だろう。
「じゃあなメリア。飲みに行くとしても、あんまり飲みすぎるなよ。」
「はいはぁい。またね~」
くるりと振り向くと、小躍りするような上機嫌さでメリアは街の中心へ向かって歩き出していった。店でも十分飲み食いしたはずなのに、大した健啖家の大虎だ。
ルーカスは少しだけその後姿を見送ってからウェルデルの家に向かって歩き出した。
ルーカスの勤務する店から南側、街で最も大きな住宅街にウェルデルの家はあった。住宅街に近づくほど人通りは少なくなり、静けさを感じる。
空には
肩で時折呻くウェルデルに声を掛けてやりながら10分も歩いていると、彼の家が見えてきた。しっかりした庭がある、なかなか立派な家だ。
「ルーカス!ごめんなさいね、今日も送ってもらって……この子はもう…いつもこんなになっちゃって」
ルーカスが家を訪ねると、ウェルデルの母が迎えてくれた。皺が若干目立つ程度で、非常に若い見た目をしている。癖毛の鳶色の髪が、ウェルデルにそっくりだった。酔いつぶれたウェルデルに腹を立てている様子だが、心配の方が遥かに優っているようだった。
「いや、お客さんをほっておくわけにはいかないから、気にしないでくれ。こっちも強く止めずに飲ませて悪かったよ。ウェルデルの酔いがさめたら、次こそほどほどにしろって言った方が良いかもな」
「毎回言ってるのよ……お酒を飲むだけで大人になった気がして、楽しいんでしょうね」
「きっとそうだ。俺が15の時もそうだった。
「私にはそんな気持ち分からないわ……とにかく、ありがとうね」
ルーカスはウェルデルを彼女にそっと預けた。
「ああ。じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい。気を付けてね」
彼女はルーカスが家から大分離れるまで見送ってくれていた。
ほんとに、いい人だ――とルーカスは毎度思う。
それから彼は家路についた。ウェルデルの家からそれほど遠くないが、住宅街からも少し離れた郊外に向かう。
自宅が近づくにつれ、あたりには家や集合住宅が少なくなり、農家の畑などもちらほら見え始めた。
閑散とした雰囲気の中、自分の住む古い集合住宅の一室に着いたルーカスは、カギを取り出し扉を開けた。部屋の灯りがひとりでに灯る。明るさは強くないが、オレンジ色の光は温もりを伴って部屋中を照らしだした。
すると、大家が扉の下から滑らせて中に入れたのであろう、床に落ちた一通の封筒が目に留まった。
ルーカスはそれを拾い上げ送り主を確認し、そして苦々しい顔をする。
部屋に入ると、ルーカスは本棚の上の写真に一瞬微笑を向けた。前掛けを外して2脚ある椅子の一つにかけ、もう一方の椅子に座った。
封筒をテーブルに投げ出し、水差しに入った水をコップに注いで、一息に飲み干す。そこからやっと、ふぅっと一息ついた。
彼はベットの上の窓を見る。うっすらと、小さく自分の顔が映った。
外は暗く見ずらいが、確かに闇の中に月光を浴びてキラキラ光る湖の水面が見えていた。
湖と言っても、今見えているのは取水のために街の近くまで引き込んでいる、広大な湖のごく一部である。池のようなものなのだが、それですら相当な面積だ。
何を思うこともなくしばし湖を眺めると、テーブルに向き直り、封筒に手を伸ばした。乱雑にそれを開き、中の便せんを取り出す。
――ルーカス。ずいぶん連絡がないが、父親を無視するとは大した人間のようだな。育てられた恩を忘れたか?あいつと同じようにてめぇは恩知らずだ。どこまで俺を馬鹿にすれば気が済む?てめぇら親子はいつもそうだ。だからあいつは罰が当たった。俺のことを馬鹿にしたから、先祖が許さなかったんだ。いいか、てめぇは俺の息子だ。つまり俺を養う義務があるんだ。分かったか?分かったらとっとと金を送れ。いいか、これを読んだらすぐにだぞ。すぐにだからな!――
ルーカスは便せんの端が大きく歪むほど強く握っていた。読み終わると感情の籠っていない瞳のまま、ビリビリと便せんを破る。
1回、2回、3回、4回、5回と、破れるだけ破いて小さな紙片の塊りにして、ごみ箱の中へ叩きつけるように捨てた。何枚か紙片が床に散らばる。それを拾いもせず、ベットの上へ身体を投げ出した。何かする気がすっかりと失せてしまった。
仰向けに寝転び天井を見つめるが、灯り以外に何もない。
しばらくそうしていたが、彼は顔だけを本棚の写真に向けた。
母が笑っていた。
写真なんて、これ一つしかない。写真屋に行った時に恥ずかしそうに、珍しそうにしていた。
母の記憶を辿ろうとする。しかし、それ以外の余計な記憶が邪魔をした。
――誰のおかげで生きていると思ってるんだ!なんだその眼は、バカにしやがって!
――てめぇはクズだ。何もできねぇクズだ。てめぇを好いてくれる奴なんかいねぇ。親の俺が言うんだ。間違いねぇよ。残念だったな。
――金がねぇだ?ふざけんな!この無能が!何やってんだ!
――は?母さんの葬式?あたしがなんで仕切んなきゃいけないの?あの男にやらせればいいじゃん。それに、お金もったいなくない?
――あいつが死んだのはてめぇのせいだ。てめぇが戦争なんぞに遊びに行くから、ろくに看病もできなかったんじゃねぇか。勲章貰ったんだか何だかしらねぇがな……クズは、クズのままなんだよ。
一瞬強い耳鳴りがした。ガラスを擦ったような音がする。
ルーカスは目尻に皺が寄るくらい強く瞼を閉じた。
このまま寝てしまおう。明日も、仕事だ。
頭の真ん中が痺れていた。
忘れ始めた頃に、あいつはこうやって遠くからでも嫌がらせのように記憶をぶり返させてくる。
彼は立ち上がり、壁に取り付けられている小さな箱を開けた。中には中央に半透明の小さな白い石がはめ込まれた銀色の硬貨が収まっていた。それを外すと、部屋の灯りが消える。硬貨をテーブルの上に置き、再びベットに横になった。
ベットの端に丸まっていた毛布を手繰り寄せると、ルーカスは頭からかぶった。
考える気は全くないのに、何かがごちゃごちゃと頭の中をかき回している。
たっぷり1時間ほど苦労してから、ルーカスは眠りについたのだった。
ミッドナイト少女ビースト ちゃたろー @nao5389
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