同居人X
斑鳩陽菜
第1話 同居人X
「ねぇ?」
男が、そう話しかけてくる。
俺はキッチンで、カップラーメンに湯を注ぎながら、その問いかけに嘆息した。
――またかよ……。
この部屋には、俺の同居人が一人いる。
一人暮らしをはじめて、一ヶ月経ったか経たないかの頃だっただろうか?
この男は、突然俺の部屋に現れた。
暗い顔をして、時計を見つめながら座っていた。
「まだ、君は帰ってこないのかい?」
男は、そう時計に話しかける。
ここは俺の部屋なのだから追い返せばいいのだが、気の毒に思ってしまった。
おそらく以前ここにいたという、住人だろう。
「誰か、来るのか?」
俺の問いかけは、スルーされた。
時間は夜八時ちょうど――、俺がトイレを出ると、男の姿はなかった。
そのとき俺は、出ていったんだと思っていたんだ。
ところがだ。
その男は、出て行っていなかった
男の名前はX――、なんせ名前を名乗らなかったため、俺はそう呼んでいる。
「どうして、君はわかってくれないんだい?」
――知るかよ……。
同居人Xの問いかけは、いつも同じだ。
時計のデジタル表示は、午後八時を示している。
俺がいま住んでいるのは、賃貸マンションの
俺がここに目をつけたのは駅チカということと、賃料の安さだ。
神奈川県横浜市――、一軒の不動産会社を俺が訪ねたのは、三月の事である。
西宮の高校を無事に卒業した俺は、この横浜市内の大学に通うことになった。
もちろん向こうにも大学はあったが、東京に妙な憧れがある俺は、東京の大学を受験するも落ち、二股かけていた神奈川の大学に進むことにしたのだ。
応対に現れたのは、小柄で三十過ぎのY氏という男だった。
人の良さそうな笑みを浮かべ、入店してきた俺をみるなりなぜか喜んだ。
「お客様は、とても幸運な方でございます」
と、いうのである。
「そ、そうなんですか?」
「はい。ちょうど格安の物件がひとつございまして」
見せられた資料は、ある賃貸マンションの間取りだった。
「どうです? いい物件でしょう?」
不動産会社のY氏は、満面の営業スマイルを駆使して俺に勧めてくる。
「今どき、この安さなんて……」
そのマンションは築八年の三階建てで、敷金・礼金なしの月三万である。
「本社は大学生に良心的なサービスを心がけております」
場所は、京急本線・日の出町駅から徒歩八分圏内、以前まで男子学生が住んでいたそうだが、他に引っ越したという。
一人暮らし初の俺にとって、確かに棚ぼたな話だ。
いやいや待て、俺。
「内見は可能ですか?」
「もちろんですとも」
Y氏の声が、一オクターブ上がった。
後日俺は、採寸用のメジャーを持って内見に向かった。
紹介された部屋は寝室を兼ねた居室と、八畳以上のリビング・ダイニング・キッチンがあった。広さは、四十平米といったところだろう。
独りで住むには少し広すぎたが、日当たりもよく、掃除も行き届いていた。
小型冷蔵庫やテレビを置くスペース、ベットや冷蔵庫スペースなど図り終えた俺は、最後に窓を開けた。
そこには小さなベランダがあり、風が吹き込んできた。
排水溝からの臭いや、近隣の音も問題はない。
ゴミ出し場はルールが徹底され、駐輪場や駐車場を見ると若い世代が多いようだ。
「買い物にも便利でございまして――」
Y氏は、セールに必死だ。
駅前に大型スーパーがあったのは俺も確認しているが、Y氏が言うにはここから数分のところにコンビニもあるらしい。
「いかが――でしょうか?」
「ここ、本当に三万なんですか?」
「はい。これまで数人ご予約をいただきました」
「その人達は?」
「入居していただいたのですが、お仕事の都合とかで転居を」
それは、なんともったいない。
俺は、この物件に飛びついた。
その日の夜、友人に電話をすると意外な反応をしてきた。
「それって……」
「それって、なんだよ?」
「決まっているじゃねぇか? 事故物件ってやつさ。お前、昔っから人を疑わねぇお人好しだからな。いるんだよなぁ、そういうワケアリの物件を勧めてくる不動産屋が」
事故物件――、要するに殺人や火事、自殺や孤独死などで居住者が死亡した物件である。
「でもその不動産屋、事故物件とは云わなかったぞ?」
「当たり前だろ? そんなことを言ったら、売れないじゃないか」
俺はキャンセルしようと、不動産屋に電話を入れたが
「この度はまことにありがとうございます! お部屋の方は改めて清掃をさせていただきました」
と、こちらが話す隙を与えずに話してきた。
そもそも、俺としては住めればいいわけで、断る理由はないのだが。
こうして俺は、現在のこの部屋に住むことになった。
まさか、同居人ができるとは知る由もなく。
「僕は、こうして待っているのに」
同居人Xは、午後八時になるとこうして嘆く。
俺はカップラーメンに湯を注ぎ終えて、振り向いた。
そこにあの男の姿はなく、声だけが聞こえてくる。
隣の部屋は空き部屋で、声は間違いなくこの部屋からだ。
俺は霊感があるほうではないが、日当たりが良いはずのこの部屋は、時折ひんやりとした空気に包まれることがある。
なるほど、転居者があとを絶たないはずである。
同居人Xは、幽霊だった。
おそらくこの部屋に住んでいて、何かしらのことで幽霊になった。
幽霊としても、俺という男がこの部屋にいたのに驚いたのか、姿だけは消したようだ。
幽霊こと同居人Xは、誰かを待っている。
それは、俺ではないだろう。
不思議なもので、俺は幽霊は怖くなかった。
幸いXは、害を加えてくるような悪い霊ではなかった。
ただ、午後八時になると、こうして嘆いてくるので、困るといえば困るのだが。
その同居人Xの嘆きが、何日かしてピタリと止まった。
午後八時になっても、彼の声は聞こえなくなった。
独特の冷気も感じない。
――出て行ったか……?
俺は、そう思っていた。
待ち人を諦めたのだろうか。
何気なく手元にあったスマホを手に取り、俺はネットを閲覧する。
そこにあった一つの記事。
東名高速での自動車事故を伝えるものだったが、同乗者の女性が亡くなったらしい。
助かった運転手いわく、彼女が「どうして――、ここにいるの……?」と怯えた顔で呟いたという。その声に「え?」と、運転手が気をそらした時に事故は起きたらしい。
その車が走っていた車線は人が立てるスペースはなく、彼女はいったいなにを見たのか、いまもわからないという。
「まさか……、な」
俺は同居人Xの待ち人が、彼女だったのではと嫌な想像をしてしまう。
後日、Y氏に事故物件だったのか追求すると、あっさり認めた。
「地方から来たある男子学生が、恋人と同居をしていまして……」
それによると、その恋人はある日から帰ってこなくなったらしい。
男は諦められず、必死に恋人を探すが見つからなかったらしい。やがて賃料も滞り、男との連絡も途絶えたという。
それが、二年前のことらしい。
「まさか、部屋に行ったら死んでいたなぁんて――」
Y氏の説明に、俺はそんな想像が浮かぶ。
「いえいえ。それは……」
Y氏の上司が合い鍵で中に入ると、無人だったらしい。
「でもいるんですよ? 部屋の中に」
幽霊がいると俺がいうと、Y氏の顔が急に暗くなった。
「ついこの間、高速で事故があったのをご存知ですか?」
「ま、まぁ……」
「その男子学生が行くなって一年経ったころでしょうか、市警交通課の人が社に来まして――」
Y氏がいうにはこうだ。
Y氏がいる不動産会社にやってきた交通課の刑事は、数日前に東名高速で起きた事故を調べているという。
事故が起きたのは午後八時、車は大破し、運転手は即死だったらしい。
運転免許とともに、Y氏の名刺が鞄から出てきたと、その刑事はいったそうだ。
幽霊はその翌日から、部屋に出没するようになったらしい。
おそらく彼は、己が亡くなっていることがわからず、ここに帰ってきただけなのだろう。
俺としては詐欺に遭ったわけだが、不思議と怒りは湧かず、恋人を待ち続けるXが哀れでならなかった。
Y氏は、しきりに俺に詫てきた。
上からなんとしてもかの物件を埋めろと云われ、悪いと思いつつも売っていたという。
それから数日後、俺はそのマンションを出た。
次から内見の際には、幽霊が出るか聞かなければ――。
俺はそう思いつつ、同居人Xのことが忘れられなかった。
はたして彼の望みは叶ったのか、そうでないのか。
名前も知らない同居人だったが、幽霊である彼に想いを馳せるのは俺だけだろう。
彼もまた、都会に憧れて出てきたのだろうか。
現在俺は、駅から三十分という地に暮らしている。
駅から遠くなり、賃料も六万もするが、内見の際に事故物件でないことを念入りに確認した。
聞いた話だが――、俺がXと同居したあの部屋は現在も空き物件らしい。
事故物件だったということが、明るみとなったようだ。
そこにいる君も、内見の際には事故物件か否か確認をしたほうがいい。
同居人X 斑鳩陽菜 @ikaruga2019
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます