近代の渡世術 ②
常陸乃ひかる
友達いわく
「むかーしむかし。お山のてっぺんを、雲の上と呼んでいた時代がありました。その雲の上に棲んでいた神様たちは、『時代についてかなきゃ生活できねえじゃん!』という焦りから、人間社会に溶けこんでいったのです。
いわゆる天界と呼ばれるエリアは町に下り、企業として形を変えました。国を支えるひとつの形態に組みこまれていったのです。時に逆らうなんて、たとえ神でも不可能だったとさ――あゝ、めでたしめでたし」
明治二十六年(1893年)、六月。
町役場に隣接する、
「ほんにまあ、
「話半分で聞いてくれれば。で、あなたは洋服屋を紹介してほしいんですよね?」
「ええ。そうなのですが、西洋人が着るドレスのようなものは
「あぁ……納得。日本人って、ドン引きするレベルでドレス似合わんし」
人間客に対し、回答者が神族という形態で
「ふふふっ、ロス様は
「よく言われます。そうだ、この近くに
「さすがの名答ですわね。庶民に洋装なんて――と思っておりましたが、興味も自信も湧いてきました。されば、早速伺ってみようと思います」
「じゃ、こちらの地図をどうぞ。それが紹介状の代わりになるんで、少しはまけてくれますよ」
「有難う御座います。ロス様は飾らず、とても親しみやすい方ですわね」
「誉め言葉として受け取っておきます。じゃ、気をつけて」
お辞儀をする人間を見送り、一息。
「あの娘、庶民じゃないし。洋装なんて金持ちの嗜みじゃん……」
ぼそっとつぶやく女は眠そうな半眼を殊更に閉じると、首を振って睡魔を退治した。銀と黒が
この女、せんだっては山奥の部落――もとい天界で惰眠を貪っていた神族で、名をロス・ウースと云う。他人との接触を極度に恐る
昨今、日差しは
それに
「大久保さっ――ちがっ、えと……ち、ちえちゃん」
彼女の名は
有頂天に所属する同族で、本日の衣装――白い訪問着には、
「ははは、名前で呼ぶのが慣れない様子だね。僕は苗字で構わんよ」
並んでやってきたのは、
ロスが着物と袴なら、寅蔵はジャケット、ベスト、スラックス――灰色で揃えたスリーピース・スーツを涼しい顔で着ており、額が隠れるほどの黒い短髪を揺らしている。ちえ同様に、町に居ても見当違いとは云い難い大和男児である。
ロスは、自分だけ
「みんな、なに食べたい?」
「ああ僕は、油っけの少な目をお願いしたいね」
ふとして我に返り、ロスは「わたしは
「毎日ちゃんと食べてる? お酒ばかり飲んでない?」
と、ちえはまるで母の
「ノ、ノーコメント……」とロスが返すと、「その反応だと図星のようだね」と、寅蔵が屈託なく笑いかけてきた。有頂天の神族なんて、誰も彼もいけ好かない奴だと思っていたのだが、このふたりはロスの偏見とはまるで
誘われるまま外に出ると、通りは朝に比べて賑わいが増していた。ロスが
「浮世もだいぶ
「東京本部の奴が云っていたよ。近いうち、自動車が横行するだろうって」
ちえが最初の
「私たちが生まれた時とは考えられないわ」
「大久保さんって、何年生まれだっけ?」
「ちょっと島津君……年齢を聞くなんて随分じゃない。ねえロスちゃん」
同郷のふたりが盛り上がる中、ロスは
「云うんかい。しかも私より年上だし」
「ははは、僕も『ロスさん』って呼ばなきゃいけないね」
同僚の
ただの田舎神族に、とんでもない議題をぶつけてくる女である。
「無茶ぶりが過ぎるね……」
ロスは顔をしかめ、横に座っているちえから目を逸らした。
『帰ったら、学問のすゝめでも読んでおく』
と、利いた風なことも云えたが――
「いやまあ、日本銀行も設立されて金融制度が整ったし、有能な人間が国を変えていくんじゃないかな? わたしは正直……浮世とか興味ないから、よくわかんないけど。あと、長生きはしたくないかなぁ……」
ロスは実直な意見を口にした。どうせ自尊心なんて、何十年も前に実家に置き忘れてきたのだ。見栄を張ったところで、
「ふうん。ロスちゃんの考えも一理……いえ、
ちえはちょっと澄まして口元を緩めるが、ふたたび真剣な眼を向けてきた。
本来、神は無形だ。
この近代では、
「それはつまり、僕たちは必要なくなるってことかい?
寅蔵が口を挟みつつ、同時に疑問を呈するのが、『では、これからどうなる?』という至極当然な問答だった。
「
ちえが同調にも似た不安を煽ってきて、目を細めながら横を向いてしまう。
「この国において、神の存在を信じる人間は『宗教』という形でしか生き残らず、有神論者は
そうだとすればセブンスヘブンは企業に留まらず、もはや
では僻地のアウト・キヤストは? ロスの
「わたしの居住区は、すぐにでも淘汰される運命かな」
「それも悲しいわね」
「いや、早く隠居したい……」
――
どういった了見かわからず、「ダラダラ生きたくてあそこに移住したから」と、ロスは賑わう店内の片隅で、自分のダメっぷりを包み隠さず口にした。
「ふふっ、ほんに面白い子。ねえ今度、貴女の家に遊びに行っても
「気持ちは嬉しいけど、ウチなんもないよ?」
「ほら、せっかくだし同僚の家を見ておきたくて。つまり内部見学よ」
「な、長屋の
「棲む目的じゃあないわよ。ただ、同僚の家に遊びに行くくらい、なんてことはないでしょ? だって女同士なのだから」
確かにと
「それから――」
やがて、ちえがなにかを云いかけたのだが、三人分の蕎麦が運ばれてきて、それは
主神の小言以外で誰かが家に来るなど初めての出来事で、一銭五厘のかけそばをすするより、空腹が満たされるより、時間が経つより――ちえが家に来た時の想像によって、
帰り道。寅蔵が「大久保さんは、君と仲良くなりたいんだよ」と、ロスの耳元でそっとつぶやいた。小気味良い笑顔が、また憎らしく――
翌日曜。
ロスとちえは、アウト・キヤストから最寄の
「村里から
「メートル使ってよ。ま、確かに4kmくらいだったけど……体感もっとあるよ?」
「獣道ですものね。しかし、こうやって見ると本当に部落ね……」
腰ほどの高さしかない簡素な木製の門を抜けたのち、ちえが放った苦笑が天界のすべてを表している気がした。
「うちの天界ナメないでよ? 井戸もないから近くの湧水を汲んでくるしかないし。あぁでも、たまに害獣を狩ったり、魚釣ったりしてるかな」
「なんて云うか……
そうして人気のない天界を歩き、ちえを長屋の端に案内した。本日はきちんと畳んだ蒲団を、
「お邪魔するわ」
「茶でも淹れるね」
湯が沸く間、ロスも畳に上がってちえと向い合せになり、綿が潰れきった座布団に座って足を崩した。その間も、ちえはキョロキョロと室内を見廻している。やけに物珍しそうな内部見学である。
「で、どうかな? わたしん家の内見してみて、感想はあるかな?」
ロスは
「そうねえ」と困ったように眉を曲げ、「もっと派手にしたら? あと
「わたし、あんま自分を見たくないから……」
「ロスちゃんって、自分の魅力に気づいていないわよね」
「誰も……こんなちんちくりん、ぺったんこを好きにならないって……」
「ぺったんこ?」
自らを卑下するのは、もう慣れている。いや、云い
「あっ、ワンルームも……悪くないよ? 手ぇ伸ばすとなんでも届くし。あ……えっと、ちえちゃんって……どこ住んでんの?」
彼女の仕草が気になってしまい、ロスは咄嗟に話題を作った。事実、この同僚のことはもっと知りたいと思っていた。
「セブンスが下宿屋もやっていて、そこに落着いているわ。町役場からも近いし、棲み心地も善くてね。相談所に声がかかったのも、それが理由かもしれないわね」
「もはや、大企業セブンスヘブンか……」
それなのに、無駄な一拍が邪魔をする。まだ湯は沸かない。
「ね、ねえ。こないだ蕎麦屋でなに言いかけてたの?」
ロスは我知らず
「ええと……相談所が六月で
「え、マジで? 良かったぁ……! もう働かなくて済む!」
そうして、それとなく導き出したちえの答えに対し、ロスは心からの笑みを浮べた。「ほんに駄目神族ね」と、苦笑および半眼を向けられても
「えへへ」
「てかさ、わたし……やっぱり人間が怖いよ。って、前に言ったっけ?」
「そうね、最初に云われた時は
笑みにも似た憂慮。ちえの語調は語尾に向って低くなっていった。
「そ、そっか……。えぇと……」
この仕事が、のちにどのような形に変貌してゆくのだろう?
さて、困った。職場とは違い、上手く話が続かない。途切れ途切れの話題は、近代に漂う上澄みに過ぎなくて、ふたりの心を通わせる役割には到底及ばない。
湯はまだ湧かないのか――
「実を云うとね……
そんな時、ちえが
「内見じゃないなら、内部調査とか? アウト・キヤスト乗っ取り計画――」
「要らないわよ、こんな天界」
「ひでえ……」
「ほら、その……なんて云うの? 私がこうやって、わざわざ家に遊びにきたのだから……つまり、ほら……それは、『お友達』だからでしょ?」
ちえから放たれた、まるで予想だにしなかった真っ直ぐな
「と、友達……」
そうして呪文のような単語を復唱した途端、わけがわからずに胸がいっぱいになり、次第に
「友達っ! そっかあ、わたしたち友達なんだね! ねえねえ、友達ってなにすれば良いのかな! なにする? なにする? なにす――」
「あぁもう
「あっ……ちえちゃん、もしかして……友達居な――」
「やめなさい! もう……云うんじゃなかった。酔っぱらいたくなってきたわ」
不意にふたりの笑い声が重なった。だのに、しばらく眼を
まだ数十年しか生きていないふたりは、出生も立場も違えど、これからの時代を生き抜いてゆく
ちえが提案してきた、長屋という住宅の内見――それは、同僚と友人になりたいという想いによって生じた、可愛らしくも子供っぽい名目だった。ちえを的確に表す『才色兼備』という言葉より、頬を少し赤らめてへどもどする姿に好感を覚えるロスは、やはり意地が悪いのかもしれない。
「わかった。今度は、ちえちゃん家に遊び行く。そん時、一緒に飲も?」
「朝まで
「あぁ、わたし泊まるのね……」
町で働くのも存外悪いことばかりではないと、ロスは数年ぶりに真っ当な笑みを
――ブラインド同様にちえも人間への恐怖を抱いているとは思わなかった。
されどロスと皆の
了
近代の渡世術 ② 常陸乃ひかる @consan123
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