近代の渡世術 ②

常陸乃ひかる

友達いわく

「むかーしむかし。お山のてっぺんを、雲の上と呼んでいた時代がありました。その雲の上に棲んでいた神様たちは、『時代についてかなきゃ生活できねえじゃん!』という焦りから、人間社会に溶けこんでいったのです。

 いわゆる天界と呼ばれるエリアは町に下り、企業として形を変えました。国を支えるひとつの形態に組みこまれていったのです。時に逆らうなんて、たとえ神でも不可能だったとさ――あゝ、めでたしめでたし」


 明治二十六年(1893年)、六月。

 町役場に隣接する、切妻きりづま屋根の小さな建物内には、一風かわった相談所が設けられていた。テーブルを挟んで椅子が二脚――簡素な木材パーティションで区切られ、そこは半月ほど前からはじまり、町の者たちが次次つぎつぎと相談しに来るのだが、

「ほんにまあ、貴女あなたたち神族しんぞくも大変ですわね」

「話半分で聞いてくれれば。で、あなたは洋服屋を紹介してほしいんですよね?」

「ええ。そうなのですが、西洋人が着るドレスのようなものはいやなのです。畢竟ひっきょう美感びかんいものを想像なすっていただきたく……」

「あぁ……納得。日本人って、ドン引きするレベルでドレス似合わんし」

 人間客に対し、回答者が神族という形態で成立なりたっているのだ。

「ふふふっ、ロス様は可笑おかしな言葉をお使いになりますわね」

「よく言われます。そうだ、この近くに有頂天セブンスヘブンの仕立上手な連中が始めた洋服屋ができたんですよ。コテコテの洋装じゃなくて、センスは良いらしいですよ? まあ、袴穿いてるわたしが言うのもアレですけどね」

「さすがの名答ですわね。庶民に洋装なんて――と思っておりましたが、興味も自信も湧いてきました。されば、早速伺ってみようと思います」

「じゃ、こちらの地図をどうぞ。それが紹介状の代わりになるんで、少しはまけてくれますよ」

「有難う御座います。ロス様は飾らず、とても親しみやすい方ですわね」

「誉め言葉として受け取っておきます。じゃ、気をつけて」


 お辞儀をする人間を見送り、一息。

「あの娘、庶民じゃないし。洋装なんて金持ちの嗜みじゃん……」

 ぼそっとつぶやく女は眠そうな半眼を殊更に閉じると、首を振って睡魔を退治した。銀と黒がまじり合う、ふわりとした短髪ボブが乱れたあと、わずかに上を向いて、顔にへばりついた髪のやり場に困るフリをした。

 この女、せんだっては山奥の部落――もとい天界で惰眠を貪っていた神族で、名をロス・ウースと云う。他人との接触を極度に恐る厭世家えんせいかなのだが、半ば強引に人生相談という妙ちきりんな仕事に従事させられ半月も過ぎると、人の眼くらいは見られるようにはなっていた。

 昨今、日差しは徐徐じょじょに強さを増し、相談所の机には有頂天――セブンスヘブンの広告が入ったうちわが置かれるようになった。本日も何人目かの客を捌き、無粋な広告をバタバタと右手で動かす。

 それにあわせ、役場の柱時計がボオンボオン――十二回の鐘を響かせ、午時ひるどきを告げた。ロスは木製の背凭せもたれに上半身を預け、ギシギシと軽い軋みを幾度か楽しんでいると、「ねえロスちゃん、みんなでご飯行こ」と、パーティションのむこうから、同僚の女が顔を覗かせてきた。

「大久保さっ――ちがっ、えと……ち、ちえちゃん」

 彼女の名は大久保おおくぼちえ。

 有頂天に所属する同族で、本日の衣装――白い訪問着には、淡色たんしょく紫陽花あじさいを咲かせている。顔付かおつきは純日本人だが、目鼻立ちはハッキリしており、細い眉はわずかに上向き。頭髪は束髪そくはつではなく無暗に明るい褐色で、腰ほどまでまっすぐに伸びている。

「ははは、名前で呼ぶのが慣れない様子だね。僕は苗字で構わんよ」

 並んでやってきたのは、島津しまづ寅蔵とらぞう

 ロスが着物と袴なら、寅蔵はジャケット、ベスト、スラックス――灰色で揃えたスリーピース・スーツを涼しい顔で着ており、額が隠れるほどの黒い短髪を揺らしている。ちえ同様に、町に居ても見当違いとは云い難い大和男児である。

 ロスは、自分だけ雅号がごううたうようなハイカラな名前や、その顔付ばかりを気にして、おもて柘榴ざくろの花のように赤らめていた数日前を思い出した。

「みんな、なに食べたい?」

「ああ僕は、油っけの少な目をお願いしたいね」

 ふとして我に返り、ロスは「わたしは蕎麦ソバで良いかな」と食欲の無さを伝えた。その意見にふたりが同意したあと、

「毎日ちゃんと食べてる? お酒ばかり飲んでない?」

 と、ちえはまるで母の心中しんちゅうのような口振りで、やれ――と溜息をついた。

「ノ、ノーコメント……」とロスが返すと、「その反応だと図星のようだね」と、寅蔵が屈託なく笑いかけてきた。有頂天の神族なんて、誰も彼もいけ好かない奴だと思っていたのだが、このふたりはロスの偏見とはまるで相違そういがあった。


 誘われるまま外に出ると、通りは朝に比べて賑わいが増していた。ロスが要望リクエストした蕎麦屋は間口が広く、あからさまな大衆向けだった。満席というわけではなく、されど混雑はしており、しばらく中を覗いているうちに店内へ通された。店はほとんどが座敷だったが、西洋の真似事もしっかりと取入れ、テーブル席もいくつか設置されていた。三人は座敷に落着いて一息入れるなり、「しかし――」と、ちえが一拍置いた。

「浮世もだいぶかわったわね。人力ではなく、今や列車で移動するんですから」

「東京本部の奴が云っていたよ。近いうち、自動車が横行するだろうって」

 ちえが最初の話題トレンドを口にすると、寅蔵がそれに乗りかかる形でワイワイと始まった。

「私たちが生まれた時とは考えられないわ」

「大久保さんって、何年生まれだっけ?」

「ちょっと島津君……年齢を聞くなんて随分じゃない。ねえロスちゃん」

 同郷のふたりが盛り上がる中、ロスは品書メニューに目をおとし、「わたしは天保てんぽう三年だけど」とつぶやいてみせた。

「云うんかい。しかも私より年上だし」

「ははは、僕も『ロスさん』って呼ばなきゃいけないね」

 同僚の四方山話よもやまばなしに耳を傾けていると、「ところでロスちゃん」と、顔を覗きこまれた。返事をするよりも早く、「貴女あなたはこの先、日本はどうなってゆくと思う?」と、あまりにも漠然とした質問を投げられた。

 ただの田舎神族に、とんでもない議題をぶつけてくる女である。

「無茶ぶりが過ぎるね……」

 ロスは顔をしかめ、横に座っているちえから目を逸らした。

『帰ったら、学問のすゝめでも読んでおく』

 と、利いた風なことも云えたが――

「いやまあ、日本銀行も設立されて金融制度が整ったし、が国を変えていくんじゃないかな? わたしは正直……浮世とか興味ないから、よくわかんないけど。あと、長生きはしたくないかなぁ……」

 ロスは実直な意見を口にした。どうせ自尊心なんて、何十年も前に実家に置き忘れてきたのだ。見栄を張ったところで、殊更ことさら生き様がかわるわけではない。

「ふうん。ロスちゃんの考えも一理……いえ、もっともかもしれないわね。神は人間に干渉するべきではない。産業の革命が著しいこれからの時代を、いやでも見てゆくのだから」

 ちえはちょっと澄まして口元を緩めるが、ふたたび真剣な眼を向けてきた。

 本来、だ。姿形すがたかたちこそ人間とかわらない生物をあがめ、こうべを垂れるようになったのは、それによって都合が善い人間と、他者にすがらなくては生きてゆけない気弱な人種が居たからだ。

 この近代では、はばかりなく付合つきあえてしまう『神』という存在に、もはや有難味ありがたみなんてないのだ。

「それはつまり、僕たちは必要なくなるってことかい? 千万せんばん見てきた人間模様にはくわしいつもりだけど……」

 寅蔵が口を挟みつつ、同時に疑問を呈するのが、『では、これからどうなる?』という至極当然な問答だった。

畢竟ひっきょう因循姑息いんじゅんこそくは通用しないのよ。幾らちょんまげ頭を叩いても、私たちに対しての認識がかわるわけじゃないのだから」

 ちえが同調にも似た不安を煽ってきて、目を細めながら横を向いてしまう。

「この国において、神の存在を信じる人間は『宗教』という形でしか生き残らず、有神論者は悉皆しっかい居なくなってゆく……?」

 そうだとすればセブンスヘブンは企業に留まらず、もはや活動基盤インフラ成代なりかわろうとしているのかもしれない。

 では僻地のアウト・キヤストは? ロスの住家すみかは、これからどう変化してゆくのだろう? 主神のブラインドはなにを考えているのだろうか?

「わたしの居住区は、すぐにでも淘汰される運命かな」

「それも悲しいわね」

「いや、早く隠居したい……」


 ――各各おのおのが昼食を注文し、空気が間延びしているところに、「ロスちゃんは、どうしてアウト・キヤストに?」と、ちえが随分と突っ込んだ話に移った。

 どういった了見かわからず、「ダラダラ生きたくてあそこに移住したから」と、ロスは賑わう店内の片隅で、自分のダメっぷりを包み隠さず口にした。

「ふふっ、ほんに面白い子。ねえ今度、貴女の家に遊びに行ってもい?」

「気持ちは嬉しいけど、ウチなんもないよ?」

「ほら、せっかくだし同僚の家を見ておきたくて。つまり内部見学よ」

「な、長屋の内見ないけんしたいの? 誰も住みたがらんでしょ、あんな場所……」

「棲む目的じゃあないわよ。ただ、同僚の家に遊びに行くくらい、なんてことはないでしょ? だって女同士なのだから」

 確かにとうなずくロスは、云い伏せられるように彼女の誘いに応じた。

「それから――」

 やがて、ちえがなにかを云いかけたのだが、三人分の蕎麦が運ばれてきて、それは独言ひとりごととしておわってしまった。

 主神の小言以外で誰かが家に来るなど初めての出来事で、一銭五厘のかけそばをすするより、空腹が満たされるより、時間が経つより――ちえが家に来た時の想像によって、胸奥きょうおうがくすぐられ、もうすべてが上の空になっていた。

 帰り道。寅蔵が「大久保さんは、君と仲良くなりたいんだよ」と、ロスの耳元でそっとつぶやいた。小気味良い笑顔が、また憎らしく――


 翌日曜。

 ロスとちえは、アウト・キヤストから最寄の村里むらざと役場で落合おちあった。そこから山を登り、獣道を突き進み、ほどなく目的地に到着する。それを和服のまま涼しい顔で行うのだから、華奢なふたりの身体能力が、人間のそれを遥かに凌駕しているのがよくわかる。

「村里から一里いちりあるか、ないかくらいだったかしら?」

「メートル使ってよ。ま、確かに4kmくらいだったけど……体感もっとあるよ?」

「獣道ですものね。しかし、こうやって見ると本当に部落ね……」

 腰ほどの高さしかない簡素な木製の門を抜けたのち、ちえが放った苦笑が天界のすべてを表している気がした。

「うちの天界ナメないでよ? 井戸もないから近くの湧水を汲んでくるしかないし。あぁでも、たまに害獣を狩ったり、魚釣ったりしてるかな」

「なんて云うか……たくましいわね」

 そうして人気のない天界を歩き、ちえを長屋の端に案内した。本日はきちんと畳んだ蒲団を、枕屏風まくらびょうぶで目隠ししているし、厚みのある客用座蒲団もこしらえている。ちえへ畳に上がるように伝えたあと、ロスは土間に下りて薪をくべ、お湯を沸かし始めた。

「お邪魔するわ」

「茶でも淹れるね」

 湯が沸く間、ロスも畳に上がってちえと向い合せになり、綿が潰れきった座布団に座って足を崩した。その間も、ちえはキョロキョロと室内を見廻している。やけに物珍しそうな内部見学である。

「で、どうかな? わたしん家の内見してみて、感想はあるかな?」

 ロスは彼女の仕草を真似ミラーリングしたあと、白白しらじらしく本題に映った。こんな九尺二間くしゃくにけん、ちえにとっては荒屋あばらや同然だろうし、感想なんてあったものでもない。けれどロスは、意地悪く訊いてみたくなったのだ。

「そうねえ」と困ったように眉を曲げ、「もっと派手にしたら? あと姿見すがたみないの?」と、住宅の欠点ウィークネスを二度連続でつつかれた。

「わたし、あんま自分を見たくないから……」

「ロスちゃんって、自分の魅力に気づいていないわよね」

「誰も……こんなを好きにならないって……」

「ぺったんこ?」

 自らを卑下するのは、もう慣れている。いや、云いきるくらい口にしてきたのだ。されど呆れた様相で、ちえがふうと溜息をつく。

「あっ、ワンルームも……悪くないよ? 手ぇ伸ばすとなんでも届くし。あ……えっと、ちえちゃんって……どこ住んでんの?」

 彼女の仕草が気になってしまい、ロスは咄嗟に話題を作った。事実、この同僚のことはもっと知りたいと思っていた。

「セブンスが下宿屋もやっていて、そこに落着いているわ。町役場からも近いし、棲み心地も善くてね。相談所に声がかかったのも、それが理由かもしれないわね」

「もはや、大企業セブンスヘブンか……」

 それなのに、無駄な一拍が邪魔をする。まだ湯は沸かない。

「ね、ねえ。こないだ蕎麦屋でなに言いかけてたの?」

 ロスは我知らず追詰おいつめられたように、数日前の発言を引っ張り出した。一方ちえは、頭の上にはてなを浮べながら、ぐるぐると記憶の歯車を廻していた。

「ええと……相談所が六月でおわっちゃうって話かしら? それとも――」

「え、マジで? 良かったぁ……! もう働かなくて済む!」

 そうして、それとなく導き出したちえの答えに対し、ロスは心からの笑みを浮べた。「ほんに駄目神族ね」と、苦笑および半眼を向けられてもよろこびが勝るくらいの。

「えへへ」

 畢竟ひっきょう、相談所を半月こなして、人間の表裏ひょうりいやでも見えてきた。種族の違いから、ロスの意見を取入とりいれようとする者や、自ら相談にやってきたのに一方的にかんむりまげる者など様様さまざまで、未だに人間には慣れない。が、浮世に降りた神としての心構こころがまえは、胸奥きょうおううまれつつあったのだ。

「てかさ、わたし……やっぱり人間が怖いよ。って、前に言ったっけ?」

「そうね、最初に云われた時は判然はんぜんとしなかったわ。けれど今なら――」

 笑みにも似た憂慮。ちえの語調は語尾に向って低くなっていった。

「そ、そっか……。えぇと……」

 この仕事が、のちにどのような形に変貌してゆくのだろう? 時間単価パフォーマンスさそうなのは、相談者が足を運ばず、回答者はさらりと質問に答え、同時に銭までもらえるような業務形態だが、そんな上手い話があるだろうか。

 さて、困った。職場とは違い、上手く話が続かない。途切れ途切れの話題は、近代に漂う上澄みに過ぎなくて、ふたりの心を通わせる役割には到底及ばない。

 湯はまだ湧かないのか――


「実を云うとね……貴女あなたの家の内部見学なんて口実みたいなもので……」

 そんな時、ちえが独言ひとりごとのように語尾をすぼめていった。

「内見じゃないなら、内部調査とか? アウト・キヤスト乗っ取り計画――」

「要らないわよ、こんな天界」

「ひでえ……」

「ほら、その……なんて云うの? 私がこうやって、わざわざ家に遊びにきたのだから……つまり、ほら……それは、『お友達』だからでしょ?」

 ちえから放たれた、まるで予想だにしなかった真っ直ぐなことばに、ロスはわかりやすく狼狽した。平生からの半眼が見開き、口もぽかんと開き、返答を躊躇うかのように――彼女のことばに、このままずっと寄りかかり、依存いそんしたい気持になった。

「と、友達……」

 そうして呪文のような単語を復唱した途端、わけがわからずに胸がいっぱいになり、次第に込上こみあげてくるものを感じた。死ぬまで口にしないと思っていた一単語は、ロスにとってはあまりにも煌めきすぎていて――

「友達っ! そっかあ、わたしたち友達なんだね! ねえねえ、友達ってなにすれば良いのかな! なにする? なにする? なにす――」

「あぁもう五月蠅うるさいっ! わ、わかんないけど……! ほら、買い物とか、お酒飲んだりとかでしょ……! た、たぶん?」

「あっ……ちえちゃん、もしかして……友達居な――」

「やめなさい! もう……云うんじゃなかった。酔っぱらいたくなってきたわ」

 不意にふたりの笑い声が重なった。だのに、しばらく眼をあわせられないまま口数が減ってゆき、そこから湯が湧くまでの時間はまったく苦にはならなかった。

 まだ数十年しか生きていないふたりは、出生も立場も違えど、これからの時代を生き抜いてゆく渡世術とせいじゅつを得たことに気づかず、今はただ微睡まどろみに似た強い鼓動に揺さぶられていた。

 ちえが提案してきた、長屋という住宅の内見――それは、同僚と友人になりたいという想いによって生じた、可愛らしくも子供っぽい名目だった。ちえを的確に表す『才色兼備』という言葉より、頬を少し赤らめてへどもどする姿に好感を覚えるロスは、やはり意地が悪いのかもしれない。

「わかった。今度は、ちえちゃん家に遊び行く。そん時、一緒に飲も?」

「朝まで付合つきあってもらうからね」

「あぁ、わたし泊まるのね……」

 町で働くのも存外悪いことばかりではないと、ロスは数年ぶりに真っ当な笑みをうかべていた。今日という凡庸な一日は、最高の記憶として、死ぬ時まで心に宿り続けるだろう。


 ――ブラインド同様にちえも人間への恐怖を抱いているとは思わなかった。

 されどロスと皆の眼識がんしきは、異なっているのかもしれない。


                                   了

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