FINAL ROUND

 彼氏になること自体は一向に構わないのだが、問題はそれがうまくできるかどうかだ。


 正直、おれには経験がない。そも大事な初恋を長年ずっと胸に秘めてきたような男だ。交際経験なんぞあるはずもなく、つまりおれは彼氏という存在が何をするものなのか知らない。

 いや、まったく知らないわけでもない。交際状態にある若い男女がおうちデートですることといったら、そんなのひとつしかないっていうか何度想像してもしか浮かんで来なくて、だからもう白旗を上げることにした。約束の一日彼氏、まさにその当日の出来事だ。


「すんません。今日一日おれがゆり姉の彼氏ってのはいいんすけど。何したらいいんすか、おれ」


 返事はなかった。いやまったくなかったわけではないけどたぶん聞き間違いっていうか、ゆり姉はさも「ええーっ嘘でしょいまさら何言ってるのこの子」とでも言わんばかりの顔で、


「そんなのセッ」


 まで言ったところでハッと口を塞いで真っ赤になって固まった。そしておれのせいにした。なんてこと言わせるの、と。


 申し訳ない。彼氏として大変申し訳なく思うが、でもそれはどっちかというとおれのセリフで、正直「あなた様はいったい何をおっしゃっておられるので?」以外の感想がない。


 ——おかしい。

 だってこんな、ただひたすらおれだけに都合のいい展開が現実に許されるのか?


 思えば、最初から何かがおかしかった。ようやく暖かくなってきた三月の日曜、今日一日限りの突貫デート。事情は言えないってことだから聞いてないけど、でも恋人のふりをしなきゃいけない事情なんて限られている。


 例えば、見栄張って友達に「彼氏くらいいるもん」的な嘘ついちゃったとか。でなきゃしつこく付き纏ってくるストーカー男を諦めさせるためとか。つまり誰かしらに見せつけるためのもので、しかしだとしたらどうにも腑に落ちないというか、妙なのは彼女の提示してきたデートプランだ。


「それではみなさん、今日は丸一日おうちデートでまったりすることにします」


 ではしゅっぱーつ、とまるでツアーガイド気取りのゆり姉。かわいい。かわいいのはいいけどしかしこの団体ツアーみたいな様相はなんだ。どうやら誰かに見せつけるためという予想はほぼ正解で、おれが約束の待ち合わせ場所に着いたときには、もうゆり姉とその女友達のご一行が待ち受けていた。

 これには参った。だっておれからすれば全員大人のお姉さんなわけで、こんなのどうしたって緊張する。「どうも初めまして。彼氏です」と順に挨拶して回って、でも気楽に話せたのはせいぜい最後のひとり、この場に唯一の同年代だけだった。


「初めまして、彼氏です。今日はよろしくお願いします」


「ご丁寧にどうも。こちらこそよろしくおねがします、ゆりの彼氏です」


 ん? と思ってよく見てみれば、そいつはどう見ても男だった。それもゆり姉の彼氏を名乗る不審な男。ストーカーだ。ストーカーの方までいたのはいいけど問題はその中身というか、どう見てもおれよりよっぽど彼氏らしいところがまずい。格が違う。向こうのほうが男ぶりがひと回りもふた回りも上、特にそのセクシーなタレ目に長い下まつ毛が——というか、


「嘘だろ。俊太郎、お前、どうして」


 勝てるわけがない。昔のこいつ、女に格ゲーで負けて夜尿症おねしょを再発していた泣き虫シュンが相手ならまだしも、今のこの俊太郎が相手では。

 こうして正面から向かい合ってみるとよくわかる。昔は同じくらいだった上背は、いつしかすっかりこちらが見下ろされる形になって、なにより今日の俊太郎はひと味違っていた。いつもはもっとラフな格好というか、やたら時間かけてヘアワックスつけるくせに服はジャージかよみたいな感じだったのが、今日は髪から爪先まで全身バチバチに決めていて、それがしっかり様になっているんだから本当に不思議だ。こいつ、これでどうして今まで彼女ができたことがないんだろう。


 これじゃいったいどちらが惨めなストーカー男なのやら、そんなのは考えるまでもない。自覚はあった。長年「おれはゆり姉のことを一番長く一番身近で見続けてきたんだ」と、そんな恋心をただ胸の内に燃やすばかりで何もしてこなかった男。もちろんお世辞にもモテるタイプとは言えず、いつ目の前のタレ目のイケメンから、


「なんだぁ? なあゆり、こいつお前の知り合い?」


 みたいな言葉が飛び出してくるか——そう戦々恐々とするばかりのおれに、でも先ほど強気にもゆりの彼氏を名乗ったばかりのおれの親友は、


「……そっか。タケルが相手じゃ、仕方ないや」


 なぜか諦めたみたいに肩を落とす、その濡れた子犬みたいな表情だけが思い出の中のこいつとぴったり重なって、その瞬間おれは胸の奥が鈍く痛むのを感じた。


 おれの親友。楽しかったことも、悪魔にボコボコにされて吐いたり漏らしたりした思い出も、全部一緒に分かち合ってきたただひとりの相棒。

 それが今、こうして同じ女に惚れて、同じ女を巡って正面からぶつかり合って。


 ——なあシュン。おれたち、なんでこんなことになっちまったんだろうな。


「はいはいステイステイステイ! そこ勝手におっ始めない! 今日のレギュレーションはあくまでおうちデートなので! ご安全に! 自分のホームグラウンドで!」


 ゆり姉による必死の仲裁。それと友達さんたちのとりなしでそれぞれのコーナーに引っ込められたおれと俊太郎は、そのまま本日の目的地である「おうち」へと連れ込まれた。


 おれの家。正確には、その離れ——という名の、農機具小屋二階の小部屋だ。


 ここはうるさいマセガキが友達を呼んでギャアギャア騒ぐのにうってつけの部屋で、かつて因縁の対戦劇が繰り返されたのもここだ。ここなら泣こうが喚こうがゲロ吐いてのたうちまわろうが、母家の家族に気取られる心配がない。

 俊太郎にとっては——いやおれにとってもだが——古いトラウマの部屋。しばらくおねしょに悩まされたあの頃を思い出すのか、どこか下腹部を庇うような様子でキュッと唇を引き結ぶ。


「大丈夫だよシュンくん。今日は怖くない。楽しいこと、優しいことだけするからね」


 優しく俊太郎を気にかけるゆり姉。ずるい。ずるいけどたぶんおれなんかより全然の収まりがいい。

 俊太郎とゆり姉。きっと恋人同士と言われたら誰もが納得するであろう美男美女カップル。しかもどちらもおれの大好きな相手で、つまり好きなもの同士がくっついて幸せなはずなのに、でも止まない胸の痛みがおれを繰り返し苛む。


 二択は苦手だ。先延ばし癖のあるおれは、こういうときに即座の決断ができない。

 醜い嫉妬心に蓋をして祝福するのが大人か?

 それとも、我欲の声に従いガンガン前に出るのが男か?


「えー皆さん、準備は整いましたでしょうか。離れとはいえ普通の男の子の部屋なので、ちょっと狭いですけどそこは皆さん都合して詰めていただいて」


 もう完全にガイドさんと化したゆり姉の案内に従い、部屋の隅っこの方でぎゅっとひとかたまりになる友達さんたち。いやそんなもっとくつろいでいただいて、と、おれがそう声をかけるより早くゆり姉が続ける。


「改めまして。こちら、彼氏のタケルちゃんです。そしてこちらも彼氏のシュンくん」


 あれ今しれっと彼氏ふたり紹介したなこの人と、そんなの今更言わずもがなのこと。というか、よく考えたら最初から言っていた。「タケルくんともうひとり」って。


「ふたりは親友同士で、そして今ではお互いがお互いの彼氏で、深く愛し合っていますがその物理的な方法についてはまだおっかなびっくり手探りの状態です。かわいいですね」


 おい待て、と綺麗に声が重なる。どうして。どうしてそんな嘘つくのゆり姉。おれと俊太郎の抗議に、でもゆり姉は「シッ。話を合わせて。約束でしょ」とか言う。そうだけど。確かに今日一日は彼氏って約束だけど。でも。


「もしかして。〝彼氏〟って、おれが俊太郎こいつの、ってこと?」


 いやいやいやいやないってそれはない、もしおれが女だったとしてもこいつだけはねーわ、というおれの反応に、「俺だってタケルなんか願い下げだよ」とシュン。そして「ご覧になりましたか? そういうことです」というガイドさんの解説に、なぜかギャラリーから上がる「おぉ〜……!」という歓声。小さな拍手に混じってなんか「あるんだ。ほんとに」とか聞こえる。何が。というか、どうして。


「それではご両人、あとはいつもの感じでお願いします」


 なにそれ。なにいつもの感じって。ただ顔を突き合わせて首をかしげるばかりのおれたちに、ゆり姉がどこか痺れを切らした様子で助け舟を出す。


「ほら普通に、だらだらゲームとかしながら『なあシュン、暇だな』『そうだな』みたいな感じで」


「はぁ」


「あとはよくある感じでこう、キスからの激しいセッ」


「は? 待って、セックスすんのおれたち?」


 よく考えたら別にセックスとは言ってない。彼女が言ったのは「セッ」までだ。この時点ではまだ。


「え? しないの? 暇なのに? 男の子同士だよ?」


 男の子同士だからですけど? とも言えない。言ってもいいけど通じる気がしない。ズレている。何か、根本的な、人間への理解のようなものが。続けて曰く、さすがに始まったらそっと出て行く、本当にしてるとこまで見たりしないから、とのこと。


 それでわかった。どうやらこれはそういう設定とか演技とかでなく、どうやらおれと俊太郎が本当にしちゃう前提でみんないるということ。さらにはその〝みんな〟が「え? 出てくの?」「さすがにそらそうよ」「待って聞いてない」とざわざわ揉め出すのだからどうしようもない。なんなんだこいつら。


「だってタケルちゃん、言ってたよね。ちっちゃい頃に大人の女に滅茶苦茶に虐められて、それ以来女性が苦手で誰とも付き合ったことないって。シュンくんも」


 それはあなたが時折聞いてくる「タケルちゃんは彼女とか作んないの〜?」をかわすために生み出した方便ってやつだ。存外につらい。自分が密かに思いを寄せている相手から、無邪気にそういうことを言われるのって。

 あとついでに言えば別に嘘でもないというか、その虐めてきた女が他でもないお前なのだと、そう言ってやりたい気持ちをでもグッと堪えるのが男であり彼氏だ。


「だから、それでタケルちゃんは、あとシュンくんも、お互いのことが好きになっちゃったのかなって。違うの?」


 違う。前提から理屈まで何ひとつ正しいところがなくて、そも俺が俊太郎を好きだというのがまずおかしい。意味が違う。かつて彼女にだけこっそり打ち明けた本音、

「シュンのことは友達という意味で好き、そしてひとりの男として尊敬している」

 という話が、でも彼女の中で、

「友人として尊敬する相手を男として好き」

 として記憶されてしまっているみたいで、おかげでおれは人の欲望の罪深さを知った。願望は、世界がこうだったらいいのにという強い思い込みは、時に世界のあるがままの姿をたやすく捻じ曲げ、〝厳しい現実〟を視界の外まで一気に押し出してしまう。


 とまれ、かくして〝状況〟の幕は切って落とされた。

 けんけんごうごう、開始直前の退出をめぐって争い出す女たち。曰く、

「そのまま居続けたら彼らのちんちんを見ることになってしまう」

 だとか、また、

「いやそれを見にきたんだろうがふざけるなよ」

 だとか、もはやどうにも収拾のつかない有様だ。恐ろしい。角突き合わせて暴れ狂う猛牛の群れ。そんな地獄のような光景を尻目に、おれの初恋の人がおれに選択を迫る。


 起き攻めの二択。彼女がおれを完封するのに使った、おれの最も苦手とする盤面。


「違う、なんて言わないで。信じさせて。夢を見せて。ロマンがなくっちゃこの世にもう生きる意味なんてないでしょ」


 すがるような瞳に一筋の涙。恋する男にとってきっと世界一美しい光景でなければいけなかったはずのそれは、でもその瞳の奥の濁り切った澱みによって全部台無しだった。これだ。おれの淡い恋心を、そしてまだ幼く未分化だった性の芽生えを、丸ごと射すくめて串刺しにしたあの日の瞳。

 おれの体の真ん中、たぶんキンタマの中心あたりに、がっちり埋め込まれた大量の爆薬。あの日のことを思うたび、敗北は胃液の味がするのだと思い出すたび、おれはおれの体の芯がじわりと熱を持つのを感じる。


 あのとき、彼女の瞳に映っていたもの。あの優しいゆき姉の頬を、ああも露骨に上気せしめた光景。

 今ならわかる。それは吐いてのたうち回るおれではなく、それを泣いて必死に揺するる俊太郎でもなく、きっとその両方だったのだ。

 負けて震える男が身を寄せ合って、圧倒的な脅威から必死に身を守ろうとする姿。おれたちはふたりだ。女に手も足も出なかった惨めな負け犬同士。それがふたり揃って初めて彼女の心に、何か一生消えることのない爪痕のようなものを植え付けてしまった。


 おれが彼女にこんな風にされちゃったのと同じく、彼女もまた、きっと、おれたちによって。


「タケル」


 おれを呼ぶ声。あの頃とは違う、いつしか低く声変わりしたはずのそれは、でもどこか昔のような柔らかい質感を伴っておれの鼓膜に響いた。振り返ればそこに、ぎゅっと身を掻き抱くかのような親友の姿。おれよりでかいはずのが何故だか無性に愛おしく思えて、つい無意識に彼の肩へと手を伸ばす。


 ——なあシュン。おれたち、なんでこんなことになっちまったんだろうな。


 懐かしい思い出が突如脳裏を巡り、溢れる思いが言葉にならない。うまく言えない。懐かしさと、何かどうしようもない切なさのようなものが、大人になったはずのおれの脳でオーバーフローを起こして、結果漏れ出るなにか〝剥き出しのままのどデカい感情の塊〟のようなもの。言葉にならないというのは文字通りの意味で、口をついて出るそれはどれも支離滅裂だ。


 おれも、そしてきっと、こいつシュンの方も。


「シュン。たのしかったなあ、あの頃は。いつも一緒に日が暮れるまで遊んで、ただそれだけでしあわせだった」


「……そうだよ。決まってる。タケルが相手じゃ、仕方ない」


 眩しそうに目を細め、まるで微笑むみたいに眉尻を下げながらの呟き。思わず息を呑んだのはおれだけでなく、ギャラリーもまた同様らしかった。

 先ほどまですべてを破壊し突き進むばかりだった野牛の群れが、今やひっそりと世界の背景に溶け込んで、代わりに大いなる精霊スピリッツとなりおれの股間へと宿る。起きる。奇跡が。夢見る乙女たちの祈りが力となり、いまはげしく立ち上がる猛き野牛タタンカ・の角ホーン。熱く沸騰するおれの体の真ん中、十年越しの時限爆弾がカウントダウンを初めて、視界に爆ぜる火花はきっと導火線のそれだ。


 つかの静寂。見つめ合う刹那はまるで永遠のようで、しかし長くはたないだろう。観衆の興奮は水を目一杯貯め込んだダムの如しで、なによりこれ以上おあずけにするのは、覚悟を決めた男に対して無礼にあたる。


 おれたちには三分以内にやらなければならないことがある。


 そういうことになったし、それは初めから決まっていた。仲の良い男がふたりいて、そこがリラックスできる個室で、そしてお互いに暇を持て余しているときそれはセックスを始める。そういう風にできている、それを人は〝運命〟と呼ばわる。あるいは嘘、もしくは都合のいい願望、そしてロマンとも。


 春が近い。雪解けの気配に生命の息吹を感じる。世界はあるべき形を保ち、人はその広い大地の懐、何千何万と繰り返してきた営みを今日も続ける。


 おれたちはそれを愛と呼ぶ。

 そして、呼んだ以上は迷わない。

 進む。ただ前へ。先延ばしすることなく、すべてを破壊しながら、どこまでも。


 結局、それは至って明瞭な答え。

 愛はひとつ。ふたつ目以降はないのと一緒、もとよりあってもなくっても変わらないのだから。




〈【緊急】闇の勢力がおれのキンタマに爆弾を埋め込んでいた件について 了〉



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【緊急】闇の勢力がおれのキンタマに爆弾を埋め込んでいた件について 和田島イサキ @wdzm

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