ROUND 2

 そもそもの発端はつい先日、ゆり姉から持ちかけられた突然の依頼だ。


「事情はちょっと言えないんだけど、何も聞かずに一日だけ彼氏になってほしい」


 もちろん、即座に了承した。なんなら一日と言わずこの先ひと月でも一年でもと、その軽口に「いいの?」と嬉しそうにするところとかやっぱだいぶズルいなこの人って思った。


 ゆり姉。お隣の家の綺麗なお姉さん。髪が長くて胸がデカくて、あと対戦格闘ゲームがケタ外れに上手い大人の女。当時、小学校では負けなしだったおれと俊太郎のふたりを、いつものふわふわした調子で「うまくできなかったらごめんね」なんて笑って、でもこちらが泣いてコントローラー投げてゲロ吐くまで延々ハメ殺し続けた悪魔のような女。


 ひどい大人がいるものだ、とそう思った夜もないでもないけど、でも当時の彼女と同じ高校生になった今ならわかる。必然だ。なんならそうさせたのはおれや俊太郎の側だと言っていい。

 だって女が格ゲーなんかしてるわけないと、だからおれが教えてあげてそして「タケルちゃんすごい、かっこいい」ってなってふたりは幸せなキスをするのだ——と、頭からそう信じきっている世間知らずのアホのマセガキどもに、でも百パーセント手心なしの〝厳しい現実〟の原液をぶっかけてやること。

 自分の得意領域という安全地帯が突然ボロボロ崩れ落ちるのを、到底受け止められずさりとて見なかったことにするだけの器用さもまだなく、理解と感情の不協和でオーバーフローを起こした幼い脳の、その耐えきれず吐き出した何か〝剥き身のままのエラー信号シグナル〟のような身体反応。吐くのと泣くのとひっくり返って跳ね回るのを同時にやるおれに、でもゆり姉は、


「すごい。タケルちゃん、とってもかわいい……」


 と、頬を上気させながらうっとりこちらを見つめる、その瞳に射すくめられた瞬間からおれの初恋は始まったのだ。


 そんな彼女が、「こんなこと頼めるの、タケルくんとあともうひとりくらいしかいなくて」とまで言うのだ。

 断る理由はどこにもなく、言えてせいぜい「いるんだ、他にもうひとり」くらいだけどもちろんそんなことは言わない。余計なこと言ってそのもうひとりの方に行かれても困る。一も二もなく即決して、そのおかげで「よかったー、実は心配だった」って言われた。


「タケルちゃん、大事なことほど先延ばしにする癖あるから。こんなこと頼んだらいっぱい悩ませちゃうかなって」


 耳の痛い指摘だった。先延ばし癖。正直なところ自覚は痛いほどあって、それがなければ今頃とっくに本当の彼氏になるかなり損ねるかしている。自分でも一応わかってはいるのだ。どうあれ、少なからず前に出なければ何も始まらないと。


 子供の頃からずっと胸に秘め続けてきた初恋は、でも「いや、まだ早い。いまは少々時期が悪い」みたいなヘタレの言い訳によって都度延長され続けて、つまりは完全にいつもの負けパターンだ。やられるのが怖いからと延々後ろに退いて、結果自分から勝ちを逃してしまう。


 この点、おれが一目置いているのが俊太郎で、あいつは強気に行くべき局面ででかく張ることのできる男だ。

 とはいえ昔からそうだったわけではないというか、なんならおれ以上のヘタレの根性なしだったはずなのだけれど、しかし男子三日会わざればなんとやら。いまでは背も伸びガタイも立派になって、なんかおかしな色香すら漂うほどになった。

 子供の頃は彼を貧弱に見せていたあのタレ目と長い下まつ毛が、でも大人になるとここまで違った印象になるのかと、その感想をつい寝ぼけて当人にそのまま告げてしまったことすらある。笑われた。なんだそれ、って屈託なく。昔から笑顔だけはかわいい男だったが、今のこいつが目を細めて笑うその様子には、どこか大型の獣にも似た危険な美しさがあるように感じた。


 ゆり姉のお願いを快諾したその日、おれは久々に俊太郎と遊んだ。

 昨今では直接お互いの家に行かずとも、ネット回線を介して一緒にゲームができるのだから便利になったものだ。すっかり攻撃的なプレイスタイルになった彼に、おれはおれの性分たる先延ばし癖の矯正法を乞うた。その結果が爆弾だ。キンタマに埋め込む小型の爆弾。なんか触るとコリコリして異物感ありそう、とつい内股をもぞもぞさせちゃうおれに、だから効くんでしょ、ともっともらしいことを言う俊太郎。


 結論から言うなら、なるほど効果はてきめんだった。


 このわずか数日後、その効果を身をもって味わう羽目になるのは、おれよりもむしろこいつの方だということを、このときの俺たちはまだ知るよしもない。

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