怖い家の内見
春海水亭
変な家 怖い内見
◆
「実はね、あの家で人が死んでるんですよ……」
不動産会社の男は俺以外に誰もいないというのに声を潜めてそう言った。
三月、不動産会社の応接間のことである。
大学進学を機に上京することになり、俺は新しい家を探していた。
家族からある程度の仕送りは貰えるが、だからといって生活の全ての面倒を見てもらえるほど実家は太くない。
不足分は自分で稼がなければならない。
ならば、そもそもの出費が少ない方が良い。
まずは家賃が安いことが一番だった。家の広さや駅からの近さは二の次、三の次……そういう家を探して、不動産会社を巡っている内に、俺はそのアパートの部屋を見つけてしまったのである。
最寄り駅から徒歩五分。
大学からもほど近く、間取りも広いというわけではないが狭すぎるということもない。そして家賃が似た条件のアパートの半額以下。
オトリ物件を疑うほどの好条件だった。
「入居者の方も祟りがあるとかで、どうも長続きしないので……とにかく部屋を埋めたいというので、家賃を安くしているらしいです」
そのアパートの内見を申し込んだ結果、今俺は不動産会社にこのような話を聞かされているのである。
「ははあ」
俺は内心の喜びを抑えて言葉を返す。
事故物件、大歓迎である。
幽霊なんてものは信じていないし、仮に出たとしても死人に出来ることなぞたかが知れている。それで家賃が安くなるというのならば大歓迎だ。
「それで、まあ、その……大変申し訳無いのですが、内見にゆかれるというのでしたら、アパートの駐車場までは送らせていただきますが、内見に関してはお一人でお願いしたいのです」
不動産会社の男は申し訳無さそうにそう言った。
「何故ですか」
「その、最近では内見の段階でも幽霊が出るということで……」
「ははあ」
そのような住居に客を紹介するのか、と嫌味の一言も言ってやろうかと思ったが、そんなことは決して口に出したりはしない。不動産会社の人間まで恐れているというのならば、おそらく大学生活四年間の家賃の安さは保証されたも同然だろう。
「構いませんよ」
俺は意気揚々と立ち上がり、言った。
「内見にゆきましょうか」
「ゆきますか……」
気乗りのしない様子で、不動産会社の男が返した。
その時点で俺は一切信じていなかったのだ、あの恐るべき祟りの存在を。
◆
「なんですか、それは」
例のアパートの駐車場、車から降りた不動産会社の男は1kgの食塩を小脇に抱えていた。封は既に切られており、洗濯バサミで閉じられている。必要とあればすぐに中身を使うことが出来るだろう。問題があるとするならば、内見で塩を使う必要は無いということだろうが。
「まあ、一応。念のため……ですね……」
商売であること以上に霊に対する恐怖の方が大きいのだろう。
それにしたって、その食塩が役に立つとは思えないが……まぁ、如何にも怪しい除霊グッズを持ち出されるよりはマシだろうと思って、不動産会社の男に返そうとした言葉は心の底に沈めておく。
「まあ、良いアパートでしょう……?」
二階建ての白い外観のアパートである。
築年数はそこそこらしいが、大家の管理が行き届いているのか、学生の入居者が多いらしいという割には綺麗である。
思わず目を擦ったのは、その小綺麗な外観の右隅――例の部屋である103号室が黒い靄に包まれているように見えたからである。
「……良いアパートですね」
あくまでも一瞬のことだった。
もう一度目を凝らしてみれば、例の部屋も何の変哲もないように見える。
もっともあくまでも外観のことであるので、中がどうなっているかはわからないが。
「帰られますか……?」
僅かに震える声で男が言った。
その視線は存在するかもしれない恐ろしいものに縛られているかのように、アパートの例の部屋の入り口を一点に見つめていた。
俺が情深い男であったならば、あるいは金を持った男であるのならば、その言葉に従って、男を恐怖から逃してやっただろう。
だが、一人暮らしを始めようというだけのただの若い男である俺には男の恐怖を慮ってやるだけの情も、あるいは別の住居で良いと言ってやるだけの金も有していなかった。
「いえ、ゆきましょう」
「はい」
俺の言葉に、男もまた覚悟を決めたようだった。
あくまでもただの内見である、それで俺がその部屋に住むかどうかは別の問題だ。それでも――男は確信していたのだろう。いかなるものが待ち受けていても、俺はその部屋に住むと。
歩き始めれば駐車場から103号室に移動するまでに十秒もかからなかった。
その間に特に何かが起こるわけでもない。
俺たちを待ち受けていたものは何の変哲もない扉である。
目に見えて呪われているわけでもなければ、その扉に御札が貼られているというわけでもない。
「では……開けますね」
不動産会社の男が鍵穴に鍵を差し込む。
扉が開いた瞬間に、身の凍りつくような寒気を俺は感じた。
三月半ば――冬というものが存在していたことを忘れてしまうような春の陽気である。その、過ぎ去ってしまったはずの冬をこの部屋は扉が閉まっていた期間、ずっと溜め込んでいたのだろうか。そのようなことすら思わせる寒さであった。
「……っ、申し訳ございません……私にお付き合い出来るのは外見までのようです……」
男の覚悟は一瞬の内見で砕けてしまったらしい。
向かい風に煽られるかのように男はじりじりと後ずさっていく。
「塩を」
「えっ?」
「その塩をよこして下さい、おそらくこの内見には必要なようです」
「ご武運を……お客様でしたら、奥の方まで内見出来るかもしれません……!」
俺は不動産会社の男から食塩を受け取ると、玄関に上がった。
幽霊など信じない――そんな言葉を吐くことはもう出来ない。
俺が幽霊を信じようと信じまいと、この部屋の中に存在するなにかには関係がないことだ。
だが、たとえ幽霊とのルームシェアになろうとも抗いがたい家賃の安さである。
住むために進む。
フローリングの廊下がぎしぎしと音を立てる。
鳥肌が立つ。心臓が高鳴る。身体が訴える何事かを、俺は意思で捻じ伏せる。
八帖のリビングに辿り着いた瞬間、
「ぐぉぉっ!!」
俺は思わず悲鳴を上げていた。
右の太ももに走る痛み、ロー祟りだ。
咄嗟に受けた祟りにバランスを崩した俺は更に悲鳴を上げた。
「うっ、ぼぉっ!」
うめき声とともに俺はリビングの床に井の中でどろどろになっていた朝食をぶちまける。
酷い吐き気に襲われた。
ロー祟りで体勢を崩してからの、みぞおちへの祟り。
激しい痛みに床に身を投げ出してしまいたくなる――その衝動から身体の支配権を取り戻し、俺は廊下の方にバックステップ。
「ほう……基本コンビネーション祟りぐらいは耐えてみせるか」
悍ましい声がした。
存在するはずのない――しかし、確かに今も存在し続けているこの部屋の邪なる主の声。
リビングの中央に立っていたのは半透明の男だった。
身長は百六十センチメートルほど、小柄である。
しかし、その身体中に鎧のように筋肉をまとっている。
身長が低い故に一つの圧縮された筋肉の塊のようにすら思える。
「貴様がッ!この部屋を不法占拠する悪霊かッ!?」
「不法占拠……?違うな……わたしが正当なるこの部屋の主で、そして人間社会は幽霊に家賃を払わせるシステムも能力も有していないだけよ」
俺は咄嗟にスマートフォンを起動し、AIに呼びかける。
「OK、グーグル!この事故物件について教えてくれ!」
『事故物件紹介サイトからの情報を紹介します、デストルドー東京、103号室。入居していた男性は世を儚んで自殺』
機械の声は冷静に情報を俺に伝える。
事故物件紹介サイトでそこまでの情報が得られてしまっても良いのか、俺は疑問に思ったが、この内見を無事に終わらせるには必要な情報だと納得する。
「しかし、世を儚んでるような肉体には見えねぇぞ……?」
「クク……確かに生前のわたしは華奢で低身長、そしてセンチメントな一面があった……だが、死ぬことによってあらゆる悩みから解き放たれてポジティブな性格になった、そして死後は時間が有り余っているから筋トレを始めたのよ」
恐るべき事実であった。
しかし、納得がいく。
世の悪霊と呼ばれるような存在は生前はただの人間であったというのに、何故、死後に強大な力を発揮することが出来るのか、死後も鍛えているからと考えれば何の不思議もない。
「だが、鍛えているというのならば何故、いつまでも俺の……いや、この部屋に居座っている。トレーニングジムにでも取り憑けばよいだろう」
「クク……わたしのような悪霊は死んだ場所に囚われていつまでも移動することが叶わぬ……だから、決めてやったのよ。せっかく鍛えたのだから、その成果を生きた人間相手に発揮してやろうとなッ!」
「なんて傍迷惑な奴なんだ……!」
俺は悪霊と会話をしながら、食塩の袋に左手を右手を左足を右足を、両手両足が塩をまとうように突っ込んでいく。
果たして悪霊相手に食塩の除霊効果がどの程度あるものか。
だが、無いよりはマシである。
「……さて、そろそろお前を祟り殺……ッ」
俺は食塩を手足にエンチャントし終えると同時に、食塩の中身を悪霊の目にぶち撒けた。除霊目潰しだ。
「鍛えたかもしれないがッ!お前の祟りはお行儀が良すぎるんだよッ!」
悪霊には確かに死んだから出来る長時間のトレーニングによる成果がある。だが、その相手というのは所詮、素人入居者。俺のような喧嘩技術に長けた内見者ではないだろう。相手が正当トレーニング祟りで来るというのならばこちらは路上で鍛えた喧嘩除霊テクニックで勝負だ。
「りゃあっ!」
目潰し除霊からの、俺は股間狙いの除霊前蹴りを放つ。
だが、何度も味わった睾丸を除霊したあの厭な感覚が無い。
「もしや……ッ!?」
「そう、コツカケだよッ!」
コツカケ――睾丸を体内に収納する技術である。
古流武術家同士が試合をする際はコツカケは嗜みと言っても過言ではないだろう。
この悪霊――近代プロ祟りだけではなく、古流祟り技術も修めているのか。恐るべき暇人――思考は痛みによって中断された。
右側頭部にハイの祟りが叩き込まれた。
意識が一瞬消える。こみ上げる吐き気。脳が揺れている。目眩。身体が崩れ落ちようとしている。恐るべき祟りの技術。だが――
「おりゃぁぁぁっ!!!!!」
身体の上げる悲鳴を俺は無視して、俺は無理に体を起こし、大ぶりの除霊を悪霊の頬に見舞った。
「ぐぎゃっ!!」
悪霊が悲鳴を上げる。どうやら除霊が効いているらしい。
俺は塩のまぶされた指で悪霊に目突き除霊を見舞う。悪霊が腕で俺の目突き除霊を払う、凄まじい疾さだった。俺の指が折れた。だが、俺はそのまま足刀除霊を悪霊のみぞおちに叩き込む。
「うおおおおおおおおお!!!!」
悪霊が悲鳴を上げる。俺は悲鳴を必死に堪える。身体は悲鳴を上げているが、それを表すことは許可してやらない。
相手には技術がある。だが、弱い相手としか戦ったことがないのだろう。そして俺は路上で鍛えただけの喧嘩除霊だ。だが、何度も強い相手と戦ってきた。根性――それだけなら悪霊にだって負ける気はしない。
「テメェ……クソ人間ッ!ぶっ祟ってやるッ!」
内見――それはただ住居を見るというだけの行為ではない。
人間の内側――つまり心を見る行為だ。
俺が勝つか、悪霊が勝つか。
どちらがこの家に住むか相応しい心を持っているのか、今、それが試されている。
「それはこっちのセリフだクソ悪霊ッ!ぶっ除霊してやるよッ!」
◆
「あー……家賃安いけど、それでごまかせないぐらいには水回りの使い勝手悪いな……」
いや、内見はあくまでも内見なので、ちゃんと家を見たほうが良かった。
俺はそう思いながら、今月も安い家賃を払っている。
怖い家の内見 春海水亭 @teasugar3g
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