二年に一度のお楽しみ

野森ちえこ

神営業さんと妄想物件

 部屋の契約更新が近づいてくると、そわそわと心が浮かれはじめる。

 基本的に更新はせず、部屋探しタイムへ突入する。

 二年に一度のお楽しみである。

 

 引っ越しが好きなわけじゃない。

 そのまえ段階である内見が好きなのだ。

 物件ひとつひとつ、不動産屋さんのセールストークを聞きながらそこでの暮らしを想像する時間がなによりも私を満たしてくれる。


 最近は不動産屋さんの立会いなく見られる『セルフ内見』というものもあって、これなら更新時期を待たなくても内見し放題じゃん! と思ったのだけど、私のような人間にはやはり物足りなくてすぐに飽きてしまった。

 さすがに引っ越し予定がたっていない段階で内見に同行してもらうのは営業妨害になるだろうから、更新の時期がくるまではじっとガマンしている。


 そんなジリジリとした時間をすごすこと一年半。ようやく内見解禁シーズンに突入した。


「うわぁ、きれい! 広い! 明るい!」


 予算からは二万円ほどオーバーしている部屋である。


「駅まで徒歩五分、コンビニ三分、スーパー、郵便局、クリニック、美容院など、生活に必要なものは徒歩十分圏内にほぼそろってます」


 不動産屋さんの説明を聞きながら、キッチン、バス、トイレ、収納などを見てまわる。コンセントの位置や、洗濯機の設置場所もしっかり確認。

 いいなあ。快適だろうなぁ。


「終わったら声かけてください」


 不動産屋さんのあきれ半分の声に「はーい」とこたえて、ウキウキうっとりと妄想タイムにはいる。


 たびたび引っ越している私には、よくお世話になっている馴染みの不動産屋がいくつかあって、営業の人たちともすっかり顔馴染みになっている。

 今回の担当営業さんは私の内見趣味も知っているので、現実的な候補のほかに妄想用の物件もいくつか用意してくれるという神営業さんだった。


 ❖


「どうされます? もう一件行きますか?」


 郷愁を誘う夕焼け空の下、神営業さんとふたり駐車場に向かう。


「ん~、今日は大満足したのでここまでにします」

「そうですか。ではまた次回までに、いくつか見繕っておきますね」

「はい! ありがとうございます」


 後部座席に乗りこんで、現在の住まいの最寄り駅まで送ってもらう。

 内見はもちろん好きなのだけど、このどこかさみしいような、切ないような感じがする内見帰りの時間も好きだった。


「不躾なこと聞いてもいいですか」


 ぼんやりと窓の外を見ていた私は、神営業さんの声にふと我に返った。ルームミラー越しにカチリと目があう。


「いいですよー。なんですか?」

「引っ越し費用、大変じゃないですか」


 ほんとうに不躾な質問だったことにちょっと笑ってしまう。不思議と嫌な感じはしない。


「そうですねー。引っ越すために働いてるってとこあるかも。でも私、ブランドとかにも興味ないし外食もあまりしないので、日常生活ではそれほどお金つかわないんですよ」


 頻繁に引っ越すから、荷物も増やさないようにしている。

 一生つづけられる趣味ではないだろうが、お金と体力が持つあいだはこの生活をやめるつもりはない。


 恋愛も結婚も、私にはきっと縁のないものだから。


 私はたぶんアセクシャル、無性愛者といわれる人間だ。

 よく似た言葉に、他者に恋愛感情を持たないアロマンティックや、恋愛感情は持つが性的欲求は持たないノンセクシャルなどもあって区別がむずかしいのだけど。べつにきっちりわける必要もないのかなと思う。


 私の場合は、人を好ましく思うことはあるけれど、そこに性的欲求をおぼえることはない。

 手をつないだりハグしたりするのは好きだけど、セックスはしたくないし、キスもあまり好きじゃない。もし恋愛感情というものに性的欲求が含まれるのであれば、私の『好ましい』という気持ちは友愛なのだろう。

 恋愛で語られる『焦がれるような気持ち』とか『顔を見ただけでときめく』とかもよくわからないし。


「でも、急にどうしたんです?」

「ああ、いや、渡井わたらいさん、シェアハウスに興味ありませんか」

「え、シェアハウスですか?」

「はい」

「ん~、なんかちょっと怖いイメージがあります」


 たぶんおおいなる偏見がはいっていると思うけれど。赤の他人との共同生活というだけで拒否感がむくむくとふくらんでしまう。


「それなら内見だけでもどうです。妄想物件てことで」

「ずいぶん推しますね」

「はは。なんか渡井さんにあうような気がするんですよ。カンですけど」


 神営業さんにそんなことをいわれたら、ちょっと気になってしまうではないか。


「わかりました。じゃあ、せっかくなので内見だけお願いします」

「よかった。ありがとうございます」


 にこりと笑う神営業さんの『カン』が告げたとおり、このシェアハウスが私の人生を変えることになるのだけど、それはまたべつの話である。



     (おしまい)


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