普通のめぐりあい

文月みつか

めぐりあい

 三沢めぐり(33)には三分以内にやらなければならないことがあった。それは……


「こんにちは、メグさん。はじめまして」

「は、はじめまして、えーと、山本さん」

「もしかして緊張してる?」

「え、あ、そうですね。少し……」

「だよね。僕は今日が初めてなんだ。よろしくね」

「よろしくお願いします」

「みなさま、ご自分の番号の席に着席されましたね? それでは、始めたいと思います。もう一度確認しますが、制限時間はおひとり様三分までです。行きますよ。よーい……スタート!!!」


 カンカンカーン!!

 司会者が張り切ってゴングを鳴らした。


 パンケーキがおいしいと評判のカフェには、普段とは違う異様な緊張感と熱気が満ちていた。今日は貸し切りでとある結婚相談所主催の婚活パーティーが開かれている。


 30代も半ばに差しかかろうというめぐりには、いまだ将来を誓い合うパートナーがおらず、しぶしぶこのような場に出向くようになって今日が3度目になる。理想が高すぎるのか、これまで一度もマッチングしたことはない。まだまだ場数が足りないのだと自分を叱咤激励し、本当はゆっくりしたい休日を捧げてここにいる。


 参加者は男性16人、女性15人。こぢんまりした店のホールにぎっちりと並んで座っている。人数が予定よりも多くなったらしく、1対1で話せる持ち時間が短くなってしまった。目の前の男性が結婚相手としてふさわしいかどうか見極めるのに与えられた時間はたったの3分。気の抜けない3分間が、16回も続くのだ。


 めぐりは改めて、向かいに座っている男性を観察した。これといって特徴のない男だった。イケメンでもなくブサイクでもなく、服装は無難な無地の紺色のシャツ。中肉中背。少し細目で、表情はにこやかだが緊張しているように見える。シャツの襟が少しくたびれていたが、このくらいは許容範囲だ。


「メグさんは」

 山本がプロフィールカードを見ながら言った。

「読書が趣味なんですね」

「ええ、まあ」


 ここ最近は忙しくてあまり読んでいないが、嘘ではない。


「どんな本を読むんですか?」

「わりと何でも読みますけど、恋愛かミステリー小説が多いですかね。南野圭五とか」

「あー、人気ですよね。僕は読んだことないけど」

「そうですか……」


 どうしてこの話題を選んだのだろう。趣味ならほかにも映画とか料理とか書いてあるのに。

 それ以上読書について深掘りしてくる様子はなかったので、めぐりも相手の趣味について質問をする。


「山本さんはドライブがお好きなんですね。車で旅行とか、よく行くんですか?」

「そんなに遠くへは行かないけど、サービスエリアとか道の駅をめぐるのは好きです」

「へえ、いいですね。私は運転あんまり上手くないので、憧れます!」

「いや、そんな大したもんじゃないけど……」


 照れ笑いをする山本。


 よし、感触は悪くない。

 めぐりは山本のプロフィールカードに目を走らせる。


36歳、会社員、一人暮らし、婚姻歴なし。タバコは吸わない、お酒は嗜む程度。

性格:穏やか

好きなタイプ:優しい人

理想の夫婦像:お互いを思いやれる関係性


 特に問題はなさそうだが、初めの印象通りこれといって特徴がない。

 まあ、問題がないというのはこういうところではかなり貴重な存在だから、全力で好印象を残しておこう。

 そう思って「お互いを思いやれる関係って素敵ですよね」と言いかけためぐりの声は、途中で宙に消えていった。理想の夫婦像の下、自己PRの欄が目に入ったからだ。


自己PR:全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れに憧れます


 バッファロー、破壊……プロフィールカードでは見慣れない言葉にめぐりは戸惑う。

 もしかして座右の銘か何かか。しかし、末尾は「憧れます」となっている。何を伝えたいのか、いまいちわからない。


「えっと、このバッファローというのは何ですか?」


 恐る恐る聞いてみる。


「水牛ですね。草食動物なのにライオンよりも大きくて強いんですよ」


 いや、そういうことではなく。


「どうしてバッファローの群れに憧れを?」

「わかりませんか?」

「うーん、謎々ですか?」

「違います」

「角がかっこいい、とか?」

「かっこいいけど、ポイントはそこじゃないです」

「はあ……」


 めぐりは一生懸命考えたが、山本の意図がわからず、首をかしげる。婚活で、彼は何をアピールしようとしているのか。考えながら答えを待ったが、向こうから語る気はないらしい。仕方なく続ける。


「日頃いろいろ我慢しているから、たまに全てを破壊したくなる衝動にかられることがある、とか?」

「メグさんは日頃いろいろ我慢しているんですか?」

「えっ、私?」


 逆に質問されてしまった。もしかして心理テストのようなものか。だとしたらなんと答えるのが正解なのか……わからない。


「まあ、大人ですから。それなりには」

「職場とかで?」

「職場とかで」

「大変ですね」

「誰だってそうでしょう」

「かもしれませんね」


 なんだろうかこの不毛なやり取りは。めぐりは少し腹が立ってきた。この男はきっと私を結婚相手の対象外と判断したのだ。だから婚活と関係のない会話で時間を埋めようとしている。3分しかないのに、この男がめぐりに聞いてきたのは、趣味の読書のことだけだ。それも、あまり興味がなさそうだった。


「あのですね、せっかくこういうところに来ているんですから、もっと有意義な話をしては……」


 カンカンカーン!!!

 ゴングが派手に鳴り響いた。


「3分経過しましたー! 男性の皆様は飲み物とプロフィールカードを持って、次の席へ時計回りに移動してください」


 えっ、もう終わり!?

 めぐりは驚いて時計を見た。まだ何も解決していないのに。


「楽しかったです。ありがとうございました」


 山本はにこやかに言って席を立ち、去っていく。


「……ありがとうございました」


 そう返したもののめぐりの表情は浮かばず、そこはかとない敗北感に満ちていた。



 その後も、3分間の攻防がきっちり16度繰り返された。

 めぐりは精一杯戦った。いろんな男がいた。

 見るからに人見知りで、何を聞いても「はい」と「うん」と「いえ」しか返ってこない男。

 職業欄に誇らしげに公務員と書いていた、太り気味でカミカミの男。

 ファッションセンスが独特で、なぜか安っぽいイルカのネックレスを下げている男。

 こちらに話す機会を与えず、やたらと自慢話でマウントしてくる男。

 質問ばかりで、やたらとこちらの情報を引き出そうとしてくる男。

 見た目はそこそこいいのに、やたらと卑屈な男。

 とにかく、いろんな男と話し、メモを取った。一周し終わったころにはとてつもない疲労感がめぐりを襲っていた。


「みなさま、お疲れ様でした。これから紙を配りますので、気になった方の番号を3つまで書いて提出してください。マッチングした方には、私どものほうから後日ご連絡させていただきます」


 めぐりは自分のメモとにらみ合う。1から16までの数字と、イメージなどを一言ずつ書いてあった。

1.イルカ男 ×

2.太り気味 ×

3.会話する気ゼロ マジない

4.マウント野郎

5.タバコ臭い △

6.ネガティブ △

7.バッファロー男 ?

8.……


 バッファロー男……一体、あの男は何がしたかったのか。それにしても今日は、個性的な人が多くて疲れた。こうなると普通であることは何にも勝る美点のように思えてくる。

 疲弊しためぐりの脳内には、あらゆる情報と思考と感情がぐるぐるふわふわ浮かんでいたが、突如バッファローの大群がズドドドドと押し寄せ、それらを全て破壊していった。

 眉間にしわを寄せながら、めぐりはペンを動かした。




「メグ、メグ」

「ううん……」


 目を開けると、夫が心配そうに顔をのぞきこんでいた。


「大丈夫? ひどくうなされていたけど」

「うーん、なんか変な夢見た」

「夢?」

「すごく大事な考え事をしていたのに、バッファローの群れが来て視界が真っ黒に塗りつぶされて……」

「はは、何それ。変なの」

「笑いごとじゃないってば。バッファローの大群、間近で見たことある? すごく怖いんだから」

「朝から面白いこと言ってるなあ」

「他人事だと思って、バカにして」


 ベッドから勢いよく飛びすと、「ごめんごめん」と笑いながらひっついてきた。


「休日なんだから、もっとゆっくりしようよ」

「やめとく。また変な夢見たらいやだから」


 寝室のカーテンを開けると、まばゆい太陽光が目に入って少し痛かった。そう、これは夢じゃない。

 山本めぐり(35)。普通の夫と、現在はそれなりに幸せな日々を送っている。

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