シンディ・ジョーズの冒険

ハルカ

トリッセア族の遺跡

 若き考古学者であるシンディ・ジョーズには三分以内にやらなければならないことがあった。貴重な考古学的遺物を守って死ぬか、あるいは遺物を諦めて自分自身の命を守るか。

 そのどちらかを、選ばなくてはならない。


 古びた遺跡の空気は古臭いかびのにおいと湿った土のにおいが混ざり合っている。手持ちのライトで頭上を照らせば、天井が不気味な轟音を立ててゆっくり落ちてくるのが見えた。

 石で作られた天井には鋭いとげが隙間なく生えていて、遺跡への侵入者を串刺しにしようと狙っている。引き返そうにも、この広間へ来るときに通ってきた道は、遺跡の「罠」によってすでに閉ざされていた。


 落ちてくる天井を止める術はないかと、シンディは改めてあたりを見回す。このまま手をこまねいていては確実に命を落とすことになるだろう。

 今いる場所は天然の洞窟を利用して作られた遺跡で、かつて栄えたトリッセア族という古代民族の手によって作られたものだ。遺跡の内部は蟻の巣のように部屋と部屋が細い通路で繋がっており、「部屋」として使われている部分は、運び込まれた石材によって神殿のように装飾されている。


 シンディが今いる場所は、おそらく遺跡の最奥部に近い場所だ。

 これまでに通ってきたどの部屋よりも広く作られており、大広間のようになっている。

 伝説によると、この遺跡の最奥にはトリッセアの民が残した宝が眠っているという。それゆえ盗掘目的で侵入する輩も後を絶たない。そういった侵入者を阻むため、この遺跡には無数の罠が仕掛けられている。


 実際、シンディがここへ辿り着くまでのあいだにも数えきれないほどの仕掛けがあった。

 床の一部を踏むと矢が飛んできたり、壁に手を突いたとたん床が崩れ落ちたり、あるいはどこからともなく大きな岩がごろごろ転がってきたり。

 そのどれもが、盗掘者の命を奪おうという意志が感じられるものばかりだった。


 だが、シンディはそれらの罠を解除する方法があることを知っていた。

 この遺跡の壁には、いたるところにレリーフが掘られている。そのどれもがトリッセア族の神話や歴史、そして民の暮らしの様子を表したものだ。

 レリーフの意味を正しく読み取ることができれば、装置を解除する方法がわかるようになっている。――たとえば、天体の動きにまつわる神話なら、星の動きになぞらえて石を順番に動かしたり、自然災害にまつわる神話なら立体模型を災害後の形に組み変えたり。

 すべて解けるはずのものばかりだ。


 問題は、そのトリッセア族がすでに滅びてしまっていることだった。

 トリッセア族については未だ謎が多く、現存する資料も限られている。そして長い歳月とともに資料は散逸し、中には保存状態が悪く劣化しているものもある。

 シンディは時間をかけてそれらの資料を世界中から再集約した。

 彼女が盗掘者たちのように命を落とさず遺跡の深部まで辿り着くことができたのは、そういった研究の実績があるからだった。


 だがしかし、遺跡の奥には思わぬ試練が待ち受けていた。

 知識と知恵を使い罠を切り抜けて進むと、大広間に出た。壁一面がレリーフで飾られていて、トリッセアの民にまつわるモチーフが描かれている。

 その中でひときわ目を引いたのが、広間の奥にある大きな扉だった。

 扉の表面にはバッファローの群れを描いたレリーフがある。おそらくこの先の部屋に、伝説の通り財宝が眠っているのだろう。


 それぞれのレリーフの下にはいくつかの飾り棚が置かれ、トリッセアの民が使っていたとされる土器やガラス製の器、鉄器、木材を組んで作られた道具、星座盤や暦が刻まれている粘土板、あるいは装飾品などの貴重な考古学的遺物が並べられている。

 シンディは思わず歓声を上げた。この大広間をそっくりそのまま持ち帰り、博物館に展示したいと思ったほどだ。


 だが、彼女が部屋の中に足を踏み入れた瞬間、どこかで仕掛けの作動する音が聞こえた。不気味な轟音とともに部屋全体が振動し始め、見上げれば鋭い棘の生えた天井がこちらへ向かってゆっくり落ちてくるのが見えた。

 あと三分間ほどもあればあの棘は頭上に到達し、ゆっくりとシンディを串刺しにしてゆくだろう。


 仕掛けを解除するには、これまでと同様レリーフに込められた意味を読み解くしかない。ポイントとなるのは、やはりバッファローの群れのレリーフだろうか。

 トリッセア族の神話には、バッファローに関するものがいくつかある。その中でも有名なのは「全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ」という話である。


 このあたりの土地の民族は昔からバッファローの大群の大移動に悩まされてきた。ひとたび移動が起きれば、彼らは巨大な塊となって一か所を目指し暴走する。そうなってはもはや手が付けられず、途中にある村や町は壊滅的な被害を受ける。

 くだんの神話は、自然と共生する厳しさを示した話だと解釈されている。


 レリーフ通りに解釈するならば、このバッファローたちは破壊の象徴であり、「全てを破壊せよ」というメッセージだと考えられる。

 この大広間にある遺物を全て破壊したとき、装置は止まるのだろう。


 冗談じゃないわと呟き、シンディはぎりぎりと奥歯を噛みしめる。

 ここに並んでいる遺物はどれもトリッセア族を知る資料として貴重な物ばかりだ。みずからの手で破壊することなどできない。

 しかし、悩んでいるあいだにも天井は迫ってくる。

 このままでは、いずれ天井の重みで遺品も壊れてしまうだろう。


 ひとつだけ、それを回避する方法があった。

 大広間の中央にはトランクケースほどの大きさのくぼみがあった。

 その中へ遺物を収めれば、天井が床まで落ちてきても遺物の損壊はまぬがれるかもしれない。しかし、くぼみの大きさはシンディが身を縮めて入るとそれだけでいっぱいになってしまう。もし天井から逃れるためにそのくぼみに身を収めるとしたら、遺物は壊れてしまう可能性が高い。


 貴重な考古学的遺物を守って死ぬか、あるいは遺物を諦めて自分自身の命を守るか。

 三分以内に、そのどちらかを選ばなくてはならない。


 死刑宣告にも等しい轟音の中、シンディは目を閉じた。そしてかつてのことを思い出す。

 子どもの頃、彼女はとある考古学者に憧れていた。その憧れは彼女を研究者に変え、やがて彼女は学者の道を目指した。

 そして学問を研鑽し、とうとう大学院にまで進んだ。


 シンディはこれまで研究一筋の人生を歩んできた。

 恋も遊びも捨て、ただひたすら、全てを研究に捧げた。

 考古学の研究はフィールドワークなどで体力を使う場面も多く、面と向かって「女のお前には無理だ」と言われたこともあった。

 それでもシンディは真っすぐ前だけを見つめて進んできた。


 古代民族の遺物は、失われてしまえば二度と手に入らない。

 この遺跡の最奥に眠る宝も、盗掘や風化で失われる前に正規のルートで博物館に収め、しかるべき方法で保管されるべきだ。

 そう思い、身の危険もかえりみずこの遺跡へやって来た。


「――その結果が、これか」


 彼女の呟きは、ゆっくり落下を続ける天井の轟音にかき消されていった。

 ここに来るまでのあいだに、遺跡のいたる場所で罠にかかり命を落とした侵入者のなれの果てを見かけた。ぼろきれをまとった骸骨は無残に散乱し、虫たちの住処すみかとなっている。

 その姿は、シンディの行く末を暗示しているようでもあった。


 結局のところ、この遺跡を作ったトリッセアの民は、自分たちの財宝をよそ者に渡すつもりなどなかったのだ。たとえ一族が滅び、最後の一人がいなくなったとしても。財宝を誰の手にも届かない場所に閉じ込めてしまおうと考えてこの仕掛けを作ったに違いない。


 選択肢など、最初からなかったのだ。

 深呼吸を繰り返し、シンディはふたたび目を開ける。

 大切なのは、どれだけ時間の猶予があるかではない。

 自分自身がその選択を後悔しないかどうかだ。


 震える足をどうにか抑え、彼女は飾り棚へと向かった。

 ひとつ、またひとつと遺物を床のくぼみに運んでゆく。想像していた通り、すべての遺物を収めるとくぼみは隙間なく満たされそうだ。シンディが入る隙などまったくない。

 彼女の目から一粒の涙が落ちる。

 そもそも自分がこの遺跡へ立ち入ったことが間違いだった。自分のせいで貴重な遺品を壊すことはできない。それでは盗掘者と同じになってしまう。


 最後の遺物を運び入れ、迫り来る天井を見つめる。

 無数の棘に体を貫かれたら、どれほど痛いだろうか。すっかり心臓が止まるまでにどれほど苦しまなくてはならないだろうか。

 そんなことを考えていると、ふと轟音が聞こえなくなった。

 おそるおそるライトを向ければ、いつしか天井の動きも止まっている。


 バッファローの群れのレリーフがあった場所に、最奥の部屋へと続く通路が開いていた。


「はは、ははは……」


 未だ震えの止まらない体から笑い声があふれた。

 遺跡はシンディを試していたのだ。己の命を捨ててまでトリッセアの遺物を守れるかどうか。この大広間の仕掛けは、その覚悟を問うものだったのだ。

 もしシンディが自分の命を選び、くぼみの中へ逃れていた場合、棘に刺されて死ぬことは免れていただろう。しかし、床の近くまで降りてきた天井と無数の棘に阻まれ、そこから出ることができず餓死を選ぶしかなかった。

 その可能性に気付き、今さら身震いする。


 彼女は恐る恐る足を進め、通路の奥へと向かった。

 そこにはさらに広い空間があり、トリッセア族の財宝が山のように積まれていた。黄金や宝石をふんだんに使った装飾品、彼らが使っていた通貨、あるいは天体の動きを示した模型、多くの記録が残された粘土板も積まれている。

 それはまさしく、トリッセアの遺物を守る覚悟のある者だけが見ることのできる光景だった。


 部屋の中を見回しながら、シンディはあることを思い出していた。

 すべてを破壊しつくしながら進むバッファローの群れは、破壊の象徴と言われているが、同時に富をもたらすとも言われている。

 壁にはバッファロー達が走ってゆく姿が刻まれている。その方向へ沿うように歩いてゆくと、洞窟は外へと続いており、トリッセア族が聖地と崇めていた山の麓に出た。

 久しぶりの外の光に、シンディは表情を緩ませた。


 その後、洞窟に大掛かりな調査が入り、トリッセア族の財宝は地元の博物館によって保管されることになった。シンディの功績をたたえ、遺跡に彼女の名をつけようという意見もあったが、彼女はそれを丁寧に辞退した。かの洞窟は今でもトリッセアの名を冠したまま現在に至る。

 そして、彼女が発見した遺品の一部は、今でも博物館で見ることができるという。

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シンディ・ジョーズの冒険 ハルカ @haruka_s

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