本編

本編(語り手:物腰柔らかな初老の男性を想定)


ようこそ、高崎駅へ。私はこちらの案内人です。


ここ高崎駅東口1Fには、ストリートピアノが設置されています。ピアノの音色に引き寄せられて、足を止める方も大勢いらっしゃいます。


演奏を始められる前に、簡単にピアノのご紹介をさせていただきますね。


こちらのグランドピアノは、「YAMAHA グランドピアノG2 レーモンドモデル」です。チェコ出身の建築家、アントニン・レーモンド氏がデザインを手がけました。


グランドピアノというと黒をイメージされる方が多いですが、こちらのグラウンドピアノは深みのある赤色。「赤いグランドピアノ」ということで珍しがられる方も少なくありません。


大変希少価値の高いピアノですが、現在はどなたでもお楽しみいただけるようにストリートピアノとして設置しております。本日も親子連れの方やご年配の男性など、たくさんに方にご利用いただきました。


ストリートピアノの開放時間は10時~20時。時間を守ってお楽しみください。


もし開放時間を過ぎてもなお、この場に留まっていると、とあるピアニストと遭遇してしまうかもしれないので。


……おや、どんなピアニストか気になりますか?


そうですねぇ。「亡霊のピアニスト」とでもお伝えしておきましょうか。


フフフッ、詳しく話を聞きたいですか?

いいでしょう。では、お話ししましょう。


ストリートピアノにまつわる、亡霊の物語を――。


◆◆◆


私が初めて彼女の演奏を聴いたのは、高崎駅にグランドピアノが設置されたばかりの頃です。


夜間にピアノのメンテナンスを終え、荷物をまとめて東口から出ようとしたところでした。


駅構内はしんと静まり返っており、辺りは真っ暗。革靴が床を踏む音だけが響き渡ります。


(足音)


そんな時、ピアノの音が聞こえました。


(ピアノの音。単音)


ここにはもう誰もいないはず。ピアノの音なんて聞こえるはずがありません。

不審に思い、私は振り返りました。


すると、またしてもピアノの音が……。


(ピアノの音。不気味な和音)


これはおかしい。真相を確かめるべく、ピアノのもとへ引き返しました。


(足音)


ピアノの前には誰もいません。真っ赤なグランドピアノが、ただ佇んでいるだけ。


きっと疲れていたせいで幻聴が聞こえたに違いない。そう納得させて、その場を立ち去ろうとしました。


すると、再びピアノの音が……。


(ピアノの音。何音か不気味に弾く)


これは幻聴なんかではない。恐ろしくなった私は、その場から逃げ出しました。


(走る足音)


◆◆◆


あれは一体何だったのか? 気になった私は、翌日もピアノを見に行きました。


深夜の駅構内は閑散としています。私はエスカレータの陰に身を潜め、遠くからピアノを観察しました。


すると、またしても聴こえてきました。


(ピアノの音。単音)


ピアノの前には誰もいません。ひとりでにピアノが鳴り始めたのです。


恐怖で足が竦みます。全身に鳥肌が立ち、ひやっと冷たい汗が背中を伝いました。


しばらく立ち尽くしていると、聴こえてきたのです。バッハの「G線上のアリア」が……。


(♪~G線上のアリア)


美しく、儚げな演奏に心が奪われます。


つい先ほどまで恐怖に支配されていたのが嘘のように、ピアノの演奏に魅了されていました。


美しい音色に引き寄せられるように、私はピアノのもとへ向かいます。


(足音)


そこにいたのは、制服を着た黒髪の少女。白くて細い指先は、軽やかなタッチで鍵盤を叩いていました。


長い黒髪を揺らしながら、演奏に浸る少女。その姿はコンクールで演奏するピアニストのようでした。


深夜の駅に響き渡る「G線上のアリア」。異様な光景にも関わらず、胸が熱くなるほどに魅了されていました。


気付いた時には、一曲まるまる聴き入っていました。私は感動を伝えるように惜しみない拍手を送ります。


(拍手)


一曲弾き終えた少女は、静かに立ち上がります。それから断片的に言葉を発しました。


「ピアノ……ドナタデモ……ワタシモ……ヒイテイイ?」


いまにも消えてしまいそうなか細い声。最後まで聞くと、彼女が何を伝えたかったのか気付きました。


きっと彼女は、ビアノを弾きたかったのでしょう。


私も音楽を愛する身。ピアノを愛する少女の想いを踏みにじることはできませんでした。


「構いませんよ。こちらのピアノは“どなたでも”ご利用いただけますので」


ピアノの使用を許可すると、少女はだらんと長い髪を垂らしながらお辞儀をしました。


「アリ、ガト……」


◆◆◆


それから少女は、自身の事情を語り始めました。


少女はかつてピアニストを目指してレッスンに励んでいました。しかし、不慮の事故で命を落としてしまいます。


ピアニストの夢は呆気なく途切れてしまった。そのこと自体は諦めがつきました。


しかし、ピアノへの未練だけは断ち切れず……。




ピアノ、ヒキタイ

モウイチド、ケンバン、フレタイ




強い想いを抱えながら現世を彷徨っていたところ、ここ高崎駅のストリートピアノを見つけました。


【どなたでもご自由にお弾きください♪】


その看板に惹きつけられました。


この場所でならピアノを弾ける。そう思った彼女は鍵盤に触れました。


(ピアノの音。単音)


久々に鍵盤に触れる感覚は心地よく、胸のうちに渦巻いていた未練が徐々に晴れていきました。


以来、彼女は深夜の駅構内に忍び込み、ピアノの演奏をしました。


演奏するのは、決まってバッハの「G線上のアリア」。彼女が一番好きな曲だそうです。


大好きな曲を深夜の駅でこっそり弾く。それを邪魔する権利は私にはありません。


「どうぞ、お気に召すまま……」


彼女が未練を断ち切るまで、私は観客として彼女の演奏を聴き続けようと思っております。


◆◆◆


これが亡霊のピアニストにまつわるお話です。いかがでしたか?


フフフッ、そんなに美しい演奏なら聞いてみたい?

それならぜひ、夜の時間にもいらしてみてください。


ただ、ひとつだけ注意してくださいね。


もし深夜に「G線上のアリア」が聞こえても、決して最後まで聴いてはいけませんよ。間違っても拍手なんてしてはいけません。


彼女の演奏に魅了されたら最期、魂を持っていかれますからね。




え? どうしてそんなことが分かるのかって?




フフフッ……。




既に私も、この世のものではありませんから。




(♪~G線上のアリア)


高崎駅のストリートピアノは、どなたでもご自由にお楽しみいただけます。


“どなたでも”の中には、も含まれていますけどね。

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亡霊のピアニスト 南 コウ @minami-kou

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