ゴリゴリの純文学:真花の黒歴史

真花

ゴリゴリの純文学:真花の黒歴史

 純文学が何かなんて分かっていなかった。それでも、純文学を書くんだと言う気持ちだけは胸の中に充溢していた。

 私の人生に「小説を書く」と言う熱い営為が含まれて、中心に据えられてから一年半が経過していた。どこにも発表することなく書き溜めたものをついに公募に出し、落選を知った秋の日。いきなり通るとは思っていなかったが、いや、どこかでそんな奇跡が起きると信じている自分がいて、突き付けられた現実にまるで胸が穴になってしまったみたいに私が空っぽになって、考えることすらままならなくなった。半日呆けて過ごして、少しずつ胸の構造が組み直された。新たに組まれた胸の中に以前にはなかった想いが生まれていることに気付いた。私はそれに縋り付いた。

――誰かに読んで欲しい。

 Web小説の存在に出会うまで時間はかからなかった。いくつかのサイトを比較して、カクヨムを選択した。書きやすい、読みやすい、使いやすい、の三やすいが決め手で、早速投稿を開始しようと考えて、ふと立ち止まった。

――何か差別化を図った方がいいんじゃないか?

 私はタグに注目し、他の誰もが使っていないタグを入れればそれは私だけのタグになると考えた。つまり、レーベルを作るのだ。そこで作ったタグが「ゴリゴリの純文学」だ。純文学をやろうと決めていた。だが、純文学が何かなんて全然分かっていなかった。少しは自覚もあって、「あすなろの木」のようにいつかは本当にゴリゴリの純文学が書けるようになりたいと言う願いを込めることにして、自分の作品のタグに「ゴリゴリの純文学」と入れて発表した。何十と言う作品を発表した。「ゴリゴリの純文学」について誰も何も言って来ず、私はブランディングは上手く行っていると鼻歌混じりだった。

 だが、今その頃の作品を見ると、広義の純文学には辛うじて含まれるかも知れないが、とてもとても「ゴリゴリ」と言えるようなシロモノではないものが延々と並んでいる。読者の方がやれやれと思いながらスルーしていたか、そもそもそんなタグに興味がなかったのだ。それなのに私は上機嫌に「ゴリゴリ」のタグを使って、自分だけが「ゴリゴリ」と呼ぶに相応しいものを書いていると思い込んでいた。そしてその日は来た。

 ある読者からのメッセージに、「ゴリゴリの純文学」と表記するのは如何なものか、と書かれていた。理由には、だってあなたの小説、ゴリゴリじゃないでしょ、と言う旨。

――もしかして、みんなそう思っていた?

 多分人生で一番血圧が上がった瞬間だ。クラクラして、吐き気までした。私の腹は煮えたぎり、そのメッセージを否定しようとした。だが、出来なかった。どう考えてもメッセージの方が正しい。それを認めた瞬間、腹の業火は顔に一気に燃え移り、蹲るしかなかった。年単位で恥を晒し続けていた、いや、作品自体は恥でも何でもない、むしろ全ての作品を愛している。その愛する作品に、恥ずかしい付箋を貼って表に出していたのだ。ボディビルダーがコンテストのときに、知らずに額に「肉」と書かれていたようなものだ。だが、そんなことでは作品の価値が暴落することはないとすぐに思い直した。燃え盛る顔が向いているのは、読者の視線だ。ゴリゴリでも何でもないのに、ずっとずっと延々と「ゴリゴリの純文学」と主張し続ける奴と思われていたに違いない。私は転げ回った。

――どうしよう。消えた方がいいのかな。

 消えたくなかった。

 だから、「ゴリゴリの純文学」のタグをやめることにした。そっと、誰にも宣言せずに。過去の作品についてはそのままにすることにした。済んでしまったことを改変しても意味がないと思ったから。それからはずっと「ゴリゴリの純文学」は付けていない。

 数年が経ち、自分なりの純文学とはなんぞやが決まって来た。「言葉に出来ないものを言葉で表現する」アートとしての小説と定義している。最近、それが出来るようになって来た手応えを感じて、今度こそ「ゴリゴリの純文学」を名乗っても、タグを付けてもいいのかも知れないとか、思うこともある。実行に移したらそれが黒歴史第二章になるのか、ならないのか、それはまだ誰も知らない。


(了)

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