【KAC20241】砂時計のなかの一家

武江成緒

砂時計のなかの一家




 菜々子には三分以内にやらなければならないことがあった。


 わずか三分。




 その三分を計るものは、リビングの真ん中に。

 息の根とまったLED照明のかわりだとでも言うかのように、その真下の空中にぴたりと浮かんで、さらさら流れる砂時計。

 百円ショップで売られるような、ちっぽけなガラスの玩具が、一家三人の未来と命をかぞえている。


 いや、すでに二人だけか。


 とにかくあの10センチの悪魔は、男の力で椅子をおもいきり命中させても壊れない。

 拓也が命とひきかえに明らかにしてくれた情報だ。




 だけど菜々子には、拓也の命を悼んでいる暇さえもない。

 一年前に披露宴をあげた彼が、ほんの数秒で永遠に消え去ったことをも。

 砂のあふれた床のなかへと、この砂時計の中身をまねたようなまわしい砂の渦へとらわれてしまったことをも。


 だって残された時間はもう、百秒あるかの保証さえないのだから。






 砂に足をとられながらリビングを飛び出、奥の部屋へと駆け込んだ。


 大きくもない部屋だけれど、そこにあるのは夢の希望の楽園だ。

 ぬいぐるみたちが控えおり、絵本たちが羽ばたきの時を待っていた。

 その時はもう、来ないのかも知れないけれど。


 ともあれ、そのまん中に、この部屋の王子さまの玉座がある。




 だというのに、そのベビーベッドにたどり着くその前に、足がずぼりと沈みこむ。


 後ろから、ゾッとするようないやらしい笑い声がひびきわたる。

 見なくてもわかる。後ろでは、あの砂時計が邪悪な光をなげかけながら、小刻みにゆれているはず。


 足を踏んばる。踏んばった足が沈むこむ。

 つこうとした手に砂がしみこみ、そのまま下へと引きずりこむ。


 制限時間・三分間の、このまさに悪魔の脱出ゲームは、たしかにフェアなものではないようで。

 両親が“いなくなる”と直感したのか、ベッドからは泣き声がひびいてきた。

 心の底からすがるような、そんな声。

 その声にすがりつくように、手を、足を、体のぜんぶを、できる限り、思う限りにうごかして、砂の地獄を這いあがろうと、文字通りに死力を尽くして。


 それでも、どんなに必死でも、死力も気力も尽くしても、物理の力ははるかに強くて冷酷で。

 もう胸の奥にも砂の粒が吹きこんで、心が折れる、その瞬間に。




 その砂の奥底から、何かが、誰かが、ぐい、と力づよく押し出した。




 その動きを、たしかに覚えのあるその手に、答えることはできなかったけど。

 涙のひとつも、こぼすことはできなかったけど。


 そこに足を踏んばって、ベッドを全力でつかむ。





 二人の子を、この残酷な砂のから逃れさせる、そのことこそが、拓也への一番のむくいなのだって、悟りながら。


 あの砂時計を叩き割ることはできなかったけれど。

 窓を割って、ベッドを外の世界へ押し出し。




 砂の魔神ルーギャマーグルの憤怒の叫びを笑いながら、ささやかな勝利の思いと、あの子への懸念を抱いて、拓也を喰らった砂の底へと落ちていった。

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【KAC20241】砂時計のなかの一家 武江成緒 @kamorun2018

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