紅玉屋敷の時計姫 −セルべ家執事・サイラスの苦悩−

安崎依代@1/31『絶華』発売決定!

 執事には三分以内にやらなければならないことがあった。


 グッチャグチャにされたお茶の席を完璧に整え直し、ボロボロにされてしまった屋敷を完璧とは言わずともある程度取り繕い、突如お屋敷を占拠したテロリストどもにお取り引き願うという、中々に大変な仕事が。


 ──いや、無理だと思うのですが。


 機関銃が響かせるけたたましい発砲音をBGMに、セルべ家執事・サイラスは溜め息をついた。


 ──なぜやってくるにしても、もう少し早い時間にしていただけなかったのでしょうかねぇ?


 身を隠すために引き倒したテーブルの天板の陰からソロリと顔を覗かせてみれば、すぐ目の前を弾丸がかすめ飛んでいく。チュインッという音とともに焦げくさい臭いを嗅ぎ取ったサイラスは、速やかに大人しく天板の陰に引っ込んだ。こんな時にこんな風に使えるように天板に特殊防弾加工が施されていなければ、今頃サイラスはテーブルもろとも蜂の巣にされていたことだろう。


 ──とまぁ、ボヤいていてもらちが明きませんね。


 サイラスの主が屋敷に帰投するのは15時ジャストと聞いている。時間に口うるさい主のことだ。恐らく寸分の狂いもなく、15時ジャストに屋敷の門は開かれるだろう。


 15時帰宅の際は、その後真っ先にティータイム。それが主の日々のルーティンである。何人たりともそのルーティンを乱すことは許されない。乱せば最後、死んだ方がマシとさえ思えるような厳しい仕置きが待っている。


 サイラスは懐中時計を取り出すと、パチンッと上蓋を弾いて開けた。


 毎朝、屋敷の時計と主の時計、そしてこの懐中時計は同じ時刻を示すように調整される。絶対遵守の時間を刻む時計は、あと2分30秒で15時になることを示していた。


 ──仕方がありませんね。この手はあまり使いたくなかったのですが。


 パチリと懐中時計の蓋を閉じ、時計を内ポケットにしまったサイラスは、返す手でジャケットの内側から手榴弾を取り出した。さらにお行儀悪く口でピンを抜き、手榴弾を部屋の入口に向かって投げ入れる。


 そのまま天板の陰で身を縮め、両耳を両手で塞ぐこと三秒。


 ドンッという低い衝撃波とともに爆風が押し寄せ、代わりに絶えず響いていた機関銃の音が消える。


 突風が落ち着くと同時に、サイラスは隠れていたテーブルを右手にある掃き出し窓から外へ蹴り出した。さらに自身は腰の後ろに挿していた大型ナイフを抜き、濃く煙が漂う部屋の入口へ突入していく。


「ぐっ……」

「う、なん……ギャッ!!」

「て、敵襲! 執事、ガァッ!?」

「う、うわぁぁあああああっ!!」

「『セルべの狂犬』が! 狂けっ……!」

「前へ出すな! 殺せっ!! 殺せぇっ!!」


 ──お客様は総勢15人。今片付いたのは8、9……10、11。


 残り時間は2分。懐中時計が刻むリズムと自身を同期させながら、サイラスはクルリと手の中でナイフを回し、手榴弾による奇襲で統率を失った『お客様』を『ただの生ゴミ』に変えていく。


 ──残り4人は、退路確保要員ですかね?


 玄関に向かって身を翻しながら、サイラスは周囲の気配をうかがう。どのみち、自分が今から向かう先に『お客様』がいなければ、他の使用人達が追々をするはずだ。今の自分はひとまず主を迎える準備をしつつ、主がお茶の席に向かう道中を塞ぐ『お客様』を排除することに注力していればいい。


 ──さて。残り1分30秒。


 玄関扉を大きく開き、屋敷内にたなびく煙を排出。さらに玄関ホール横の応接間の扉を開き、右手側の掃き出し窓も開く。


 この応接間と先程奇襲を受けたティーサロンは、中庭を挟んで隣同士だ。先程の部屋から蹴り出されたテーブルは、中庭の中心に転がっている。


 中庭経由でテーブルを回収し、応接間の中心に据える。手っ取り早く掃き出し窓のカーテンを外してテーブルにかけ、いかにも『テーブルクロスですが、何か?』と言わんばかりの体を取り繕えば、ひとまず土台はでき上がりだ。


 応接間の飾り棚に飾られていたティーセットを手早く設置。お菓子はひとまず、ティーセットと一緒にしまわれていたクッキー缶で許していただこう。『本日は「素朴さ」をテーマにご用意させていただきました』ということにしておけば、案外主は興味をお示しになるかもしれない。


「おっと、しまった」


 お湯の準備がない。厨房から取り寄せるとなると、主をお待たせすることになる。


 ──ならば。


 予定を変更し、ティーセットを片付け、代わりにコーヒー用のサイフォンを用意する。これならば目の前でお湯を沸かすことになっても言い訳が立つ。豆とミルもあるから、豆をくところからご覧いただこう。


 さらにテーブルに椅子を添え、一通り部屋の準備は整った。主の帰還まで、残り45秒を切っている。


 サイラスは身を翻すと部屋から出た。開け放った玄関扉の横に立ち、ふと視線を門へ向ける。


「おや」


 そしてそこにあってはならない『ゴミ』を見つけてしまった。


 門の内側。門柱の陰に隠れるように左右に一人ずつ。恐らく帰宅した瞬間の無防備な主を強襲するつもりなのだろう。屋敷内の惨状を知っているのか、遠目から見ても激しい緊張に肩が上下しているのが分かる。


 ──これはいただけませんね。


 判断した時には、すでにサイラスの体は前へ出ている。瞬きをひとつした時には、すでにゴミのひとつの背後を取り、大型ナイフを振りかぶっていた。


「ハッ……!」 


 サイラスの襲来に気付いたゴミが顔を上げる。その瞬間にゴミは首から下の体を失っていた。あるいは体が首から上を失ったと言うべきか。


 血しぶきが主の歩く地面を汚さないようにゴミを一旦植栽の中へ突っ込んで隠し、さらに飛びつくように反対側に控えていたゴミへも襲いかかる。


 悲鳴は上げさせなかった。今この場所で、このタイミングで悲鳴を上げられてしまったら、恐らく主に聞かれてしまう。


 左手でゴミの口を塞ぎ、心臓へ的確にナイフを突き立てる。そのまま先程のゴミを捨てた植栽とは反対側へ押し込み、しっかり地面に叩きつけてからナイフを引き抜く。


 血濡れのナイフは、ひとまずゴミとともに植栽の中に放り込んだ。血なまぐさい物を手にしたまま主を出迎えれば、きっと叱責されてしまうだろうから。


 ナイフを投げ込み、クルリと門扉の方へ振り返って、深く優雅に頭を下げる。


 その瞬間、カチリ、と。


 サイラスの懐中時計が15時を示し、まったく同じタイミングで屋敷の正門の扉は開かれた。


「サイラス?」


 その向こうから、可憐な声が響く。


 無機質なのに愛らしく、幼いとさえ言えるのに感情らしきものが一切ないその声に、サイラスは笑みとともに頭を上げた。


「お帰りなさいませ、メルティア様」


 案の定、そこにいたのはサイラスの主であった。


 血のように赤いドレス。髪を彩るリボンも赤。同じリボンを首に巻いたテディベアを抱えた、齢十三を数えたばかりの少女。


 メルティア・セルべ。


 このトチ狂った物騒屋敷の主にして、『セルべの狂犬』サイラス・ギークの飼い主。


 そして、この国で一番長い歴史を持つマフィアの現女首領ドンナ


「いい子にしていた?」


 この歳にして『血濡れの紅玉姫ドンナ・ルビーノ』の二つ名を裏社会に轟かせたサイラスの小さなお姫様は、表情が一切見えない顔を真っ直ぐにサイラスに向けた。その呼び名の通りに鮮やかなくれない色をしている瞳を真っ直ぐに見つめ返し、サイラスは優美に微笑む。


「もちろんでございます、お嬢様」

「……血なまぐさいわ」

「申し訳ございません。少々ゴミを片付けておりましたので」


 じっとサイラスを見つめ続けるメルティアに、サイラスも微笑みを向け続ける。


 数秒見つめ合っても、メルティアの視線はサイラスから逸らされなかった。


「サイラス」


 その代わりに、サクランボのように可憐な色を宿した唇がサイラスを呼んだ。


「片付けが甘いわよ」


 さらにドンドンッと、すぐ傍から破裂音が響く。


「っ!?」

「ゴミはきちんと片付けなさい、駄犬」


 いつの間にか、メルティアの手には経口が大きな拳銃が握られていた。その銃先つつさきからは薄く硝煙がたなびき、背後を振り返ってみれば、玄関脇に先程まで確実になかったはずである生ゴミが増えている。


「ニーナ」


 華奢な体つきに似つかない拳銃をダラリと下げたメルティアは、本日の外出のともとして連れ歩いていたメイドの名前を呼んだ。メルティアの腹心のメイドであるニーナは、メルティア以上に静かな声で主の呼び声に答える。


「はい」

「片付けておいて」

うけたまわりました」


 主と腹心の会話はそれだけで終了だった。


 主は拳銃を片手に握ったまま屋敷に向かって歩を進める。己のかたわらをすり抜けていく主の姿に我に返ったサイラスは、優雅さを失わないように気をつけながら主の後ろに従った。


「お茶の準備は?」

「もちろん、できております。本日は趣向を変えまして、応接間にてコーヒーを」

粗相そそうがあったら、許さない」


 カチリと、音がしたような気がした。


 はたしてそれは、時計の針が時を刻む音だったのか。はたまた拳銃の撃鉄が上がる音だったのか。


 あるいは紅玉ルビーノのように硬いメルティアの声が、ぶつかり合う音だったのか。


 ヒヤリと背筋が冷えるその音に、サイラスは全てを優雅な笑みの下に隠して答えた。


心得ております、我が主S ì , S i g n o r i n a




 物騒なお屋敷には、物騒な主と物騒な執事、そして物騒な使用人が暮らし、日々物騒な仕事を片付けている。


 ──世で『狂犬』と呼ばれているのは、執事役を押し付けられた私ですが。


 はてさて、真実一番の『狂犬』は誰であるのか。


 そんな戯言ざれごとを胸中で転がしながら、サイラスは今日も素知らぬ顔で主の傍にはべるのだった。

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