1-19『エイプリルグール』
「うん。いい感じだ」
言葉と同時、ちょうど最後の魔物を斬り払った剣を鞘に納めながら、勇者が言った。
四体が同時に出現した
最後の一体だけは、後方に控えていた魔法師が魔法で撃ち抜く。
魔法と呼ぶのも憚れるほど単純な、ただ魔力を撃ち放つだけの魔法。
魔法使いの間では最も一般的な《
『引きこもり……陰キャ……』
――遺言は本当にそれでいいんですか?
と、訊きたくなるような断末魔を遺して霧散していくテルハウンドだった。
魔法師は顔色ひとつ動かさなかったが、それはそれとして、普通にイラっとはした。
もっとも、テルハウンドは別に人語を理解しているわけではないが。
「なんか、ヤなコト言ってく魔物だなあ……」
苦笑する勇者。
まあ何を言われたところで、ふたりが負けるような魔物ではないわけだが。
ふう――と小さく息をついてから、魔法師は勇者に語りかける。
「今のところ、大きな問題はなさそうですか」
「これでも獣狩りは割と慣れてるからね。こういう魔物ばかりなら楽だと思う」
腰にある剣の柄に手を乗せ、軽く肩を揺らして勇者は言う。
元の世界にいた頃は狩人だったようなことを、ときおり彼は窺わせる。
「この剣もいい感じだね。自力で肉体を強化するより魔力の効率が圧倒的にいいよ」
彼が持つ聖剣――もとい魔剣ドラッグオンソウルは、魔力を喰らわせることで剣自体に込められた魔法式が起動し、持ち主の身体能力を向上させる機能が備わっている。
それは多くの冒険者が使う魔力による身体強化より効果が高い。
ただ反面、この魔剣の魔法式には幻覚や興奮などをもたらす精神的な副作用があった。
――その副作用を、勇者は『効かない』のひと言で無効化しているが。
「精神干渉に耐性があるというのは事実みたいですね」
「あれ、疑ってたの先生?」
「別に疑っていたわけではありませんが……」
そんな体質の人間の存在は、魔法師である彼女も聞いたことがなかった。
万が一にも間違いがあってはならないため、念のため警戒していた魔法師だが……テルハウンドの
「よくわからない人ですね、本当……」
魔法師は零す。彼女にしては珍しく、思ったことをそのまま告げるような言葉。
ただ幸い、その小さな呟きは勇者には聞こえなかったらしい。彼は言う。
「どうする先生? この勢いでいちばん奥まで行っちゃう?」
「……、そうですね。今日のところは肩慣らしという程度の予定だったのですが――」
この分なら一気に最深部まで降りても問題ないだろう。
まあ、それはそれで、わざわざやって来た甲斐もないというものだから、そこまで急ぐ必要はないかもしれないが。
――その辺りは、勇者がどう考えているか次第ではある。
すぐにでも元の世界に帰りたい、というほど切羽詰まった様子を彼は見せない。
別に遠慮しているというわけではなく、この世界の観光を、勇者は勇者なりに楽しんでいる様子だった。
どちらかと言えば、早く職場に復帰したいのは魔法師の側である。
もちろんそんなことは、言葉どころか態度にも出せない。
総じて旅路を急がないことを彼女は決めていた。
どれほど実力があろうと、ダンジョンの危険それ自体がなくなるわけではない。
ほんのわずかな油断で、人間とは呆気なく命を落とす生き物なのだ。
それを勘違いして死んでいった人間など、歴史を探れば掃いて捨てるほど存在した。
特に、勇者は何も魔物に慣れているわけではない。
人を害する――そういう概念が形になったような存在である魔物は、決して真正面から攻撃してくるばかりが能ではない。
さきほどのテルハウンドがそうであったように。
騙す。
偽る。
嘘をつく。
たとえば《
むしろ魔物という概念の本領は、そちらにあるとする説を支持する者もいる。
――そして魔法師の少女に言わせれば。
この勇者は、その手の魔物に油断を見せるタイプに思える。
「お。――新手かな?」
ふと、勇者がそう声を出した。その視線は通路の先の暗がりに向いていた。
まだ魔法師は気配を感じられていない。
もちろん感知系の魔法でも使えば話は別だが、先日の鋼鉄蟹の一件でもわかるように勇者の感覚の鋭敏さは恐ろしく優れている。
無駄に魔力を使うこともないと判断して、魔法師は索敵を勇者に一任していた。
「魔物……割と多いですね」
今日、このダンジョンに潜っている冒険者が自分たちだけであることは聞いている。
となれば、奥からやって来るのが同業者である可能性はない。
「数はどうですか?」
「三体だろうね。足音からして二足歩行だ」
「……それは、ちょっと警戒が必要かもですね」
魔法師には聞こえてすらいない足音で、足の本数から人数まで当てていることに今さら驚きはないとしても。
もし
まあ、それは二足歩行とイコールではないし、そもそも国内最弱のダンジョンにそんな魔物が湧くとも思えないが。それでも警戒はしておくのが魔法師の役目だろう。
やがて通路の奥から、複数の足音が響いてくるのが魔法師にも聞こえた。
走るでもなく、ゆったりとしたいくつかの歩み。
こちらに気づいていないとは思えないが、その割には警戒した歩調ではなかった。
「近いですね。光源、飛ばします」
「うん、――頼んだ先生」
確認した直後、通路の先に向けて魔法師が光の球を飛ばす。
ここのダンジョンは、基本的には《自分がいるところは明るい》というふざけた特徴を持っているが、少し先は一気に暗がりで満ちている。そこを可視化するためだ。
無論、この手の光源魔法には、当たり前だが自分たち以外にも視認されてしまうという欠点がある。
それは自分たちの存在を明かすことと同義だが、暗視などの視覚補助魔法は勇者が嫌ったため仕方がなかった。魔物の種類を、早く確認しておくのは大事な作業だ。
――現に足音は、光源に晒されようと止まることがなかった。
やがて通路の奥から姿を現したのは、魔法師の胸ほどの身長の小柄な魔物だ。
子どもくらいの背丈だが、見るからにヒトではない。
体色も顔の構造も人類とは似ても似つかないそれが、ダンジョンにおいてなんと呼ばれているかを魔法師は知っていた。
「まさか《
その外見に反して、筋力も魔力も強いものを持つ厄介な魔物である。
元々はダンジョンの外にもいた魔獣種の伝承だったり、魔に堕ちた人類のなれの果てとして語られたりした概念が、迷宮内で魔物として具現化された種であるとされている。
死肉を漁る悪鬼。
ヒトの持つ恐怖や嫌悪といった想念を、素直に反映した魔物ほど強い。
の、だが。
計三体のグールは、勇者と魔法師にはまるで目もくれずにゆっくり歩きながら、
『なあ、知ってるかい?』
『なんだい?』
『我々の主食はね、実は木苺なんだよ』
なんだか割と朗らかな空気で雑談をしていた。
勇者は目を見開いて。
「そうなんだ」
「そんなわけないでしょう」
誰が聞いても嘘とわかる嘘に、あっさり騙される勇者に魔法師は肩を落とす。
そもそも同族で語るような会話ではない。
明らかに自分たち以外に聞かせるような話をしているのだから、その内容が事実であるはずがなかった。
『そういえばこんな話がある』
『聞こうじゃないか』
『武器についた汚れはね、トマトの果汁で洗い落とすといちばんキレイになるんだ』
『まさに生活の知恵というヤツだね』
嘘しか言わないグールだった。
『ところでぼくにも言いたいことがあるんだ』
『聞こうじゃないか』
『今年の年収が三億を超えたよ』
『おめでとう』
しかも限りなく下らない嘘しかつかないタイプのグールだった。
――本当に黙ってほしい。
心の底から、魔法師はそんなふうに感じたという。
『家の箪笥の裏やゴミ箱の下で奇妙に蠢く小さな虫を見たことがあるかい? もしもその姿が上手く捉えられないときは要注意だ。たまに出る高速回転ダンゴムシは、命の危機になると最高速度は放たれな弓矢を上回る。僕の友人はシュート回転のダンゴムシに、右の掌を貫かれてしまった。ああ、でも安心して。キャッチャースパイダーがいれば安心だ』
「嘘だよね?」
「嘘ですね」
『東のエルピス山脈の奥深くの村には古来からパイナップル配りという風習があってね。各家庭の料理の上に、こっそりとパイナップルを添えるんだ。これを食べることで、その年の無病息災と豊作を祈るというよ。輪切りのパイナップルは循環のメタファーなのさ』
「エルピス山脈って?」
「そんな地名ないです」
『足巻煙草を作るには空飛ぶセンザンコウの巣の傍にあるモモイロドクイチゴの実をすり潰して作った香水を耳の裏に塗りたくりながら左手に鍬を持って右手で大地を打て!』
「何を言っているのかわからない……」
「……わかる必要もないと思いますが」
襲ってくる様子もなく、ただただゴミみたいな嘘を垂れ流すだけのグール三体。
これが通常のグール種ではないことを、知識として魔法師は知っていた。
さすがに、本物を目にするのは初めてだったが。
……ていうか、本当に実在するんだ。
「エイプリルグールですね」
「エイ……えっ、なんて?」
「エイプリルグール、です」
「……グールなんだよね?」
「はい。ゴミのような嘘を垂れ流すタイプのグールです」
「ゴミのような嘘を垂れ流すタイプのグールって何……」
「わかりませんが、グールは稀にそうなってしまうらしいですよ。年一くらいで」
「どういうことなんだろう……」
勇者は思わずかわいそうなものを見る目をグールに向けた。
だがそんな配慮はいらないのだ。
ときおり何かバグったようにこうなるというだけで、いつ正気(?)に戻って襲ってくるとも限らない。
襲ってこないだけラッキーだと思って、今のうちに討伐するのが正解である。
「まあ、一説にはライチによって操られているとも言いますが」
「ライチ? ライチって何? 果物?」
「違いますよ。リッチという魔物の一種です。嘘をつくタイプの
「どういうネーミングなんだろう、それは……?」
「そんなことは、――それは私にもわかりませんけれど」
ともあれ、と小さく呟き。
魔法師は軽く腕を上げながら、勇者に向かって言った。
「楽に済むんで焼き払っちゃいますね」
「……………………」
――先生って結構怖いよな。
と、勇者の青年は内心で思ったが、言葉にはしない良識があった。
■今回の魔物:
正確にはそういう種類の魔物がいるわけではなく、通常のグールがなぜか嘘ばかり言うようになってしまった状態のものを指す。そういう状態異常なのかもしれない。
理由は不明だが、だいたい年一くらいの頻度でなりがちらしい。
名なしのダンジョン(仮) 涼暮皐 @kuroshira
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